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第8話 描かないで


 次の日

 結果として大門が開く時間まで僕は一睡もすることが出来ずに朝を迎えた

 もぞもぞと僕が起き出すとゆっくりと凪も起きてきて、ただ一言、おはようとだけ言った

 それからは今回ばかりは見送りに来ないだろうと思ったがしっかりと大門の前まで凪は見送りに来てくれた

「……昨日は、色々と悪かったな、ちょっと色々と……勘違いとかあって荒れちゃって、いやー、千のせいだ千の! 勝手にオレの出自語っちゃうんだもんなぁ、折角昨日のクライマックスに話そうと思ってた話をしてしまうんだから」

 大門についた凪はテンション高くそう言いながら千くんに怒っているように腕を組む

「ま、まぁ……千くんは怒らないであげてね」

 勿論千くんが理由でああなった、なんて言われても流石に信じないしそれで千くんが怒られれば流石に可哀想だと一応釘を刺す

「別に怒ったりはしないけど……」

「そ、それより! 凪は遊郭出身だったんだね……」

 そんな僕の言葉に少し気まずそうに頭をかく凪に慌てて別の話題を振ってから、それが振ってよかった言葉なのかと慌てるが

「ああ、そうだよ」

 凪が何の気なしにそう返してきたから聞いてもよかったのだと少し安心する

「何でか……なんて、聞いたらダメだよね」

 ここは空遊郭、男しか遊女も客もいないのに何でこの地で産まれたのか、流石にそれを聞くのは踏み込みすぎだろうかと躊躇いがちに聞いてみるが 

「いや、今回で三度目の馴染みだ、最初から話すつもりだったって言ったろ、オレは遊郭の客と遊女の間に産まれた子だ」

 凪は特に嫌な顔一つせずにそう、言ってのける 

「……え、でもここは」

 客と遊女の間に産まれた、という言葉に僕は少し驚いて聞き返す

 さっきも言ったがここには客も遊女も男しかいない筈だ

「ここじゃないよ、他の、普通の遊郭さ、普通の遊郭で産まれた普通の見た目じゃなかったオレは……この空遊郭に借金のかたに売られたってわけ、だからオレの家はずーっとここ、オレに年期明けは無いし、帰る家もない、ずっとここにいることになる見目の良いオレは良い金のなる木ってわけだ、だからこそ少しの我が儘も目をつぶって貰えるってわけ」

「……そんな、ことが……」

 凪が淡々と他人事のように語るその一冊の本にでもなりそうな物語に僕は何か言葉選びを間違えないように自分の口を押さえる

 だけど

「あ、別に同情とかそういうのは全くいらないから、オレはどこぞのバカみたいな金持ちに身請けされるぐらいならこのバカみたいな色欲にまみれたこの街で……死んでいくことを選ぶね」

 凪はそう言ってからからと笑うから

 僕はそれ以上何も言えなくなってしまった

「そ、うなんだ……」

「ああ、そうだ」

 何とか返したその言葉に凪は念を押すようにもう一度言う

「さて、それじゃあ絃……愛しい旦那様、そろそろお別れの時間だよ」

「もうそんな時間なんだね」

 それから凪は大門の外をそっと手で示す

 そろそろ遊女達も次の仕事の準備があるのだろう

 賑わっていた大門の前もそれなりに人通りが少なくなってきていた

「……こんなこと、あったけど、また……来てくれるよな……?」

 凪は、珍しく少し言葉に突っかかりながら、聞いてくる

「あ、うん、だって折角庵とも知り合いになれたのに、これで捨ててしまうなんて勿体ないでしょ」

 だから僕はすぐにそれを肯定する

 僕の目的も凪の目的も、やっと踏み台に立てたところで、ここで捨てるのはあまりにも惜しい

「……まぁ、そうだな……なぁ、二つ、約束してくれないか?」

 ごほんっと咳払いをしてから凪が真剣な表情でそう問いかけてくる

「え、何を……?」

 凪の表情に少し、嫌な予感がしながらも僕は聞き返す

「一つ目は、また来てくれること、二つ目は……庵には絵を描かないこと」

 二つ目の約束に僕はひゅっと息を飲んだ

「っ……いや、待ってよ、折角庵が僕の絵に食いついてくれて、作戦が少し進みそうなのになんで……」

「別に、君の絵を庵が買うことが目的じゃないだろ? 君は最終的に庵が買えれば良い、オレは君の絵が金のなる木になればいい、それなら敢えて今回は庵直々にしてきた依頼を断って、そうすればあの鼻っ柱の強い庵花魁なら何故私に絵を売らないって必ず食いついてくる、その為だ、つまりはそういう作戦だよ」

 そして慌てて説明を求める僕に凪は突っ込む隙も与えずにそう、説明する

「そ、う……」

 言っていることは確かに事実かもしれない

 花魁から絵を依頼されたのに描かなかった、となればより相手はこちらに意識を割くかもしれない

 だがそれよりも顰蹙を買う可能性のほうが高いと僕は思うけれど庵の知り合いである凪が言うのだから凪の言うような反応をする人間なのだろう

 実際一度話しただけの僕ですらどっちかといえば自分に絵を描かないなんて!とヒステリーを起こして遊郭を出禁、というよりは直々に赴いてきて何故描かない?と問い詰めてくるタイプだろうと思う

 それでも凪が本気でその作戦のためにそう言っているのではない、ということは人の感情に疎い僕でも分かった

 そしてそれを問い詰めても凪が答えてはくれないだろうということも

「ああ、そういうこと、勿論、約束してくれるよな……?」

「……そう、だね、必ず、また来るよ」

 そう言って笑む凪に僕は来る、という約束だけを取り付ける

「絃……」

 そんな僕の名前を窘めるように凪が呼ぶから

「それじゃあ、本当にそろそろ行かないとだね」

 僕は言いながら一歩、大門の外に出る

「っ、絃……!」

 凪はまだ何か言いたそうだったが、勿論大門の外へは出てくることが出来なくて

「また、ね、凪」

 そんな凪に手を振るとそのまま僕は振り替えることなく歩きだした

 本音を隠す凪に、少しだけだけど、腹が立ったからだ


 家についた僕は真っ先にまた、家にある一番良い紙を用意してキャンバスに向かった

「庵……あの花魁の手に僕の絵が、渡る……のか、そうしたら、少しは僕は認められる、僕の中で……家の中で……」

 そうしてキャンバスに向かった僕は時間を忘れて鉛筆を紙に走らせた

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