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第48話

 薬子は、袖から何かキラキラ光る物を地面に落とした。


「辺津鏡」


 何か薬子が呟いた、ということを乙女が何となく認識した瞬間、身体全体に甚大な負荷がかかる。


『な、なんだこれ』


 乙女が片膝をつき、薬子を掴んでいる手が離れそうになった瞬間、薬子がその薄い唇を再び開きかけた。


『やべえ。なんかやる気だ!』


 乙女は、また謎の力で何かされると気付き反射的にする。目前の薬子に思い切ってタックルをかましたのだ。


 〝ぐぅっ〟と薬子はくぐもった声を上げた。二人はもんどり打って丘を転げ落ちる。



「沖津鏡」



 辛うじて発した薬子の呟きがまたもや謎の力に変換され、乙女の身体はくの字に曲がった。遠くまでは飛ばされずにすみ、丘の急な斜面に叩きつけられる。


『痛ってぇ……。内臓ぐちゃぐちゃになってねえか、これ』 


 乙女が普通の人間のままであれば、骨格も合わせてそうなっていたであろう。


 薬子はヨタヨタと起き上がり、乙女に向けてまた何かしようとしている。 


 乙女は瞬間的に脳が沸騰してしまう。

「てめえ、いいかげんにしやがれ!」


 ただ、一片の理性は残っていたのか、乙女の攻撃は平手で薬子の頬を張っただけに止まった。


 手加減はしたのだが、それでも今の乙女の力は半端ではなく、薬子は紙人形のように吹っ飛び地面に横たわる。


「わ、悪ぃ。大丈夫か?」 


 それきり動かない薬子を見て乙女は不満になり、恐る恐る声をかけるが返事が無い。



「殺す!」



 疾風のように、ミラが戻ってきた。文字通り鬼のような形相でキョロキョロしている。薬子と乙女を探しているようだ。

「おい、ちょっと落ち着けよ」


 乙女はうっかり声をかけてしまった。すぐにミラが駆け寄って来る。


「オトメ! あいつどこにいるの?!」


 ミラは牙を剥き出しにし、瞳に殺意を漲らせていた。


「いや、あの、お前ちょっと向こう行っててくれよ。今あいつと話してんだからさ……」


 実際には話すどころではなく、薬子は地面にのびている。


「この手でギタギタにしてやらないと気がすまないのよ!」



「ミラちゃ~ん! 一人で先に行ってはダメですわ~」

 雅樂のどこかのんびりした声がこだました。だんだん近づいてくる。


「オトメ! あいつに私のことどう伝えてるの?! なんか子供扱いしてきて調子狂うのよ!」


「どうって別に。なんも言ってねーけど……。でも多分人間だとは思ってないよ。お化けだと思ってるんじゃない? お前雅樂ちゃん脅かして遊んでたじゃん」


「だから! あの時あんなに怖がってたのに、なんで今はあんな親戚のオバちゃんみたいになってんのよ!」


「さあ……。慣れたのかな?」


 乙女が頭をポリポリ掻いていると、夜のしじまを揺さぶるような、低い声が地を這い響き始めた。


「ジャコウサイモン……」


 辛うじて聞きとれた文句の一部は、このようなものだったが、意味はわからない。


「カカ、アマ、ミクマリヨリ、コボレクダシ、イヅノミタマ、イフヤノサカヲ、ナガレコボシ……」


 続けて重苦しい声が、朗々と読経のように連ねられていく。


「なんだこれ? ……薬子の声か?」


 乙女はようやく気付いた。普段の声と違い過ぎる。


「そうよ! あの女どこにいるのよ?!」


 乙女は先程、薬子の身体が横たわっていた地面に視線を向けてみたが、いつの間にか彼女は消えていた。


「あっ……! ミラちゃん……! やっと見つけましたわ!」


 息も荒く、雅樂が二人の元に駆け寄ってくる。


「も、申し訳ございません……。ミラちゃんを助けに行ったものの、なかなか発見できず……」


「一人で戻って来られるわよ! バカにしないで!」


「あら?」

 ミラの言葉には応じず、雅樂は耳を澄ました。


「なんですの、この……地獄の底から聞こえてくるような……」


「ああ、薬子がなんかやってんだよ」

「新早様が……?」


 雅樂は怪訝な表情を見せる。


「なんか〝ジャコウサイモン〟とか最初の方で言ってたような……」

「ジャコウサイモン……じゃこうさいもん……?」


 雅樂は額に手を当て、頻りに記憶の糸を手繰り寄せようとしているようだ。


「あっ! 〝蛇公祭文〟!」

 ようやくピンときたらしい。


「な、なによ」

「確か禁忌中の禁忌だったような……」

「具体的にどういうもんなの?」 


 さすがに乙女も多少緊張の色を隠せない。


「それが……むか~しお婆様に聞いたことがあるのみなので……ちょっと記憶が……」

「さっさと思い出しなさいよ! 役に立たないわね!」


 急かされ、ますます雅樂は眉間に深い皺を刻むが、なかなか必要な知識を釣り上げられないようだ。  


「あそこだ!」


 乙女が指差した先は、先程二人が居た古墳の丘の上である。幽鬼のような影が揺らめきながら、何やら唱えて続けていた。薬子だ。


「ああ、思い出しました! 確かお婆様は蛇公祭文のことを、〝死者の眠りを起こす唄〟と仰っていたような……」


 その時、薬子の呪歌を紡ぐ声が一際高くなった。


「クチナワガラミ、ケガレムスビ……ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、ここの、たり……」


「布瑠部由良由良止布瑠部!」


 最後の言葉が闇の虚空に弾けた瞬間、地面が船上の如く大きく軋み、揺れ始めた。


「じ、地震!?」


 雅樂は腰を屈め、地面に手をついてしまっている。


「落ち着け!」


 乙女は雅樂に駆け寄り、肩を抱いた。ミラはさっさと空中に避難している。


『なんかおかしいぞ、こりゃあ……』


 丘の中心、最も高い場所が下から何か突き上げているような塩梅で〝ボコッ、ボコッ〟と音を立てて間欠的に盛り上がっている。 


「あ、あれ、玄室の辺りですわ……」


 雅樂が、やっと咽喉から絞り出すような声で呟いた。


「玄室?」


「その、昔の人のかばねが仕舞ってあるところです」


 屍などというのは古い言葉だが、この場所で聞くと妙に生々しく感じる。


 やがて、仄明るい夜空を背景に、棒のようなものがすっくと立ちあがった。


 二、三……四体いる。


「あれなに?」


「おそらく被葬者です。ここの屍は黄泉返りを防ぐため、バラバラに砕いて埋葬した、と我が家では伝えられていたのですが……。げに恐ろしきは蛇公祭文」


 雅樂の声は震えていた。


死霊術ネクロマンシーか……厄介ね」


 乙女の近くまで降りてきたミラが、不機嫌そうに舌打ちする。


 さすがに肉はついていないが、それはまごうことなき死者の姿であった。


 どういう原理かはよくわからないが、肉も内蔵も無い骸骨が丘を降りてくる。あまり友好的な印象は受けなかった。



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