アスファルトの道路を過ぎ、コンクリートで固められた山の裾に辿りつく。ここからまだ、もう少し登らなければならなかった。
「とうちゃーく! おおー! ここまで登ったら眺めいいな!」
「あっ……ほんとに……大丈夫そうですね……」
案内した萩森のほうが息を切らしている。
「あはは。アイドルは体力ねーとできないからな」
少しの間、乙女は萩森が息を整えるのを待った。
「ここがあたしの任地?」
「ええ……ようこそ待宵屋敷へ! ははは」
いささかとってつけたように言い、萩森は入口の鍵を外し始める。厳重に閉じられているようで、手間取っているようだった。
「おお、広いなあ」
建物の中の空気は心なしかひんやりしている気がする。
「今電気付けるんで、待ってくださいね。暗い中歩き回ったら危ないですよ……おかしいな。電気はきてるはずなんだけど……」
ぶつぶつ言いながら、萩森はその辺をまさぐっている。
「お、点いた……。うわあ……」
中は、乙女が想像していたよりもずっと傷んでおり、老朽化が進んでいるようだった。
「ずっとほったらかしでしたからね……。まあ、だから武音さんに来てもらったわけなんですが」
「おう」
乙女の頼もしげな返事を聞き、萩森は嬉しそうに顔をほころばせる。
「もうご存じかと思いますが、一応ここの説明聞きます?」
「忘れてるとこあるかもしんないから、お願い」
「わかりました。ここ、待宵屋敷は明治後期、地元の実業家・西城寺宗吉氏が居宅として建てた擬洋風建築の建造物です」
おそらく暗記しているのだろう萩森は、スラスラと説明を続ける。
「西城寺家は後年、政治の世界にも進出し、斧馬の地で繁栄していたのですが、およそ十年前西城寺家最後の当主・西城寺兼吉氏が他界して後、跡取りがいなかったため、本家は断絶してしまいます。その後すったもんだあって、この待宵屋敷は保存されることになりました。南二名市の公の施設となり管理されることになったのです」
「で、この建物を使ってなんとかして儲かるようにすりゃいいんだよな?」
「儲かるといいますか……まあ収益化出来れば理想ではあるのですが……」
萩森は、何事か思案しているようだ。
「ここだけの話、そこまでこのミッションに熱心に取り組んでいただかなくても大丈夫ですよ。武音さんはまだお若いですし。ご自身の先のことも考えながら、活動していただいたほうが……」
「ん? どういうこと?」
乙女から見た限り、萩森はサボり魔という風にも見えない。
「僕もこの担当になってから色々調べてみたんですけど……」
萩森の主張は、かいつまんでいうとこういうことのようであった。
地方振興おたすけし隊の隊員は契約期間が決まっている。乙女の場合、三年だ。この三年は〝最長三年〟なので、三年以上に契約が延長されるということはない。その期間を過ぎると当然契約終了ということになる。
その地域に根差し、何かしら農業なり事業なりを起こすおたすけし隊の場合、三年の間に活動を軌道に乗せることが出来れば(市からの給料や活動費の支給は止まるが)引き続き、生活することが出来る。
しかし乙女のような、特定のミッションを遂行するために就任したおたすけし隊の場合、契約期間終了と同時に、たちまち失職してしまうのだ。
「地域によっては、事前にこういうことについて〝確認があった、ない〟とかでトラブルになることもあるらしいんですよね」
「ほうほう、なるほど」
「武音さんの場合、副業OKの雇用形態ですから、おたすけし隊としてのミッションと並行して、次の仕事につながるような副業をしていただいても全然かまいませんし、あ、おたすけし隊の活動の方をおざなりにしてもらってはもちろん困るのですが……」
「うん! わかった! 大丈夫」
乙女は、はじけるような笑顔で萩森の話を遮った。
「そういうのコミコミで来てっからさ。マジでへーき。おたすけし隊の仕事、頑張るよ。あたし今、結構金持ってるしね」
乙女が言うと、あ、ああ、と萩森は思い当ったようである。
「そ、そうですね。武音さんは著述活動とか色々されてるそうで……余計なお世話でした。私なんかが口を出すようなことじゃ、うわっ!」
不意に萩森は咽喉の奥から声を上げ、後ずさった。気付いたら乙女の顔がすぐ目の前にあったのだ。
「気にすんなよ、気ぃ使ってくれたんだろ? ここじゃあたしはよそもんだし、知り合いとかもいないからさ。そんな風に考えてくれんのは嬉しいよ。ありがと」
「はっ、はいっ!」
うわずった声で返事をする萩森を見て、乙女はヘヘっ、と悪戯小僧のように笑った。
「間近で見ると結構可愛いかったろ?」
「えっ?」
「これでも元アイドルだぜ。ナメんなよ」
「な、ナメてませんよ! っていうかからかわないでください!」
乙女は萩森の抗議を、ハハハッっと軽い笑い声で流した。