「僕達、結婚してみない?」
何の冗談かと女性は呆れた表情をし、言った本人である男性は笑みを浮かべていた。
だが、彼も冗談と言い切ることは出来ない理由があってのことだった……。
藤堂陽介(とうどう ようすけ)。彼は日本有数の財閥「藤堂グループ」の御曹司である。その人柄は、所謂世間一般の財閥の御曹司のイメージからは程遠い、太陽のように明るく、人懐っこい性格をしている。容姿端麗ではあるものの、そんなに行き過ぎた美しさではないし、一般人に紛れてもそう違和感はないレベルである。そんな陽介は、誰からも愛される存在で、まるで家族のように接されることが多々あった。
しかし、そんな陽介にも困りごとというものはやはりあった。
家が財閥だとやはり跡継ぎ問題というものがあり、このところ、陽介はそのことで頭を悩ませているのだった。
父親から強く「跡継ぎを早く作れ」と、まだ相手もいないのに無茶を言ってくるのだ。
それを伝えたところ、父親は「ならば結婚すればいいだろう」と結婚をするようにと迫ってきたのだ。
自由な恋愛をすることさえままならない。
一体、どんな権利があって、人の自由を奪うのか。
(親父のことは素直に尊敬出来るところもあるけれど、こういうところは尊敬したくないな……)
陽介はそんな父親に対して、どうにかして一泡吹かせたいと考えていた。
今更恋愛する気力もないし、そもそも恋愛する気もないのに恋人を作ったところでその恋人が可哀想だ。
恋をしてもらっても、返すものがない。
(返すものがあれば、それでいいというものでもないけれども……。あ、そうだ)
陽介はふと思いつく。
恋愛をすっ飛ばして結婚してしまえばいいと。
でも、その結婚だと、父親の言う相手と結婚するしかなくなるだろう。
それだけは嫌だ。
だったらどうしたらいいのだろうか。
「……契約みたいな結婚。そうだ、契約結婚なんてどうだろうか」
いいことを思いついたとばかりに陽介は少しだけ笑みを浮かべた。
期間は父親を欺けるだけ。それこそ一年もあればいいのではないだろうか?
一年間の契約で、結婚してくれる人を探せばいい。
報酬は……ある程度のお金と、暮らし。
あとは、結婚生活が終わった離婚後の一生を多少フォローするということ。
もちろん、職場だって財閥の手が及ぶところならどこにでも就職出来るようにするし、将来的には離婚が響かないようにすることだって、ある程度なら……。
「まあ、僕と最初から結婚しようなんていう、お金目当てのやつとは結婚しないけど」
そうぼやいて、陽介はスーツを着ると、自身のオフィスへと足を運んだ。
そこには秘書である白石紗希(しらいし さき)がいつものように清潔感のあるスーツ姿で陽介を待っていた。
「社長。おはようございます」
「はい。おはよう。紗希さんは今日も相変わらずかっこいいね」
「それはそれは、素敵なお世辞をありがとうございます」
「お世辞なんかじゃないんだけどなぁ」
紗希は陽介の何代目かの秘書で、今のところ、一番相性がいいと陽介は思っている。
ちょっとした冗談にも本気になることがなく、冷静沈着で、もちろん真面目。
「君みたいな人が妻だったら、きっと親父も納得してくれるのになぁ」
「それは、とんでもない冗談ですね。私のようなただの秘書と結婚したところで、あなたのお父上様は納得しないでしょう」
「まあ、そうかも……? あ、でもさ」
そして、すべての始まりに繋がるのだ。
陽介はにこっと微笑んで紗希にこう言う。
「僕達、結婚してみない?」
それを聞いた紗希は一瞬きょとんとした表情を見せると、呆れたようにため息をついた。
「……なんのお遊びですか。今度は」
「んー、遊びじゃないよ。本気。でも、本当の結婚だけど、期限付き」
「どういうことですか?」
紗希が疑いの眼差しをしながら陽介に話を聞くと、陽介は「実は親父に言われてさ」と事の経緯を話し始めた。
「はあ、なるほど。つまり私をその仮面夫婦になること間違いなしな妻にお選びになったと……」
「そうじゃなくてさ。君は僕と結構な時間一緒にいるから、そういう感情が芽生えてもおかしくはない人物だし、お互いのここはダメってところもある程度はわかるでしょ? だからこの話を持ち掛けたんだよ。どう? ダメ?」
「……報酬と契約内容をもう一度教えてください。頭に叩き込みます」
「うん。いいよ」
陽介も驚くほどあっさりと、紗希はその提案を受け入れていた。
それから何度か質疑応答があって、それから紗希は少しばかり考えると、数回頷いた。
「わかりました。いいでしょう」
「え?」
「契約結婚、致しましょう。ただ、設定を付け加えておいてください」
「設定? どんな?」
「私が秘書を始めた時、既に社長は私のことを好きになっていて、告白済みであること。何度も告白している、というのもいいですね。より、結婚の後押しをした理由のひとつになります」
「……君、探偵ものか何かの読みすぎなんじゃないの?」
「ふふっ、せっかくですもの。楽しませていただきますよ。私も」
「まあ、いいか。君のそんな笑顔、初めて見たから。それじゃあ、よろしくね? 紗希」
「ええ。社長……ではなくて、陽介様」
お互いの手を、二人は握った。
これで、契約は成立だ。