――まったく、やれやれのやれだね。
泡沫は泣き崩れる小雨と、残る泡の欠片を見つめながら思った。
――今ので尻尾一個持ってかれちまったじゃねえか。
淡い光で形をなしていた泡沫の尻尾は九つから八つに変わっていた。やがて小雨の元で漂っていた泡が弾けて、細かい泡となって、泡沫の背中にある尻尾の中に紛れ込んだ。
――もういいか。
泡沫が小さく息を吐くと、尻尾や耳も一瞬で消え、元の人の姿へと戻った。
「小雨」
泣き崩れる小雨に、泡沫は手を伸ばした。
「立つんだ、小雨。一緒に帰ろう。それが、潺の望みだ」
「うた、かた、様っ……」
泣きながら小雨は泡沫の胸に飛び込んだ。
「私、何も、出来なかった……せせ姉さんに、たくさんのものを貰ったのに、何も、お返し、できなかった……っ」
「やれやれのやれだね」
この分だと、小雨が本当に恋をしていた相手はもしかして――。
いいや、やめておこう。今は、彼女は恋なんて知らない。そのままの方がいい。
泡沫は小雨の頭に手を置いて、言った。
「何も返せなくねえだろ。
「意味って……」
「このままじゃ、
「……っ」
小雨はさらに大粒の涙は流した。
透明な滴は周囲に散った。もう黒い雫は落ちてこない。
ということは、彼女の中から怨霊が完全に消えた証拠でもある。
「泡沫様、私、まだ、あの世界で生きていくのが怖いです。酷い事ばかり、辛い事ばかり……私達みたいな子が生きていくのに、この時代は残酷すぎるって、思います」
「ああ」
泡沫はただ頷いた。
「だけど、そんな時代でも恋だけは輝いている。どんな時代でも、恋はある。恋だけは美しく輝いている。せせ姉さんは、恋に落ちて死んだ。だけど、決して、不幸な人生だったわけじゃない。恋に命をかけた姉さんの人生は、誰よりも美しい」
「ああ」
「だから、私が生きて、生きて、生き抜いて、それを証明しないと、ですよね。姉さんの物語を悲劇にするかどうかは、姉さんに生かされた私にかかっている」
「ああ」
「私の人生は、姉さんの物語。だから、どんな辛くても、哀しくても、私は……生き抜いてみせます」
「ああ、そうだな」
泡沫の腕の中で笑った小雨の顔は、雨なんて欠片も連想させない快晴のような笑顔だった。
*
『あーあ、負けてしまいましたか』
「影」は、笑う。
『まあ、狐が出てきたあたりで、無理だろうと思いましたが……あー、でも、今回は、娘っ子の方は恋すら知らなかったわけですし、核になった大きい娘っ子は死んじまっていたわけですし……小生が負けたわけじゃないですね。うん、そうです、絶対にそうです。そうに決まっています』
ずっと一カ所に留まっていた黒い雲も消えつつある。もうじき、あの一帯を包みこんでいた黒い霧も消えるだろう。
『恋の数だけ、悲劇はつきもの。まだまだいるんですよ、小生の種になってくれる娘っ子達は。だって人間は、恋せずにはいられない生き物ですからね。いつの時代も、どんな時でも、必ず恋をして、恋に生きて、恋に死んでゆく。恋をして美しくなり、恋をして醜くなって……そして、恋に命を奪われる。本当に……』
『滑稽だな』
そう最後に呟くと共に、「影」はすっと姿を消した。闇に同化するように、気配一つ残さず。