手続きと一通りの挨拶をすませ、武音乙女は市役所を出た。
これからいよいよ任地である待宵屋敷へと向かうのだ。
「あっついなー!」
先程貰ったうちわをバタバタさせながら、乙女は歩いている。
今日はさすがにスーツ姿ではなかった。どころかTシャツにデニムシャツを重ね下はカーゴパンツ、と非常にラフな装いであった。
「あの~、あんまり気を使わないでも大丈夫ですよ。田舎のことなんでみんな知ってますから」
並んで歩いている若い男、萩森が遠慮がちに声をかけた。短髪で清潔感のある、いかにもな好青年である。
「え? なにが?」
乙女は素で意味がわからない様子だった。
「あの、武音さんが元アイドルってことも、新しい〝地方振興おたすけし隊〝の方だってことも……」
「あ~、それね」
乙女はスッと人差し指を反らし、萩森に向けた。唐突な動きにちょっとビクッとする。
「別に隠してるんじゃないの、これ。癖みたいになっててさあ。ごめんね。感じ悪い? 外す?」
乙女はサングラスを装着し、ベースボールキャップを目深に被っている。これの事を言われている、と気付いたのだ。
メガネの縁に手をかけて下にズラし、その野生を感じさせる美しい
「あ、感じは全然……。いいと思います!」
変にドギマギしながら萩森は答えた。
「そうお? ならいいけど」
再びサングラスを定位置に戻し、アーモンド型の瞳は夜霧のようなレンズの向こうに隠れた。
「……まだ夏も始まったばかりだってのに、こんなに暑いんだもんな~」
ぼやいてはいるが、乙女の顔はニコニコとして楽しそうだった。歩きながら物珍しそうに街並みを眺め、時々うちわを腰に挟んで器用にスマホを取り出し写真を撮っている。
おたすけし隊に採用されたことで、テンションが上がっているらしい。
「下よりはマシなんですけどね~。ここちょっと標高高いんで」
案内している萩森も心なしか声がはずんでいるように聞こえる。
「いや~武音さんが話しやすい人で本当によかったですよ」
萩森の言葉を聞いて乙女は、快活に笑った。
「まーな。元アイドルだし歳も若いし、で、どんなのが来るのかと思うよな」
「いえいえ! そういう偏見は全然無かったんですけどね。その……」
萩森は少し言い淀んだが、
「もう一人のおたすけし隊の方が……なんというか、ものすごく話しにくい人なので」
と、結局すんなりと喋ってしまった。
隠してもいずれわかることだと思ったのだろう。聞いている乙女も、特に大袈裟に反応することなく、へぇ、と軽く返事をした。
「この仕事長いの?」
「えっ?」
「いや、なんつうのかな。こう、町おこしみたいな」
「ああ、いえ、僕臨時職員なんですよ。ついこの間採用されまして。色々あって、係の者の補助みたいなことをすることになったんです」
とはいうものの、ノーネクタイではあるが白のYシャツにスラックスと一応カチッとした格好はしていた。
「そうなの?」
乙女は意想外の声を出す。
「ああ、そういえばあたしの担当の人、女だって聞いてたな」
「ええ、山名雅樂って人ですよ。なんか今日は体調が悪いらしくて」
萩森は軽くため息をつきながら言った。
「……もしかしてあんまりやる気ない感じの人?」
さっき市役所の中で会った人間を思い出してみても、それらしき人物はいなかった。
萩森の態度や初日から休んでいることなどを考え合わせ、乙女は勘ぐってしまったのだが、
「いえ、やる気はある人です。なんか色々事情があるみたいで……やる気がありすぎるっていうか……」
彼は即座に否定した。しかしなんとなく要領を得ない話し方である。
「あら、
「ああ、こんにちは」
萩森に話しかけてきた老婦人がいる。二人は既に商店街に差し掛かっており、ほぼシャッター街と化しているものの、他よりは多少人通りが多いのだ。
「こちらのかたは、今度地方振興おたすけし隊で斧馬に来られた武音さんです」
「よろしくお願いします。武音乙女と言います」
「へえぇ……おたすけし隊の……」
挨拶した乙女を、老婦人は目を大きくして眺めまわす。
「じゃああんたが、あの待宵屋敷に……はあぁ。へえー……」
聞いていてもどかしくなるような声の出し方であった。
「まあ、なんか変わったこととか困ったこととかあったら、すぐ誰かに言いなはいよ。市役所の人間でも近所の人でも誰でもええけんなあ……なんなら警察でも……」
「ちょっと! 山本さん!」
萩森が慌てて制止すると、老婦人は〝ああ、ごめんごめん〟と言いつつ、去っていく。
「すいません、変なこと言ってましたけど、あんまり気にしないでもらえると……」
「ああ、いいよ。あたしの心配してくれてたんだろ。いい人じゃん」
「いやあ……そう言ってもらえると助かります」
萩森はほっと胸を撫で下ろしたようだった。
広い敷地を持つ小学校の横を通ると、坂道である。
「ここからちょっときついかもしれませんが」
「へーきへーき」
視界を遮る物は何もないので、かなり傾斜のキツい坂道は全て下から丸見えだったが、乙女は意に介した様子はない。