どうしてこうなった?
そんな思いを胸に抱きながらアイリスは美味な料理を口にしていく。
公爵令嬢として、さらに王妃としての教育まで受けていたアイリスだが、華やかな場所での食事は気疲れしてしまうことが多い。
しかし、今回は気疲れではなく、別の意味で緊張していた。
「あまりに気に入らなかったかな?」
「いえ、決してそうではなく」
そもそも、食べた料理よりも目の前にいる男性、マクベス・ディル・アウルスの方が気になって仕方がない。
「ここの料理は完璧だ。食材も調理法も全てを心得た料理人が調理をしている」
優雅で洗練された手つきで食事をしているアウルスがそういうと、アイリスも
静かに頷いた。
今二人はアウルスが手配してくれた、ホテルユーフォミアにあるレストランの個室にて食事をとっていた。
このホテル自体、メルキア最高峰と言ってもいい格式があり、各国の王族などをもてなすことも多いという。
レストランも同じく、各国の王族をもてなす際に良く利用されているほどだ。
「とても、美味ですわ」
食材は全てミスリルにはないものばかりではあるが、提供された料理は全て見慣れたものばかりだ。
緊張してしまうはずの場所でも、こうして美味しさを感じられるほどに、このレストランは居心地がいい。
だが、アイリスは料理よりも目の前にいる男性のことが気になって仕方がなかった。
「お口にあって嬉しい」
「いえ、殿下のお心遣い、感謝いたします」
慣れた料理であっても、食材を変えることで一味変わった料理へと変わる。
むしろ、食べ慣れている料理だからこそ、食材が違いがよりわかりやすくなるという、演出と心遣いにアイリスは自然と癒やされていた。
「殿下はお優しい方ですね」
笑顔でアイリスはそういうと、アウルスは思わず顔を逸らしていた。
「いや、本当に優しいならばあなたをあんな目には遭わせない」
闊達に話すアウルスらしくない、歯切れ悪い言い方にアイリスは首を振った。
「あれは私も体調管理ができていなかったからで」
「あなたをきちんと気遣えない私が、あなたに優しいと呼ばれる資格は無いというか……」
どうやらディマプールの一件を気にしているらしい。
覇者であるアウルスが自分をいちいち気遣う必要性はないのだが、今はその気遣いすらアイリスは好意的に受け止められる。
「殿下、本日お時間を使って頂き感謝いたします」
「いえ、私もあなたとはそこまで話せていなかったからな。今後の為にもあなたとは
しっかりと話しておきたい」
アウルスも自分と会うことを望んでいたらしい。
だが、どういう意味での今後なのだろうかとアイリスは疑問を抱いた。
「殿下のいう今後とは、いつまでのことでしょうか?」
「それは、もちろん最後までという意味だが」
最後という言葉に、ますますアイリスは混乱してしまう。
それは、死ぬまで一緒という意味なのか、それともミスリル王国制圧までのことなのか、アイリスはアルコールの影響もあるのか、アウルスの一言一句が気になり始めていた。
ぎこちなく狼狽えるアイリスではあるが、アウルスの本心が一体どこにあるのかがまるでわからなかった。
「アイリス嬢、あなたは強いお方だ」
「え?」
唐突に褒められたことに、アイリスは間の抜けた声を出してしまう。
「令嬢の大半は、自分一人では生きていけない温室育ちの花ばかりだ。手間暇ばかりかかる上に、観賞用にしか役に立たない。そして、人の美貌というものは花と同じでいつかは枯れてしまう」
「は、はあ……」
確かに自分はいわゆる温室育ちの令嬢ではない。
父は軍人で母も教育熱心で真面目な人であった。
その両親からアイリスは直接教えを受けており、また優秀な兄たちからも勉強を教えてもらっていたことから、学園も大学も優秀な成績で卒業していた。
美貌を保ち、礼儀作法を習得するのは必須ではあるが、教養を学問を収めるのは当然のことであるという教えからアイリスは他の令嬢に比べても自立心を持った令嬢に成長した。
だからこそ、直々にアウルスに会いに来たのだが、アウルスはそこを評価してくれているようだ。
「私をそこまで評価して頂きありがとうございます。私も、殿下のことを素晴らしいお方であると思っております」
「どういうところがかな?」
「そうですね……」
コホンと咳払いをして、アイリスは脳内を整理する。
「まず、殿下は誠実なお方です。私を女性だからと決して見下すこともなく、きちんと話を聞いてくれました」
「それは当然のことだ。第一、あなたは私の求めるものを提示してくれた。ただそれに報いただけのこと」
「それは違いますわ」
枢軸国では、女性であるというだけで発言権がなく、無碍にされることがほとんどである。
王妃や王太后といった地位にあるならばまだしも、一介の令嬢相手に話を聞くことなどまずありえない。
いくら、公爵令嬢や王女と言えども、その家の力を恐れるだけであり、それが通用しなかった場合は娼婦が如き雑な扱いになり果てる。
「殿下は私の話を聞いた上で純粋に理を悟ってくれました」
「それは当然のことではないか?」
ロルバンディアがミスリル王国へと侵攻する上で、アイリスは大義名分があることを教えてくれた。
そのおかげで、ミスリル王国侵攻作戦は正式に決まったのである。
「その当然のことを実行してくれるのは殿下だからです。普通は女が政治に口出しするなと怒るか、あるいは……」
あまり口にしたくはないが、アイリスは改めてそれを話す決意を固めた。
「わ、私の、体を、要求するというような、ことも」
両頬が熱くなるのを感じながら、アイリスはアウルスを褒めるのと同時に、彼を試すつもりでそう言った。
自分にそう要求しなかったことが、善意なのか、それとも興味が一切ないからか、アイリスはどうしても確認してみたかった。
「何故、公爵令嬢が来たからといって、そのような下卑で下種な対応をしなければならないのかね?」
途端、アウルスの顔がどこか不機嫌そうになった。
金髪と碧眼で、鋭利な剣を連想させるような鋭さを持ち、丁寧に装飾された鞘に収まっている上品さを兼ね揃えている顔が、少し歪んでいるようにアイリスは感じた。
「相手が何者であろうと、私は自分の立場を利用して私欲に走るようなことはしない。そんな君主に誰がついて行こうと思う?」
「それは……」
「確かにあなたとエフタル家を味方につける為に、再び婚約を行えばそれこそメリットがあるだろう。だが、一方的な婚約破棄をされたあなたにそれを行うのは酷だと思ったからだ」
「殿下」
アウルス・ディル・マクベスは間違いなく覇者であり、ミスリル王国を手に入れれば
だが、彼は力ずくではなく用意周到であり、同時に臣下や自らを頼ってきた相手を見捨てることはしない。
覇道という道を、彼は堂々と王者のように歩いている。
「嬉しく思います。そんな殿下だからこそ、私は助力を願いました。半分は賭けでしたが、自分の決断が決して間違っていなかったと今は思っています。正直、アレックス王との婚約破棄で婚約には辟易していましたが……」
「待ってくれ」
アイリスの言葉を制したアウルスに、アイリスはそのまま口を閉じた。
「すまないが、そこから先は私に言わせてくれないだろうか。ただ、私はこういうことには疎く、幼い頃から戦場に出ていたから正直女性に気の利いたことも言えないのだが……」
覇者らしくもなく狼狽しているアウルスを見るのは意外であったが、今ではそんな姿すらアイリスは好ましく思える。
これが、愛おしいということなのだろうか。
「エフタル・ソル・アイリス殿、私はあなたを大公妃として迎えたい。あなたの知恵と勇気で私を支えてはくれないだろうか?」
真顔になったアウルスは大公府の執務室で出会った時よりも、険しいが、同時に凛々しく覇者としての風格を全面に押し出していた。
シンプルであるが、先ほどの言い訳のような前置きと共に、自分を一人の女性として尊重し、愛情を向けていることにアイリスは胸が熱くなる。
「殿下はずるいお方ですね……」
何かしくじったのかと言いたげに、冷や汗を流しているアウルスに対し、アイリスは満面の笑みを見せた。
「ふつつかなものではございますが、大公殿下のお力になれればと思います」
婚約破棄された時、二度と結婚のことなど考えないつもりでいた。
だが、彼女は出会ってしまった。
自分を一人の女性として尊重し、自分を褒めたたえながら気遣ってくれる男性に。
彼は他国の者には覇者、征服者として恐怖されるも、自国民からは名君として崇められ、臣民からの忠誠を集めている名君でもある。
もっと早く出会いたかった反面、あの婚約破棄がなければ自分は彼と出会うことなどなかったであろう。
運命とは常に流転しているものをアイリスは実感する。
そして、その流転した運命の果てに自分は今度こそ幸せを掴みたいと願ったのであった。