「大変、申し訳なかったっ……!」
「いえ、もう大丈夫ですので頭を上げてください……」
危険薬草栽培をしていた者たちを拘束している間、失神し馬車に寝かされていたクラリスが目を覚ましてから最初に目にしたのが、地面にぶつけるほどの勢いで頭を下げて土下座したキースの姿だった。
そのままのめり込んでいってしまうのではないかと思うくらい額を何度も擦りつけるのをクラリスが止め、なんとか終わらせた。
「貴女に無理矢理あのようなことをしてしまったことは謝っても謝りきれない」
そう言ってようやく顔を上げた。
銀の睫が青い瞳を隠すように揺れる姿はとても美しく神々しさを感じるほどだった……が、その右目には見事な青あざがはっきりと浮き出ていた。
「キッ、キース様、そのお顔は⁉」
「顔?」
「ああそりゃ、俺がぶん殴った。だって、こいつなかなか正気に戻らねえんだもん」
「本気で大変でしたね」
あきれ顔で拳を振るイグノーの横で丸顔の騎士ダイムが「あんな中隊長は初めて見ました」と、ちょっと面白そうな顔で見ている。
「本当にどうしてあんな真似をしてしまったのか……」
「いや、覚えていませんか? 凄かったですよ! ビエゴたち獣人組はなんかふらふらしているから俺らだけで引き離そうとしたんですけどね。片手でいなしながら、クラリス嬢の首に張りついて、まあ、噛み噛みと……」
(いやぁあ! もう、それ以上、言わないでくださいっ!)
クラリスは真っ赤になりながら両手で顔を隠す。
これは本当に恥ずかしい。恥ずかしすぎて自分の方が顔を地面に埋めたいほどだ。
実際それほど強く噛まれたわけではなかった。
本当に甘噛みと言っていいほどのもので、自分では確認できていないが跡も残ってはいないらしい。
ただ、とてつもなく恥ずかしかっただけ。
そもそも婚約していたフランクとでも手を握ったことすらなかったのだ。常に妹のビアンカが側にいるため、なんなら二人きりで話をした覚えもない。
そんなクラリスだから自分の首に、若く、しかもびっくりするほど美しいキースのような男性に歯を立てられただけでもパニックを起こすには十分な理由だった。
勿論、それを何人もの人に見られたことも羞恥心に拍車をかけた。
それが引き金になり失神してしまったことなど今になっては些末なこと。
耳まで真っ赤にしているクラリスを見ると、もう一度キースは頭を地面に叩きつけた。イグノーは余計なことを言うなと、ダイムの頭を小突いている。
「あの……キース様、どうかもうそのくらいで。私の方は……」
「しかし、そうはいっても、うら若きご令嬢の肌に歯を立ててしまうなんて……気を失うほどのショックだったのだろう?」
「それは……」
「ならばなんとしても自分が償わせてもらわなければならない」
(いえもう話題にしないでください。放っておいてください。——歯牙にもかけなくていいですからっ!)
そう言いたくても言えない性分と気の弱さ。クラリスはぐっと息を止めてようやく捻りだした。
「……大丈夫です」
「いいや、絶対に責任を取らせてもらう!」
(お願いだから、人の話を聞いてー……)
キースはガバッと立ち上がると力強くクラリスの手を握った。
途端、青い瞳がとろんとする。そうして、うっとりとしたように「クラリス嬢」と名前を呼んだ。
とほうもなく甘い声に背中がぞわぞわっとした。
これはまずいと思ったけれどもキースに手を握られたままで動けない。
どうしようと思っているうちに、一瞬でキースの顔が迫ってきた。
(きゃー! きゃー! きゃぁああ!)
しかしクラリスの口から叫び声が飛び出す前に、バコッ! という大きな音がしたかと思うと、なぜかキースは地面に伏していた。そしてその横ではイグノーがぶるんと右手を回している。
またもイグノーに助けてもらったのかと、クラリスは感謝の礼を小さく向けた。
結局、トリブラの花畑がぎりぎり辺境伯預かりのスグーの森だったことで、現地の調査は辺境伯家に任せ、キースたちは危険薬草栽培をしていた者たちをまとめて王都へと護送することとなった。
まだまだ余罪もたっぷりとありそうな彼らには、聞かなければならないことが多いそうだ。
栽培者らには拘束魔法がかけられ、大きな檻が載せられた荷車にぎゅうぎゅうに詰め込まれると、キース率いる第五中隊に見張られながら出発した。
出発直前まで、「やはり責任を取るためにも自分がクラリス嬢と共に」とキースは言っていたが、「お前がいたらうるせえんだよ! それより自分の本分を全うするのが先だろ」とイグノーが一喝すると、真面目なキースは自分の仕事と秤にかけることはせずに納得した。
そうして残されたクラリスにはイグノーの獣師団が付き、王都へと向かうことになった。
獣師団のメンバーは、虎獣人である隊長イグノーを中心に多種多様な種族で構成されていた。
イグノーのように獣の顔や体毛を持つ者から、耳や尻尾はあるもののそれ以外は人と見た目がほぼ変わらない者もいる。犬獣人のビエゴはこちらのタイプだった。
愛想のいい笑顔で耳をピコピコと動かしながらクラリスの乗る馬車の窓をコンコンと叩く。
「クラリス様! 馬車の乗り心地はいかがですかー? お疲れでしたら休憩をいれますよ」
「ご配慮ありがとうございます。まだまだ……え?」
馬車と併走しながら話しかけてきたビエゴ。てっきり馬に乗っているのだと思って窓の外を見たら、なんと彼は普通に自分の足で走りながら付いてきていた。
「じゃあ、もう少し先までいきますねえ。あ、もう少し行くと、結構綺麗な湖があってですね、そこ本当に水が美味しいんでそこで休憩とりましょうか」
「あのっ、ビエゴさんこそ休憩をとらなくて大丈夫でしょうか? もしかしたら、ずっとそうして走って?」
「はい! これっくらい全然。犬獣人ですからー」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて健脚さをアピールする姿は確かに犬っぽい。よくよく見回して見れば、どの獣人たちも馬になど乗ってはおらず、涼しい顔をしてクラリスの馬車に付いてきている。
(……獣人って凄いのね)
あらためて感じるクラリスだった。