ミスリル・ディル・アレックスは王となるべくして生まれた。
これは彼に王としての資質や才能があったわけではない。
先代ミスリル王はアレックス以外に子がなく、後継者たる資格はアレックスだけにしかなかった。
だが、彼が全く期待されていたのかといえばそうではなく、彼が生まれた時は国中が喜びお祭りムードとなり、大量の酒が消費されたと記録されている。
あまりにも降って湧いた状況に、恩赦が出されたほどであった。
このように彼の誕生は多くの臣民を喜ばせたが、成長するにつれてその喜びは失望へと変わり、一部の者からは暗君として扱われていた。
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「アイリスも、つくづく不幸な女だったな」
珍しく達観した口調でアレックスはそう語った。
「どこがですか?」
舌ったらずの甘え口調でフローラがアレックスに指を絡める。
二人は今、二人だけで優雅な朝食を取っていた。
「公爵家の娘として生まれ、私と婚約したが私の心を掴むことはできなかったのだから」
そういうとニヤッとするアレックスにフローラもまたほくそ笑む。
「アイリス様はあれだけ博識でしたのに、男性の心の掴み方だけは分からなかったようですわね」
アイリスが優秀な成績で王立学園と大学を卒業したことをフローラは皮肉った。
「アイリスは結局のところ愚かだった。本当に大事なことを学ぶべきだったのにな」
アレックスは初めて会った時からアイリスのことが嫌いだった。
自分よりも博識で聡明であり、政治や政務の話をする時は決まって自分は蚊帳の外であったが、アイリスだけは例外で大人たちに混じって意見を述べていた。
自分が何を言っても大人たちは笑って誤魔化し、時には影で嘲笑する者までいた。
ところが自分と同い歳であるアイリスは別で、彼女の言うことには大人たちが耳を傾けており、真剣な表情になったり、しまいには採用されるほどであった。
自分の言うことは子供の発言として扱われ、アイリスの発言は採用される
子供として見られても、扱いは大人と変わらないアイリスを評価するばかりであり、王太子として次期国王である自分の扱いが軽くなることにアレックスは耐えられなかった。
「アイリスのことなどもう考えたくもない」
「陛下……」
「私には君がいるのだからな」
フローラを見つめるアレックスは、彼女を優しく抱きしめる。
アイリスにこの可愛さが少しでもあれば、自分も目移りすることはなかっただろう。
自分を立てようとすらせず、小言ばかり言うアイリスにアレックスは怒りをため込んでいたのであった。
「陛下、失礼いたします」
突如として通信が入るが、アレックスは身なりを正して不機嫌さを隠さずに通信に出る。
「どうした? 私は今休んでいるところなのだが?」
通信の主は宰相であるディッセル候であった。
「緊急事態ですので端的に申し上げます」
「一体なんだ?」
普段冷静なディッセル候が慌てふためいていることに、アレックスは違和感を覚える。
「ロルバンディアに、我が国がエルネスト様を匿っていることが発覚しました」
その通信を聞いた時に、アレックス思わず「はあ?」とやや間抜けな声を口に出してしまう。
「どういうことだ? なぜそんなことが」
「分かりません。現在ヴァンデル伯が対応しているのですが、今すぐに協議をせねば」
「私は忙しいのだ。後にしろ」
本当はフローラと遊びたいだけではあるが、アレックスはおくびに出さなかった。
しかし、ディッセル候は首を振った。
「陛下、これは火急の事態です。ロルバンディアがエルネスト様の身柄を要求するということは、断るにしても受け入れるにしても、我らが判断するわけにはいきませぬ」
「そんなことは適当にはぐらかしておけばいいではないか」
「ロルバンディアはわが領内に駐屯するエルネスト様の艦隊まで、把握しているのですよ」
思わず、アレックスはディッセル候の通信を切ってしまいそうになった。
「何だと?」
間が抜けた声を出してしまうが、エルネストはロルバンディアから三個艦隊ほどの戦力を伴って敗走し、ハザールを経由してディッセル候の領地へと逃れていた。
今もディッセル候が極秘裏に彼らを養っているのだが、それを知る者はアレックスとディッセル候、そしてエルネストだけである。
「奴らはわが領内に停泊する艦隊の動画まで送りつけてきました」
思わずアレックスは頭を抱える。
エルネストを匿うように指示したのは彼自身であり、エルネストは幼いころからの友人であった。
その彼が困窮していることから、手助けになればと思いディッセル候に任せたのだが、それが発覚したことが予想外であった。
「陛下、今すぐ来ていただけませんか?」
「……れろ」
「陛下?」
「突っぱねろ!」
「突っぱねろと申されましても」
「ディッセル候! 貴様は宰相だろう。ならばその職権でやるべきことをやれ。知らぬ存ぜぬを繰り返せばいい。そうすれば奴らは根負けしてくるはずだ」
「し、しかし」
「そもそも発覚したところでなんだというんだ? 我が国には
ミスリル王国初代国王であり、賢王と呼ばれたルーエル王にちなんで名づけられたミスリル王国の国境線でもある航行不可能領域。
文字通りミスリル王国を守護する難攻不落の城壁を前には、帝国といえども侵攻は不可能である。
「そ、そうでしたな」
「仮にロルバンディアが攻めてきたとして、恐れることなどないはずだ。分かったら、きちんと突っぱねろ」
「かしこまりました」
通信を切ると、アレックスは深呼吸を行う。
「アレックス様?」
取り乱した彼を気遣うように、フローラは抱きしめてくる。
「心配をさせてしまったな」
「いいえ、私は平気ですわ。それにしても、ディッセル候は意外に抜けている方ですのね」
フローラはシレっとディッセル候を非難した。
「そうだな、あいつが大げさなことを言うから私まで取り乱してしまった」
それが今更になって、ロルバンディアにエルネストを匿っていたぐらいで怖気づいてしまうところに、無償に腹が立ってくる。
「ディッセルは宰相には向かないのかもしれんな」
即位時に支えたのはディッセル候であり、フローラとの婚約についても、口やかましいアイリスとの婚約破棄も全てはディッセル候がお膳立てをしてくれていた。
それをアレックスは完全に忘れてしまっていた。
「私の父はいかがでしょうか?」
両目を潤ませ懇願する愛くるしい姿のフローラに、アレックスは彼女をソファーと誘導し、優しく背中に触れた。
「そうだな、将来の岳父を宰相とするのもいいのかもしれないな」
口やかましいディッセル候よりも、おとなしいヴァンデル伯の方が御しやすい。
それに、愛するフローラが喜んでくれるならば、猶更ではないだろうか。
「分かった、一連の騒動が片付いたら約束するよ」
「嬉しい! 陛下、愛しておりますわ」
アレックスの胸の中で抱かれつつ、フローラはほくそ笑んでいた。
自分は間違いなく、幸せであると。
あのアイリスから王妃の座を奪ったことに、これ以上もない満足感を得ていた。
だが彼らはまだ知らない。
ロルバンディアが伝えてきたのは、戦犯にして彼らにとっては国賊であるロルバンディア・トゥエル・エルネストの引き渡しだけではない。
彼らの主君にして現大公、マクベス・ディル・アウルスとエフタル・ソル・アイリスとの婚約が成立したこと。
それを知った時アレックスは再び頭を抱え、フローラは怒髪冠を衝くが如くの怒りを爆発させたのであった。