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第29話  中林さんと森脇くんの場合

春の陽だまりが心地よい四月の午後、東京の小さな古本屋「時のしおり」で、二人の運命が交差した。


大学生の奏斗かなとは、卒業論文の資料を探してぎっしりと本が詰まった棚の間を歩いていた。角を曲がったその瞬間、彼は誰かとぶつかってしまった。


「あっ、すみません!」


奏斗の前には、淡いピンクのカーディガンを着た女性が立っていた。長い黒髪が肩に流れ、驚いた表情の中にも優しさが宿る瞳をしていた。彼女の手には、古い詩集が握られていた。


「いえいえ、こちらこそ急いでいて...」


女性は微笑んだ。その笑顔に、奏斗の心臓は一拍跳ねた。


「僕、森脇奏斗もりわきかなとです。文学部の三年生です」


「私は中林千秋なかばやしちあきです。近くの図書館で司書をしています」


そんな自然な会話から、二人の物語は始まった。




それから奏斗は、なぜか足が古本屋に向かうようになった。千秋も同じ時間帯によく現れるようになり、二人は本談義に花を咲かせた。


「奏斗さんは、どんな本がお好きなんですか?」


千秋の質問に、奏斗は照れながら答えた。


「実は...恋愛小説が好きなんです。男なのに恥ずかしいですけど」


「素敵だと思います。心の繊細さがないと、恋愛小説は書けないし、理解もできませんから」


千秋の言葉に、奏斗は安堵と喜びを感じた。彼女の前では、ありのままの自分でいられる気がした。


ある雨の日、千秋が風邪で古本屋に来なかった時、奏斗は初めて彼女への想いの深さを実感した。




季節は夏へと移り変わった。奏斗は美咲に想いを伝えたいと思いながらも、なかなか勇気が出せずにいた。


そんなある日、古本屋で千秋が他の男性と楽しそうに話しているのを見てしまった。奏斗の心は嫉妬と不安で揺れた。


「美咲さん、あの人は...?」


奏斗が恐る恐る尋ねると、千秋は困ったような表情を見せた。


「実は...高校時代の同級生で、最近告白されてしまって...」


その夜、奏斗は一睡もできなかった。このまま何も言わずにいたら、千秋を失ってしまうかもしれない。




夏祭りの夜、奏斗は意を決して千秋を誘った。浴衣姿の美咲は、いつもより一層美しく見えた。


花火が夜空を彩る中、二人は少し離れた場所で話していた。


「千秋さん、僕には言いたいことがあるんです」


奏斗の真剣な表情に、千秋も身を乗り出した。


「初めて会った時から、千秋さんのことが気になっていました。一緒にいると、世界が違って見えるんです。僕と...僕と付き合ってください」


花火の音に混じって、奏斗の告白が夜空に響いた。


千秋は少し俯いてから、顔を上げて微笑んだ。


「奏斗さん、実は...私も同じ気持ちでした。あなたと過ごす時間が、一番幸せでした」


夜空に大きな花火が上がった瞬間、二人は自然と手を取り合った。




それから二人は恋人同士として、穏やかで幸せな日々を過ごした。奏斗の卒業論文も千秋の支えがあって順調に進み、千秋も奏斗からもらった勇気で図書館での新しい企画を成功させた。


秋には一緒に紅葉狩りに行き、冬には初めてのクリスマスを二人で過ごした。


「千秋と一緒にいると、毎日が特別な日みたいだ」


奏斗の言葉に、千秋は嬉しそうに微笑んだ。


「私もです。奏斗さんと出会えて、本当に良かった」




奏斗が大学を卒業する春、桜が満開に咲く公園で、奏斗は千秋にプロポーズした。


「千秋、これからもずっと一緒にいてください。僕と結婚してください」


奏斗が差し出した指輪は、千秋が好きな桜をモチーフにしたデザインだった。


「はい...喜んで」


千秋の頬に涙が伝い落ちた。それは喜びの涙だった。


桜の花びらが二人の周りを舞い踊る中、奏斗と美咲は静かに抱き合った。



その一年後、同じ桜の季節に二人は結婚式を挙げた。あの古本屋で出会った二人は、本当の意味で一つの物語を完成させた。


「僕たちの恋愛小説、どうだった?」


奏斗が美咲に尋ねると、千秋は幸せそうに答えた。


「最高のハッピーエンドでした。これからも、素敵な物語を一緒に紡いでいきましょう」


桜の花びらに包まれて、二人は新しい人生のページを開いた。




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