「ここは……教室?」
最初に状況を把握したのは、やはりルナリアだった。
彼にとっては馴染み深い光景は確かに2-Aの教室。
「……なにさ、これ。私達なんでこんなとこにいんのさ?」
ティーファが八本の脚を落ち着きなく動かし、混乱を隠せない様子で呟く。
「なんだぁ?オレ達はさっきまで廊下で暴れてた筈だよなぁ!?」
ナサラオが巨体を揺らしながら辺りをキョロキョロと見回せば、その隣では人魚が船酔いでもしたかのように顔を青くしていた。
「うぇ〜……気持ち悪いっス……。なんか、全部がぐるぐる回って……オェェ……オェー!!!!」
一体何がどうなってんだ、と誰もが目を白黒させる。
だが教室に強制送還されたのは、彼らだけではなかった。
「っなんだ!?何が起こった!?」
リーゼントを逆立てんばかりの勢いで叫んだのは、バルドだ。
そして、そのすぐ側では──。
「あぁセツィオ、ここは天国かしら?随分と貧乏くさい場所だけれども」
「あぁネリエット、ここは恐らく教室だよ。僕達の愛の巣に比べれば、随分と貧乏くさい場所だけれどね」
床に転がっていたはずのヴァンパイアと人間のカップルが、水浸しのまま優雅に抱き合っている。
この世の終わりみたいな状況で、二人は相変わらず自分達だけの世界を構築していた。
「ぐわぁ〜目が回る……!」
「んはぁ〜この剣、たまんねぇ〜……(スリスリ)」
更には、ハーピーの男子生徒とドワーフの少女も転がり込んできた。
男子の方はヨタヨタと千鳥足で、少女の方は周りの混乱などどこ吹く風、恍惚の表情で自作の剣に頬ずりしている。
そう、ここにいる全員は、この場所に強制転移させられたのだ。
ルナリアは状況を整理しようと、同じく転移させられたであろうリーゼントの不良、バルドに声をかけようとした。
「バルドくん、これは……」
だが、その言葉は最後まで紡がれることはなかった。
空気を切り裂くように、甲高い笑い声が教室に響き渡ったのだ。
聞きたくもない、あの忌々しい声が……。
「タイムアァーップ!! 時間切れだぜぇ、クソガキ共!」
その姿を見て、ルナリアは確信する。
教卓の上に王様気取りでふんぞり返り、片手にはもちろん酒瓶を握りしめている、炎のような赤髪の男。
この狂った茶番の黒幕が、そこにいた。
「……アンタの仕業ね!!」
ティーファが八本の脚をワナワナと震わせ、殺意の籠もった視線を教卓に向ける。
その視線すら玩具にするかのように、アルヴェは愉快げに喉を鳴らした。そして、祝杯でもあげるかのように酒瓶をグイッと煽る。
「へへっ、当たり前だろうがよ、蜘蛛女。おいおい、そんな可愛い顔で睨むなよ?自慢の厚化粧が台無しだぜ?ぎゃははは!!」
一頻り下品に笑った後、アルヴェは心底どうでもよさそうに続けた。
「なんだぁ? もしかして気分でも悪いのかぁ?空間転移は慣れないと酔っちまうからなぁ。いやぁ、可哀想に……くっくっく……。良かったなぁ、戦時中じゃなくてよ。酔ったまま殺されるってのは……最悪だからなぁ」
アルヴェはゲラゲラと笑っていたが、やがてその表情からスッと色が消える。
酔いが醒めたかのように、血のような赤い瞳で、教室に転がる「ゴミ」どもを睥睨した。
「さて……」
彼は芝居がかった間を置いて、宣言する。
「第一回『ゴミ拾い』大会を開催したわけだが……こりゃ大漁だぁ。テメェら、案外ゴミ拾いの才能あんじゃねぇか?」
アルヴェは集められた粗大ゴミの山──もとい、生徒を見渡し、心底愉快そうに口の端を吊り上げた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……んん? おいおい、大漁じゃねぇか! 新しいゴミが10匹以上いやがる!」
(10人以上……?)
アルヴェの言葉に、ルナリアは小さく首を傾げる。
自分たち四人に、バルドとあのカップルで七人。そしてさっき転がり込んできたハーピーとドワーフで……合計九人のはず。数が合わない。
その疑問の答えは、すぐ足元で転がっていた。
呻き声と共に、何かが蠢く気配。見下ろせば、そこには先ほど廊下で叩きのめしたはずの、ゼノン一派の不良達が折り重なるように倒れているではないか。
「うっ……ぐぐぅ……」
「なんだ、ここは……!?くそ、頭がいてぇ!」
どうやら運悪く転移に巻き込まれてしまったらしい。彼らは皆、教卓の上の「悪魔」を見上げていた。
もちろん、そんな事情など、酔っ払い英雄が知る由もない。
彼は不良達をルナリアが捕まえてきた「獲物」だと盛大に勘違いすると、実に満足げにこう続けた。
アルヴェは酒瓶をルナリアの方に掲げ、勝者を称えるように高らかに宣言する。
「こりゃあルナリアの優勝かぁ!? やるじゃねぇか、お坊ちゃんよぉ!」
アルヴェは邪悪な笑みを漏らしながら、おもむろに教卓から立ち上がる。
「そうかそうか、お前が優勝か…… よし、優勝賞品はテメェのものだ! くくく……」
そう呟いた直後。彼の両手に、教室の空気を歪ませるほどの魔力が渦巻き始めた。
意味不明な単語をぶつぶつと、しかしどこか楽しげに呟き始める。それは古代語の呪文か、それともただの酔っ払いの戯言か──。
「久しぶりの大魔法だ……けけけ、喜ぶだろうなぁ、アイツも……」
その光景に、ルナリアの背筋が凍りついた。
(まずい!なんか凄い嫌な予感がする!)
早くこの盛大な勘違いを正さなければ、とんでもないことになる──!
「せ、先生!彼らは2-Aの生徒ではありません! なので、その……優勝賞品はまだ……!」
ルナリアの必死の制止に、アルヴェは「あぁん?」と間の抜けた声を漏らす。
楽しい遊びを邪魔された子供のように、不満げに眉を寄せた。
「え?マジで……?あー、でももう……」
アルヴェが面倒くさそうに頭を掻いた、まさにその瞬間だった。
「ようやく見つけたぜ、『支配者』がァッ!!」
ゼノン一派の不良が、最後の力を振り絞るように叫びながら立ち上がる。
「これはゼノンさんからの『ご挨拶』だ! 受け取れやぁッ!!」
その叫び声と共に、隠し持っていた魔導弾がアルヴェめがけて放たれた。
教室が閃光に包まれる──かと思われた。
パシュン、と。
実に気の抜けた音と共に、魔導弾はアルヴェの眼前に現れた半透明の緑色の膜に阻まれる。
粘着質の網にでもかかったかのように勢いを殺され、ポトリ、と力なく床に落ちた。
コロコロと虚しく転がるそれは、もはやただの金属の筒でしかない。
「「「「「へ?」」」」」
不良本人も、それを見ていた他の生徒達も、皆一様に口を開けて固まる。
あまりにもあっけない結末に、思考が完全に停止していた。
「──1つ。勉強の出来ねぇクソガキ共に教えてやろう」
静寂を破ったのは、アルヴェの呆れたような声だった。
彼がパチンと指を鳴らすと、ゼノン一派の不良達が、操り人形のように重力に逆らって宙へと浮かび上がる。
「「「な、なんだこりゃあ!?」」」
「いいか? 魔術師相手に魔導弾を『投げる』なんざ、三流以下のゴミがやることだ」
アルヴェは千鳥足で、しかし獲物をいたぶる蛇のように、宙に浮く不良達へと歩み寄る。
その顔には、子供の無邪気さと悪魔の残虐さが同居したような、凶悪な笑みが張り付いていた。
「見ての通り、こんな安っぽい結界一つで『はい、おしまい』だからなぁ。じゃあどうするべきか?」
アルヴェはニヤリと笑う。
「──こうするんだぁ。自分の体に巻きつけて、潔く特攻するんだよ……」
次の瞬間、アルヴェの魔導外套から滝のように無数の魔導弾が溢れ出す。
ピタピタピタッ!と、それらは吸い寄せられるように不良達の体に貼り付いていった。
「ぎゃあああああああ!!?」
「や、やめろぉ!」
「なんだこれ!取れねぇ!」
もはや悲鳴とも絶叫ともつかない声を上げる不良達を乗せて、多種族メリーゴーランドが教室中をグルングルンと凄まじい速度で回り始める。
時折、壁や天井に激突しては火花を散らす、実にスリリングなアトラクションである。
その地獄絵図を、アルヴェは満面の笑みで眺めていた。
一方、他の生徒達は──言うまでもなく、ドン引きしていた。
「や、やめろ!助けてくれぇ!」
アルヴェはメリーゴーランドを楽しんでいる不良たちを満足げに眺めながら、実に楽しげに言い放つ。
「ゼノンとやらに伝えとけや。魔導弾の出来はまぁまぁだが、詰めが甘ぇってよぉ。俺なら手下の身体に魔導弾埋め込んで、特攻させるね!ギャハハハ!!」
狂ったような高笑いと共に、アルヴェが両手をバチンと合わせる。
「ぎゃああ!!!!」
「な、なにを──」
そして──不良達の身体がぐにゃりと歪み、悲鳴ごと空間に溶けるように消え去っていく──。
静寂が、教室を支配した。
「……」
誰も何も言えない。
だが、その中で……ユミルだけが、ドン引きしながらも、口をゆっくりと開いた。
「え……こ、殺したんスか……?」
ユミルが震える尾びれを必死に抑えながら、おずおずと尋ねる。
そう、目の前のこの男ならば何の躊躇いもなくやってのけるだろう。
「あぁん? そんなつまんねぇことするかよ」
アルヴェは心底退屈そうに鼻を鳴らす。
「ゼノンとやらのところに、親切に送り返してやっただけだぜ? いわゆる『サプライズプレゼント』ってやつだ。きっと喜ぶだろうなぁ! いきなり天井から魔導弾を巻き付けた手下共が、大量に降ってくるんだからよぉ! ひゃはははは!!」
狂気的な高笑いを聞きながら、教室に残された生徒達は、ただ黙って戦慄するしかなかった。
そして、全員が同じ思いを胸に刻み込む。
──この教師にだけは、絶対に逆らってはいけない、と。
ハーピーの不良青年……ヌゥモは完全に腰が引けており、冷や汗を垂らしている。
「な、なんだよコイツ……マジでヤベェ……」
一方、床に転がっていたはずのラブラブカップルはいつの間にか立ち上がり、この地獄絵図すら自分たちの恋愛劇場の一部と化していた。
「あぁ、悪魔のような少年がいるわ、セツィオ。もちろん貴方はアレから、私を守ってくれるのよね?」
「多分無理だと思うけれど、二秒くらいなら時間を稼げるかもしれないね。その間に逃げるんだよ、ネリエット」
生徒達の戦慄など知ったことではない、とでも言うようにアルヴェは先程までの狂気的な笑みをすっかり消し去っていた。
そしてどこかバツが悪そうに頬を掻きながら、ルナリアに向き直る。
「あ〜……その、ルナリアくんよぉ」
歯に物が挟まったかのような、実に珍しい物言いだった。
「てっきりテメェが優勝だと、俺様は早とちりしちまってな……つい、その……大魔法をだな……いや、悪かった!俺が間違ってた!だから許せ!な?いいだろ!?」
その意外すぎる謝罪に、今度はルナリアが困惑する番だった。
一体、何に謝っているのだろうか。
(謝る……? この人が……?)
なぜ彼が謝罪する必要があるのだろうか。
言葉の真意を測りかねながらも、ルナリアはひとまず頷く。
「え……えぇ。もちろんです」
その返事を聞いた途端、アルヴェの表情がぱぁっと晴れやかになる。
長年の親友にでも再会したかのように、バンバンと力強くルナリアの背中を叩きながら、実に晴れやかな笑顔で口を開いた。
「そうかそうか! さすが俺が見込んだ青年だ!いやぁ、実はよぉ?」
アルヴェは、今しがた拾ってきた道端の石ころの話でもするかのような、実に軽い口調で続ける。
「テメェの親父、ハルペーの野郎をぶっ殺してやろうと思ってな。さっき奴の屋敷に、ちょいとデカめの隕石を落としちまったんだよ。だから今頃、死んでるかもしれねぇんだわ!」
シン──と。
教室が、墓場のような静寂に包まれた。
バルドも、ティーファも、ユミルも、他の生徒達も……全員が、今しがた自分たちの耳に入ってきた言葉の意味を、理解できずに固まっている。
「もしかしたら街ごと消し飛んで、住人も皆殺しにしちまったかもしれねぇ!ぎゃははは!ま、でもテメェが許してくれたから、これでチャラだ! な!はい、この話はおしまい!やめやめ!!」
そんな生徒達の凍りついた視線を一身に浴びながら、アルヴェは心の中で一人うんうんと頷いていた。
俺は悪くねぇ
コイツが許したんだから、もう問題ねぇよな!
こうして──。
記念すべきクラスメイト狩りは、終わりを迎えたのである──。