二人はどこかに行くとき、陽介がふざけて手を繋ぐ時がある。
紗希はそれを恥ずかしく思って応じない。
なぜならば……。
紗希が陽介を異常なほどに意識してしまうからである。
紗希もたまには手を繋いだり、それこそキスでもしたりしないと周りから怪しまれると思っていたのだが、日本生まれ日本育ち、それもあまり活発な方ではない紗希にとってあまりにハードルが高かった。
キスはともかくとして、手を繋ぐくらいは本当にしなくては……と思うものの、どこか気恥ずかしい気持ちが勝って手を繋げない。
これは由々しき事態だと勝手に紗希は思い込んでいた。
紗希は悩み、手を繋ぐイメージをしたり、もう少し人前で妻らしく振舞えないかとネットで「可愛らしい妻」「妻としての手本」などと検索をしたりしたが、いい情報は拾えなかった。
そもそも自分が陽介相手にそういうことをしたら、何か欲しいものがあると思われるかもしれない。いや、もしかしたら、気持ち悪いとまで思われるかもしれないなどと、一度妄想を始めたらもう止まらなくなってしまったのだった。
そんな紗希は、その妄想を始めた日から挙動が少しばかりおかしくなっていき、陽介が何かする度にじっと見つめたり、逆に大きな音がした時にびっくりして陽介を勢いよく見たりと、陽介も「何だろう」と思うくらいに紗希の様子は変だった。
(私、やっぱり最近変だ。こんなに変だと周りからも陽介に何かあるから挙動不審、なんて思われてしまうかもしれない……。冷静にならなくちゃいけないのに、どうして……。なんで手を繋ぐだけでこんなに私がどきどきしてしまうの)
紗希は前を歩く陽介の手に、自分の手を伸ばした。
しかし、その手が届く前に、紗希は諦めて伸ばしかけた手を下す。
だが、その手を陽介の手が覆うように繋ぐ。
「……陽介!?」
「なんだか、繋ぎたいって感じだったから、繋いじゃった」
紗希は顔を俯かせる。
「紗希……?」
「……いい奥さんじゃなくて、ごめん」
紗希は顔を赤くして、小さな声でそう言った。
「紗希は、そういうこと考えなくていいよ。いつも通りでいいんだよ。こういうことは、望んでないし……。もしするなら、自然にそういう関係になってからでも、遅くはないと思うよ」
「……そう、かな」
「うん。そんなべたべたくっつくだけの夫婦っていうのも、あまりいないよ? 僕の良心を見てみてよ。凄いドライだから」
「そ、それは、その、大財閥の会長だから」
「僕だって、いつか会長になると思うよ。だから、一緒だ。あの親父と一緒なのは、ちょっと嫌だけど、そういう運命で生まれてしまったから仕方ないよね」
「……そりゃ、そうだけど。いや、あの、そうってそういう意味じゃなくてっ!」
「いいって、そんなに慌てなくても。むしろ、ごめんね。いろいろ気を遣わせちゃって。僕は、自然体の君が好きだし、そんなに気を遣ってほしいわけじゃないんだよ。変に日常を変えようとか、妻として見せなくちゃとか、そんな風に思わなくていいから」
「でもそれじゃ……怪しまれたら、終わっちゃうかもしれないのに」
「それは大丈夫。親父くらいだろうから。そんなことしてくるの。だから、親父だけに注意していれば、なんとかなると思うんだよね」
「……そう」
紗希また顔を俯かせた。余計に自分が恥ずかしくなったからだ。浅はかな気持ちで陽介に嫌われてしまったかもしれないというよりかは、自分のことが嫌いになりそうだった。
でも、陽介はそんな紗希に「でも気持ちは嬉しかったよ。それだけ僕のことをちゃんと気にかけてくれる、いい奥さんなんだなってわかったから」と言った。
「お、奥さんって……」
「そうでしょ? こんなに夫のことを立てようとしてくれる気の利く奥さん、他にいないよ。紗希は、世界で一番の、僕の妻だよ」
紗希は目を見開き、赤い顔のまま少しだけ微笑んだ。
陽介はその紗希の顔を見て、自身も顔を赤くする。
あまりにも可愛らしくて……、直視が出来なくなってしまった。
(こんな感情、持ったことなんてなかったのに……。紗希は、何か特別な子、なんだろうなぁ。僕にとって)
陽介はそう思った。
そして繋いだ手を見て、二人は互いの顔を見ることも出来ずにいる。
二人にいつもはあるはずの大人の余裕がなくなっていく。
やがて二人の間に言葉がなくなって、呼吸の音や心臓の鼓動の音さえもうるさく感じられるほどに、互いを意識してしまうのだった。
「せ、せっかく手を繋いだし、公園でも回る?」
陽介の明るい冗談とも言いたそうなその声に、紗希は「いえ、結構です……」と力なく答えるのだった。
二人はちょっとずつ、お互いをそういう相手として、意識をし始めていると、自分自身で思い始めていた。
そしてそれは気のせいなんかではないこともわかっている。
だからこそ、これからどうしたらいいのだろうかと思うのだった……。
そして何日かするまでの間、しばらく距離感がおかしかったが、段々と、それが普通に思えるようになって、いつしか本当に手を繋いで歩くことが出来るようになっていった。