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第31話

 蒼穹は血で汚された。


 敵影のブリップで埋め尽くされていたレーダー画面は酷く綺麗になり、エリーゼ海と沿岸の地形を事細かに示している。


 敵の大半はこの海に沈み、僅かに残った残存の部隊は陸地の方へと撤退していった。勝算がないと判断したからだろう。


 見えない攻撃で仲間が次々と水面に朽ちていく様を見せつけられる彼らはどんな気分だったのだろうか。アドレナリンが引いていき、思考に落ち着きを取り戻しつつあった叶多はふとそんなことを考えていた。


「ステアトル着艦します」


 交渉に向かったヘリが戻ってくる。


 いつもなら飛んでいく叶多の姿がCICに残っている。艦長席の前で立ち尽くしていた姿に琢磨が気遣うように声を掛ける。


「甲板にはいかないんですか?」

「……すいません。訳わかんなくなっちゃって」


 叶多は隠す事などせず、素直に告げた。


 行ってその姿を見たら認めることになってしまう。仲間の死をその目に焼き付けることへの恐怖が全身を巡って硬直させた。


「私はどうすれば良かったんでしょうか……」


 ぼんやりと呟くが答えは返ってこない。それもそのはずだ。


 この船の艦長は他ならぬ私『柊 叶多』である。自ら進むべき航路を決め、クルー一人一人に指し示すのが自分の役目だ。


 そんな事を口走ったからか、琢磨が砲雷長に耳打ちをする。


「艦長、暫く自分に任せていただけないでしょうか?」


 思ってもみない提案だったが、ゆっくりと頷く。


 次に戦闘が起こったとき、正常な判断が下せるかと言えば無理だ。後を砲雷長に任せて叶多はCICを出た。


 戦闘態勢も解かれ、水密隔壁も開いている。何一つ変わりない平時の『はるな』がそこには広がっていた。


 廊下ですれ違うクルーたちは緊張が解けたのか顔色も明るい。


 紙コップに水を注ぎ、誰もいない士官食堂の席に座る。


 その水を一口含もうとしたとき、水面に写った地獄絵図に思わず紙コップを投げてしまった。


 濡れる太もも。貴重な真水を無駄にしたことよりも、今自分が見た光景にショックを受ける。


 蒼に滲む血の赤。死屍累々の海原で誰の弔いもなく水底へと堕ちていく人間たち。


 居合わせたでもないのに鮮明に映るその光景はまるで世界が罪深き行いを咎めているようにも思えた。


 濡れたズボンを布巾で拭い取ろうとすると、今度はぽつぽつと雨が降ってくる。たらりと頬を伝っていた涙に気づかず、何度も何度も血を拭うように動かしていた。


「叶多?」


 入ってきた伊吹に呼ばれ、慌てて涙を吹いて居直る。


「ごめんなさい! ちょっと手が滑っちゃったみたいで拭くものとか持ってくるので失礼しますね!」

「私が持ってくる。ここに居て」

「え? いや、あの」


 逃げる口実を作ったつもりが、彼女に催促してしまったようで申し訳無さがこみ上げてくる。


 すぐに替えの布巾と水のペットボトルを持ってきてくれて、ついでとばかりにテーブルと椅子を拭く。


「ありがとう……ございます」

「礼には及ばない。だって叶多は艦長だから」

「そうですか」


 同級生にやってもらうなんてことがなかったからか、自分でできないことに叶多は情けなさを抱いてしまう。


 それから黙りこくってしまった彼女を他所に、伊吹は机を一瞥して察した。


「考え事?」

「はい……少し」


 濁すような言い草に伊吹は頭を撫でて促す。


「悩みなら聞く」


 心配そうに見つめられては逃げ場がない。話さざるを得なくなってしまった叶多は思う。


 こういう聴き方は本当にズルい。


「沢山殺しました……仲間も敵も」

「うん」

「仲間を守れなかった……判断を間違えて榎本曹長を殺したんです。それが堪らなく憎くて、向かってきた人々を殺した。私が私じゃなくなっていって。誰も殺さないって約束したのに」


 我慢していた涙が目からボロボロと落ちてきた。


 ごめんなさい。ごめんなさい。そう心の中で必死に許しを請う。守らねばならないはずの仲間に、ただ感情任せに振るってしまった剣で殺してしまったにも。


「叶多は、よくやったと思う」

「そんなわけない!」

「ううん。少なくとも、帰ってこれる家を守ってくれた。戦いを止めるために努力してくれた」

「結果として殺した。もう榎本曹長は戻ってこない……」

「でも、叶多が戦ってくれなかった私達も帰る家を失ってた。だから、ありがとう」


 伊吹が叶多を胸に埋める。


 フライトスーツのゴワゴワした肌触りだったが、温かくて心地よい。


 帰る場所を守ってくれてありがとう。


 その言葉に気づかされた。自分の家を、大切な物を守るために戦っていたのだと。


 深く囚われていた悲しみが捌けるように涙で流れていった。


 枯らすほど泣いてから、叶多は腫らしためで伊吹を見る。


「気が済んだ?」

「はい。ありがとうございます」


 クールなようで意外と情に熱いのだと叶多は微笑み、一つ決意を固めた。


「仲間を守りたい。艦の代名詞『イージス』のように、みんなの居場所を私が守る。そのためだったら、もう躊躇わない」


 強くハッキリとした眼差しに伊吹は頷く。


 ――その決意が『はるな』を異世界で最強の盾たらしめる船へと進化させた。


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