「風の聖霊よ、我を遠くの地へ誘わん!」
私は風の魔法の一つ、瞬間転移の秘法を使い、各地の敵方の地方領主を調略していた。
「……ど、どちら様で?」
王都シャンプールで新調した一張羅で、私は恭しく地方領主を尋ねる。
見た目を馬鹿にしてはいけない。
所詮、人の眼は外見しか見えやしないのだから……。
「オーウェン連合王国で侯爵を拝しておりまする、リルバーンと申します」
「げぇ!? リルバーン侯爵ですと?」
先日の戦いで剣の戦いは終わった。
あと残るは、人の心としての戦いである。
この戦いに明確な勝ち負けはない……。
私は懇々と説いた。
「……では、所領をそのまま安堵して頂けると?」
「もちろん、我等はラル男爵と望んで事を構えるつもりはないのです。ぜひお味方頂きたい!」
先の戦いで、相手に自領を守る力は既にない。
だからこそ、不利な立場の相手は、私の話を真剣に聞いてくれた。
やはり戦なき調略もまた、ないのである。
「有難き幸せ! 女王陛下によろしくお伝えくだされ、ラル男爵家は陛下ために火中に飛び込むことも厭わぬと!」
……調略は成功。
私は耳障りの良い言葉を貰う。
しかし、彼等も我等の力なしには、共和国本国には逆らえぬのも事実。
きっと戦況が変われば、この言葉とて当てにはならぬであろうが……。
「たしかにお言葉承った。陛下もお喜びでござろう。次の戦地ではお味方同士ですな」
「左様、我が兵学の髄をご披露いたす!」
その後、ラル男爵のお誘いを受け、小さな宴会となった。
美しい村娘の踊り子が舞い、美味しい葡萄酒に珍しい豚の丸焼きが出た。
「……ささ、リルバーン殿。大いに飲まれよ」
「もう十分に頂いておりまする」
正直、めちゃめちゃ美味しい酒であったが、昨日までの敵地であったことを考え、ほどほどに留める。
実に残念なほど、料理も酒も旨い。
イオに食べさせてあげたいくらいだ。
……宴もたけなわになると。
男爵が実の娘を紹介してきた。
まだ幼く、私の姿を見て怖がり、母親の背中の陰で怯えている。
「侯爵殿、よろしければ、是非我が娘を側室の末席に加えて頂けまえぬか?」
「……いや、今日は酔っておりますゆえ、その話は後日に」
相手の尊厳を傷つけずに断るのも大変である。
男爵としては、家が生き残るための必死の策なのであろうが……。
私は男爵家に別れを告げ、瞬間転移の秘宝をつかって次の貴族家を目指した。
この魔法のお陰で目を張るほどの時間を短縮できた。
……実はこの魔法。
目的地を明確に意識せねば発動しない。
つまり行った事のない場所へは原則としていけない。
だが、私の念じる目的地はポコリナだった。
実はポコリナにお願いして、夜を徹して目的貴族の領地まで走ってもらっていたのだ。
そうして、私はポコリナが行く場所に瞬間移動できたのだった。
◇◇◇◇◇
アタゴ大平原・中心地ネト城。
この城の政庁で、トレイバー督戦将軍はイラついていた。
「……く、くそう! 忌々しい凶賊、シンカーの奴め!」
この将軍、実は敵王国軍に捕らえられたが、コリンズ辺境伯が大金を支払うことによって、帰還できていたのだ。
よって、以前のような地方領主たちを圧する貫禄は消え去っていた。
「しかし、督戦将軍殿。敵がこの城に攻めてきたらどういたしますか?」
こう尋ねるコリンズ辺境伯は、このネト城の主である。
「もちろん徹底抗戦ですぞ! 辺境伯殿。この城は要害。敵が大軍で攻め寄せようとも簡単に落ちるものではありますまい」
「しかし、兵は逃げ散り、残る兵は三千に満たないのです」
「そこは辺境伯殿! 地方領主どもに兵を出させればよいではありませぬか!」
そう話しているところに、伝令がやってきた。
「東方平原のラル男爵家ほか、新たに三家貴族家、敵に寝返ったとの事。さらに、北方のハチジ子爵家なども続々と敵に降っておりまする!」
「……ば、ばかな!」
この報にはトレイバー督戦将軍だけでなく、コリンズ辺境伯も驚いた。
敵の調略の手が早すぎるのだ。
地方領主たちは敵のリルバーン侯爵家と面識はない。
こんなに短い時間に、多くの貴族家が寝返るのは計算ができないことだったのだ、
「……ヤツは人ではなく魔物か!?」
その時のコリンズ辺境伯はそう驚いたと、副官の日記に記されている。
報告から七日後。
ネト城はリルバーン侯爵が率いる軍に包囲された。
その数、なんと三万五千。
昨日までの味方であった各地の地方領主たちの軍が、ほぼ残らず敵軍に寝返った結果であったのだった。
◇◇◇◇◇
「御開門! 御開門!」
包囲から僅か三日後。
ネト城の大きな大手門の扉が開いた。
城主であり、アタゴ平原の盟主といわれるコリンズ辺境伯が、攻撃側のリルバーン侯爵の軍門に戦わずに降ったのだ。
ネト城は濠も深く、塀も石造りで強固であった。
糧食の貯えも多く、武具も矢も豊富に用意されていた。
三万ばかりの兵が包囲したとて、半年はゆうに持ち堪えられる造りであったのだ。
だが、兵たちが、昨日までの味方であった地方領主たちの旗を見て、戦意喪失。
次々に逃げ散り、籠城戦どころではなくなったのであった。
「顔を上げられよ」
「はっ」
リルバーン侯爵は礼をもって敗将を遇した。
彼はにこやかな様子で、コリンズ辺境伯と轡を並べて入城。
それにより、城内の暗澹たる空気は一転。
城壁内の街並みは、王国軍を歓迎ムード一色で迎えたのであった。