このままでは親子関係も、そして自分達の関係も終わってしまうと思った紗希は、ある言葉を言う。
「あの、私、陽介さんともっと一緒にいたいです! それは陽介さんが、もしも財閥の御曹司じゃなかったとしても……変わらなかったと思います」
「紗希……。そうだよ。親父。僕達は変わらないから。本当に、結ばれたくて結ばれたんだ。親父達と違って」
「お嬢さん、それでは後悔するんじゃないかと私は心配だ。一時的な感情や事情に流されてしまったら、戻ることは困難だ」
龍之介は優しい目というよりかは、哀れみの目で紗希を見ていた。
しかし、紗希は「これは、私達のペースの問題ですので……、ごめんなさい。お気持ちは、わかるような気がしますが」と言うのだった。
「ペースの問題と言うが、あとどのくらい待てば跡継ぎが出来るのかな? それとも、作らないつもりか? 式は? 具体的な案がないと、私も信用出来ないのでね」
「そ、それは……」
「もういいだろ。親父。そんなにうるさいなら、今日はもう帰るから」
そう言うと、龍之介は大きなため息をつきながら、一通の手紙を陽介に差し出した。
「何、これ。誰から?
「北条さんだよ」
「……! 国内からってことは、帰ってきてるのか。なんで、教えてくれなかった」
「お嬢さんがいるし、不要だろうと思ったからだ。だが、今なら必要かもしれないな」
「……あいつのことを、紗希がいる前で話したくない。親父も、いつまでも過去のことに拘るのやめた方がいい。終わったことなんだから」
「向こうはそうは思っていないみたいだがな」
「なんだって?」
なんのことだかさっぱりわからない紗希は、慌てた様子で封筒の中の便箋を読む陽介の顔色を窺っていた。
すると、陽介は「冗談じゃない!」と言って頭を抱える。
「一度会っておく必要はあるな。あちらとは関わりがある」
「そんなの……、親父が行けばいいだろう」
「お前が行かないと、意味がないんだ。彼女は、お前と会いたがっている」
「勘弁してよ……」
紗希は普通ではない様子の陽介に、何があったのかと心配そうに見つめていた。
「お嬢さんも知っているだろう? 北条財閥。うちと、同じくらい有名だね。そこのご令嬢がね、昔……」
「親父」
「陽介の彼女だったんだよ」
「親父!」
陽介は机をドンっと叩いた。
「陽介さんの……陽介、の、……彼女だった人……?」
紗希は少しばかり目をぱちぱちと瞬きをして、頭の中のデータを引き出す。
北条グループと言えば、政界にも顔が利く存在で、政治家も何人か出ていたはずだ。
そして、そこのご令嬢と言えば名前は聞かないが確か海外に行っていたはず……。
先ほどの帰ってきているのかという陽介の声を思い出した紗希は、なんとなく、手紙の内容を察した。
そして龍之介は面白そうに笑いながらこう言うのだ。
「彼女がね、陽介に復縁を迫っている……というよりかは、願っているんだよ。悪いが、手紙の中身は見させてもらっている」
「人のものを勝手に読むな。親とはいえ、立派な犯罪だ。あと、もう僕は彼女とよりを戻すつもりはないから」
「だが、彼女は諦めが悪いからな」
「わかってる……。わかってるよ」
「まあ、お嬢さんもよく考えた方がいい。こいつに関わると、その北条のご令嬢とも戦うことになるだろうから。しかも相手は、手強い」
「もういい。紗希、帰ろう。こんなところ……、来るんじゃなかった」
「お嬢さん、ごきげんよう」
「ごっ、ごきげんよう……」
そして二人は無言で家へと帰っていく。
車中での会話もいつもならば弾むように出てくるのだが、今回ばかりは陽介が怖くて紗希は何も言えない。陽介も怖い表情でハンドルを握っていて、心なしか運転も少しだけ荒い気がした。
そして家に着くと、陽介はリビングで手紙を読むと、それを破ってからシュレッダーにかけた。
「な、何もそこまでしなくても……っ」
「紗希は、黙っていて。これは僕の問題だから」
そう言われてしまうと紗希は何も言えなかった。
そして陽介は何度か深呼吸すると、いつものような笑顔に戻って、紗希に「疲れたね。今日は適当に何かお弁当でも宅配してもらおうか」と言ってテレビを見始めた。
紗希はその陽介の雰囲気の変わりようが怖くて、心の中がざわついた。
陽介をああまで変えてしまう北条のご令嬢というのは、どういう人なのだろうか。
海外にいた人とだけあってデータが少なすぎる。
今まで、接触したこともない。
だから、知っているのは紗希の前任の秘書や昔からの陽介を知る人達ということになる……。
これは、いつか絶対に障害になると、紗希は思った。
「……どうしたの? 紗希。さっきのことなら気にしないで。僕が、紗希には迷惑を掛けない形でなんとかしておくから」
……そうじゃない。形だけの夫婦だ。契約だけの夫婦だ。
だけど、本当の夫婦なんだ。
だからこそ、ちゃんと話してほしい。
しっかりと、二人で障害を乗り越えていきたい。
そう思うのは、おかしなことだろうか。
そう、紗希は思うのだった。
そして次の日には、紗希はそのご令嬢について少しだけ知ることになるのだった。