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第3話 義民が駆ける 中編

「これは誠にございますか?」


 ユンカースらを筆頭とした有力商人たちが、直訴状を持ってやってきたことに、メンブレン侯は信じられぬ思いでそう言った。


「カレル憲兵総監からの報告によれば、メンブレン侯を助けるため、レフレックスに戻ってきてほしいということで、血判状にもなっているようですな」


 ボナール侯がシュタミッツからの報告を元にそう言うと、メンブレン侯は頭を抱え、アウルスは平然としていた。


「まあいい、直接会って話せばいいだけのことだ」


「殿下、くれぐれも寛大なご処置をお願いいたします」


 メンブレン侯が懇願するが、それでもアウルスは平然としている。だが、アウルスの気性を知っているアイリスはそれをサポートすることにした。


「メンブレン侯、殿下は慈愛溢れるお方ですわ。きっと、侯の考えるようなことは絶対に起きません」


 アイリスがそう言い切ることで、メンブレン侯も納得したのか、静かに頷いた。


「とりあえず彼らに会おう。そうでなくては始まらん」


 こうして、アウルスは大公として自ら、直訴への対応を行うこととなった。


-----------


 旧ミスリル城に集められたユンカースら、レフレックスの有志達は城の広間に通された。


「ユンカースさん、上手くいけるかね?」


 商人の一人がユンカースに尋ねるが、ユンカースは泰然としていた。


「そうでなくては困る」


「そりゃそうだけどね、メンブレン侯が戻ってくれないと俺たちは……」


「おしまいだろうな」


 ユンカースがそう言うと、他の商人たちも肩を落とす。レフレックスはミスリル王国の中では主要航路から外れた辺境星域であり、鉱物資源もそれを加工する工場も無い貧しい星域であった。


 ユンカースはそんなレフレックスを飛び出し、トールキンの商会に勤め、そこから縁あって独立。


 今ではミスリル領でも、五指に入る大商人にまでなった立志伝中の人である。


「メンブレン侯がいなければ、レフレックスは今もきっと貧しいままに終わっていただろう」


「しかし、こんな献金で何とかなるかね?」


「何とかするしかない。それに、この金で解決するならそれでいいじゃないか」


 大商人として、時には国家を相手に商売をしてきたユンカースはあごひげをさすりながら、仲間たちに向けてそう言った。


「メンブレン侯がいれば例え我々が貧民に落ちたとしても、必ず今と同じかそれ以上に豊かになるさ」


「そうだといいんだけどねえ」


 商人の一人がそう言うが、実際のところ皆不安であった。気づけば、ミスリル王国はロルバンディア大公国に大敗し、首都トールキンを落とされ征服されている。


 アレックス王は死に、ディッセル候も処刑され、その混乱の中でメンブレン侯がトールキンに出向くことになり、全員が動揺していた。


 特にレフレックス領で商売を営む者で、メンブレン侯に恩義を感じていない者はいない。


 ここにいる商人たちも、メンブレン侯の統治によるレフレックス星域の経済成長により、食料品の取り扱いや、観光業、運輸業、金融業などで成り上がった者たちばかりだ。


「まずは、何としてもアウルス大公に直訴せなばな」


 ユンカースが自分に言い含めるように口にすると、奥から金髪の青年、そして後ろには灰色の髪をした老将と、奇怪な顔をした老人、そして彼らがお救いすべき侯爵の姿があった。


「メンブレン侯!」


 商人たちが一斉に叫ぶが、ユンカースは彼らを制す。


「失礼をいたしました、大公殿下」


「構わんよ。貴公らは、メンブレン侯を救うためにやって来たのだからな」


 アウルスはゆっくりと玉座に座りながらそう言った。想像以上に温和な態度に、ユンカース達は一息つく。


「メンブレン侯、私は貴公を殺すつもりでトールキンに招いたつもりはないのだがな」


 今度はやや不機嫌そうに、アウルスはメンブレン侯にそう言った。


「その通りですな、皆聞いてくれ。私はアウルス殿下に招かれ、ロルバンディアの政治に参加することとなった」


 全員がどよめくが、それは当然のことだろう。何しろ、彼らが救おうと思っていた人物が、処刑どころか厚遇されていたのだから。


「メンブレン侯には、大臣職を与える予定だ。レフレックス星域をミスリル王国の食糧庫としたその手腕を、是非生かしてほしいと思っている」


 アウルスがそう答えると、ユンカースは安堵するが、一部の商人たちは不安なままでいた。


「あの、一つよろしいでしょうか?」


「構わんぞ」


「恐れ入りますが、レフレックス星域の総督はメンブレン侯ではなくなるということでありますか?」


「その通りだ。侯にはもっと大きい仕事をやってもらいたいからな」


「それでは困ります!」


 予想外の回答に、アウルスは目を丸くする。後ろに控えるエフタル公や、ボナール侯も困惑していたが、それ以上にメンブレン侯が首を傾げていた。


「メンブレン侯のおかげで、レフレックスは豊かになり我々も富貴な立場を得られました。メンブレン侯無くして、レフレックスは豊かではいられません」


「その通りです! 私たちにはメンブレン侯が必要なのです」


 熱心にメンブレン侯を褒めたたえる者たちに、流石のアウルスも眉を顰める。


「お主ら、もしやメンブレン侯から賄賂でも受け取っていたのか?」


「滅相もございません!」


 真っ先にユンカースが頭を下げて否定すると、他の商人たちも追従する形で頭を下げた。


「殿下、私はそんなことは決して……」


「そんなことはわかっている。むしろ、担保も取らずに領民や商人たちに金利も無しで金を貸していることも知っているぞ」


 無担保無金利の貸付に、メンブレン侯は無論のこと、心当たりがある商人たちの顔色が変わる。


「後ろ暗いどころか、調べれば調べるほどに善政と仁政を実施し、調査した諜報員達が、良心の呵責にへこんでしまったほどだ」


 報告してきたジョルダンや、ボナール侯の部下たちのことを思い出すと、彼らはメンブレン侯の善政ぶりに対して自分たちの猜疑心がそのまま罪悪感へと変換され、落ち込んでいたことをアウルスは思い出す。


「そこまでお調べになられたのですか?」


「私の部下たちは調べものが得意だからな。そんな貴公が賄賂を貰ったり、密輸で私腹を肥やすようなケチな人物であれば、私は貴公を政治に参画させん」


 何もかもお見通しと言わんばかりに、アウルスがそう言うとユンカースらレフレックスの商売人たちは恐縮する。


 当然ながらメンブレン侯も改めて、アウルスの恐ろしさを知った。


「メンブレン侯が戻らないと困るのは、後任におかしな者が来られると困るからか?」


「それもありますが、昨今政情不安なこともあり、メンブレン侯ほどの御仁が命失うことを恐れてのことです。閣下は、レフレックス星域に住む全ての者たちになくてはならぬお方ですので」


 堂々と物申すユンカースに、アウルスはほくそ笑みながら頷く。


「お主らからすれば、メンブレン侯がいたからこそレフレックス星域は豊かになった。優秀な総督にいてくれれば、商売も楽だろうし、お主らも儲かる。そして、レフレックスに住む臣民もまた潤うからな」


「殿下は経済にもお詳しいのですな」


「戦争しか知らぬと思っていたか?」


 思わず出た商人の戯言に、アウルスはそう返すと途端に彼はひっくり返りそうになるが、同時にアイリスがアウルスに咳ばらいをする。


「そうやって臣民を威嚇するのはおやめください」


「威嚇などしていない。冗談を言っただけだ」


「殿下の冗談ほど笑えないものはありません! ご自身の冗談がいかに下手か、自覚されてください。殿下の冗談は、臣民の心を凍らせてしまいます」


 時期大公妃にそう言われると、金髪の大公は気まずそうに頭をかいた。


「それは失敬した」


「皆さま、 メンブレン侯のことを心配されてトールキンにやってこられたのですね。殿下がメンブレン侯を害されると」


「ええ、ですがそれは我々の勘違いでした。ですが、できればメンブレン侯のように優れたお方を後任の総督とできぬものかと」


 メンブレン侯が害されないことを理解したユンカースは、周囲との折り合いをつける形でそう懇願した。


 その主張に対し、アイリスは深く頷く。


「お話は分かりました。一応確認ではありますが、皆さまはメンブレン侯が害されるかもしれないと、お救いするためにやってこられたのでしょう? 自らの危険を顧みず」


 アイリスの一言に、ボナールとアウルスはハッとした。


「善政を行うメンブレン侯を、皆さまは自らの危険を顧みずに参上されました。星一つ買えるほどの金額を用意されて」


「殿下、彼らはまさに義民でございますな」


 アイリスの指摘から、ボナールは主君である大公に向けて、そう進言する。


「まさに義民だな。諸侯たちですら二の足を踏んでいる中で、お主……いや、貴公ら平民たちが命がけでメンブレン侯を助けるためにやって来た。見習わせたいものだ」


「お言葉ですが、我々は自分の商売のために……」


「死んでしまっては商売も無意味になる。メンブレン侯、例の話だが彼らに話してしまっても構わんか?」


「よろしいのですか?」


 渦中の侯爵が新たなる主君にそう言うと、若き大公は笑っていた。


「構わんさ。それに、知ってもらった方が我々にとっても得になる」


「殿下が望まれるようでしたら」


「そうか、では早速だが話させてもらおう。今後のミスリル領の統治についてな」


 自分たちを豊かにした為政者を救うために、命がけでやってきた義民たちに向けて、アウルスは新しい統治と構想の説明しはじめるのであった。

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