虫たちの唸る羽音に悩まされながら、峻と冬絹はかささぎ峠の山道を登っていた。
「……あ、あれ。もうすぐなんじゃない?」
「……そうかな」
疲労と暑さのせいで言葉少なになっていた二人はやっと少し元気を取り戻した。
地面に差す木漏れ日が少しずつ勢力を増していき、周囲が明るくなる。
だいぶ木が少なくなったな、という所でU字型に蛇行している角を曲がると急に視界が開けた。どうやらここが山頂、峠の天辺らしい。
「うわ~疲れた~!」
「きっついよな……」
峠の一番上は平らになっており、しばらく誰も使っていないであろう、一見廃墟のようなベンチとテーブルが置いてあった。葉や土が降り積もり非常に汚れていたが、二人は迷うことなく座り込む。
「なんだろこれ……? 峠の茶屋か何かがあったのかな?」
「わかんねえ。茶屋とかいうより、なんか公園の椅子っぽいけどな」
少なくとも今は、人の休憩出来るような建造物はここには見当たらない。
「……で、古墳ってどこにあるの?」
汗を拭きながら呟く問う冬絹に答えるためか、律義に峻は首を回して周囲を窺ってみる。
「さあ……」
整備されてない、と聞いてはいたが本当に案内板一つ立っているわけでもなく、普通の山中となにも変わらない。自分たち以外に人もおらず誰かに聞くわけにもいかなかった。
「それっぽい、ちょっと小高いところとか、瘤みたいな土の塊はあるけど、どれかはわかんねえな……」
「でも、ここ見晴らしもいいし、綺麗なとこだね」
「ああ。ホントに向こう側に海が見えるな」
峠と言うだけあって、ここからは斧馬と隣町の両方の景色が見渡せる。斧馬と反対側の町は港町らしく、彼方には夏の陽に輝く海原が細やかな波を作っていた。
二人の乱れていた呼吸が少しずつ戻ってくる。
峻のほうがより疲れていたが、急に空元気を振り絞るようにして、
「よし、あれにしよう!」
と、一つの隆起を指差した。
「う~ん。言われてみれば古墳っぽく見えなくもないかも……」
「〝尋め行きて まだ墓見えぬ 夏木立〟」
「あ~、わりと好きかも」
唐突に作句した峻に対し、冬絹は何事か理解したような素振りを見せる。
「そう?」
「さっきまでまさにそんな感じだったからね~」
「うん。ただ墓っつうのがな……。ちょっと古墳っぽくないよな。なんか後で考えるか」
しばらく思案し、
「……よし。〝いにしえの 目の降りそそぐかな 夏の斧馬〟」
再び作句する峻。
「う~ん。ダメっぽい」
「なんで?!」
「なんか作為的」
「作為的なのは当たり前だろ! 俳句作ろうと思って俳句作ってんだから!」
「もうちょっと写生みが欲しいかな」
言い返そうと口を開きかけた峻は、不意に口を閉じた。
「ど、どうしたの?」
何か只事ではない雰囲気を感じ、冬絹が峻に問う。
「しっ! ちょっと黙って」
真剣な面持ちで、峻は人差し指を立てた。
「なんか聞こえないか?」
「えっ? どうかな……」
冬絹は耳に掌を添え、辺りの音に耳を澄ませる。
こう こう こう
……
こう こう こう こう こう
冬絹にも確かに聞こえた。一定のリズムで規則的に何かの声が空気を震わせている。
「なんだろあれ? 野鳥の鳴き声かな?」
「違う。鳥じゃない」
のほほんとしている冬絹と対比して、峻は額にじっとりと冷や汗を滲ませていた。
「ちょっと……近づいてみる。お前は来なくていい」
「冗談でしょ? ついていくよ」
峻は、音の方角を察知しているらしく、静かに移動を始める。
こう こう こう
こう こう こう……
あれ、あめのほあかりにぎはやひのすえのものなり
せんかのきみをいわいまつるなり
あめのひつぎし、おおきみののりよもにひろめん
たいらけく いくひさいくひさ
こう こう こう
……
「あれだ……」
峻の指差した方角は、先程彼が適当に古墳認定した土の隆起だった。
丘の上に、上から下まで真っ黒づくめの人物が立っている。女のようだった。彼女がこの何か、呪文めいた文句を延々と唱えているらしい。
「あの人何してるんだろう? ここでコスプレイベントでもやるのかな?」
「違う」
こう こう こう こう こう
よみのしじまをやぶり おおきみたちのみたま
うつしよのうじょうにかえしたてまつる……
こう
「あれは、あれだ……その、俺もよくわかんねえけど、多分幽霊を呼びだそうとしてんだ」
「え? 本当に?」
冬絹の顔がパッと輝く。
「すごい! 町おこしでやってるのかな? 何か見える?」
バカ、と言って峻は小さく舌打ちした。
「町おこしであんなことするアホがいるかよ。ガチでヤバい場面かもしれないぞ、これ」
峻の瞳には、女の前に何か黒い霧のようなものが地面から立ちあがるのが見えていた。
「視えた……」
「ええっ? 君が見えるんなら本物ってことじゃない。すごいすごい! 呼び出してる幽霊は古墳に埋まってる人?」
「わかんねえよそんなの! 静かにしろ!」
女は手に何か短い棒のようなものを持っている。変わった形状をしているが……見ようによっては刃物のようにも見えた。
「あの持ってるやつなんだ? 着てる服も普通の生地じゃねえ。やべえ……」
悪寒を感じているらしく、峻は身震いしている。
「ねぇ、今近寄っても大丈夫かな? あれ終わってからのほうがいい? あの人に話聞きたいんだけど」
「お前ホントにバカだな! もう帰るんだよ! とっとと逃げるぞ!」
女は唱えるのを止めた。今のやりとりで峻と冬絹に気付いたようだ。
ほんの少し、棒を持ってないほうの手の指を、ついっと動かす。
「あ、あれっ? なにこれ? うわ! 痛たたたた!」
蜂が五、六匹二人に寄ってきたらしく、冬絹は慌てて振り払ったが、なかなか離れようとしない。
「ほら、ちょうどいいじゃん。帰るぞ!」
峻は冬絹を引っ張って、転がるようにして下山していく。
「……邪魔が入ったか。まぁ、あれなら大丈夫そうね」
女は、去っていく峻と冬絹を見ながら、ぼそっと呟いた。