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クチナシト、マガイモノ。是ハ二人ノ再生ノ物語。

 分からない。分からない。

 あたしはなぜ生きているのだろう。

 死んでも変わらないのではないだろうか。

 ふと、図書室で見つけた本。薄く、草花について詳しく書かれた図鑑。生物ならぬ植物記録。

 パラパラ、パラリページを捲る。

 チューリップ、ドクダミ、バラ科のローズ。

 知ってるものも、知らないものも。たくさん、たくさん。

 特に花が好きな訳でもない。なのに、なんで借りたか。祖母が花が好きだったからか。

 おばあちゃんが好きな花は、なぜかたんぽぽだった。

 理由を訊いてみたけど、綺麗だからとしか言わなかったっけ。

 他にも綺麗な花はたくさんある。なのに、なぜだろう。

 他にもなにか言ってたような、ハナコトバだかなんだか。

 ページの花の詳細を見てると花言葉という物を見つけた。

 もしかして、ハナコトバはこの事?じゃあたんぽぽは?たんぽぽはなんだろう。

 好奇心に急かされるように目次を開いて、そのページを引く。

 五十九ページ、……あった。

 たんぽぽ、「真心の愛」「幸せ」。

 幸せ……か。

 思えば、おばあちゃんの家にはたんぽぽがいっぱい咲いてたな。

 ……幸せ、だったのかな。

 あたしは?あたしは幸せ?

 幸せが分からない。不幸の味も分からない。

 何も分からない。きっとこの花言葉しか分からないだろう。

 なんか気分が悪くなって本を閉じようとした時、風が吹いて抑えてなかったページが一、二と捲れていく。

 そして、目についてしまった。

 植物、アカネ科クチナシ属「クチナシ」。

 一瞬、あたしの事だと思ってしまった。けど花のことだ。

 図鑑には綺麗な花の図が書かれているけど、それより名前の由来の方が気になってしまう。

 クチナシの由来、果実が熟しても口が開かない事から命名、か。

 あたしも口無し、だよね。花に親近感湧いてる時点でなんか終わってる気がするけど。

 あたしはこの時花言葉を見なかったけど、ふと思い出した時見たらなんか納得した。

 その後は、あまり記憶にないけど眠くなって寝ていたんだと思う。気付いたら頭に絵本を被って机に突っ伏していた。

 起きてぼんやりした目で何してたんだっけ、と本を眺めていると可愛らしい子があたしに話しかけてきた。

「どっ、どうも」

 最近、転校してきた子だっけ。黒板の前で自己紹介してた記憶がある。

 あたしをあまり知らないこの子だったら、仲良くできたり、するのかな……。


 あの子にハンカチをあげた。多分女の子だから似合うと思う。仲良くしてくれるといいな。

 授業中、窓際に座っていたあたしは花瓶に生けられたなんかの花越しに映る青空を、ただ、ただ、眺めていた。

 ああ、今日も雲はもくもくと水平に動いてる。形を微妙に変えながらこれから動いていくんだろうな。

「……花さん?風花桜歌さん?」

「……!?」

 あたしの名前を呼んだ担任の若い先生は怪訝な顔してこちらを見つめていた。慌てて振り返ったあたしは、多分口をぽかんと開けて変な顔してたと思う。

「教科書の48ページ、五行目から読んでくれる?」

 ……いやだ。

 がた。あたしは立ち上がる。

 いやだ。

 あたしは教科書を持ち上げた。

 いやだ……、いやだ。

 あたしの思考には相反して動作するこの体。それはまるでそう動くことがプログラムされていたかの如くスムーズに作動する。

 いやだいやだいやだいやだいやだ!!

「……は、……か、ふ…………くっ」

 口を開けても声にならない声が発せられる。ということは結局、空気を吐いているだけ。音は発してないのだ。

「……どうしましたか?」

 分かってるだろ。分かってるだろ。分かってるだろ。分かってるだろ。分かってるだろ。お前、お前。お前っ、分かってるだろ!

 あたしが呪われている事、分かってるだろ!

「か、は…………ふ、か……」

 あ、ああ。震える。顔が熱い。心臓が煩い。体が、息が、苦しい。

 たすけ、助けて。誰か、誰か。

「大丈夫ですかっ?もう座っていいから、ごめんね。じゃあ代わりに読んでくれる人いる?」

 ……がたん。

 席に座り込んだあたしは、足が小刻みに震えていた。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け……


 学校の予鈴がなり、放課後、あたしは帰路に立つ。とぼとぼと、小石を蹴って帰る虚しい帰り道だった。

「ただいまー」

「あら、おかえり。おうちゃん」

「うん」

 ママはいつもの優しい笑顔を浮かべている。

 パパも写真の中で朗らかに微笑みかけてる。

「パパ、ただいま」

 あたしは、リビングに飾ってる写真立てに挨拶する。

 パパは、今よりも小さいあたしを膝に乗せて椅子に座っていて、その隣でママがパパにキスしている。そんな、幸せな情愛を描いた一家の家族写真。

 パパが映ってる最後の写真、その一枚が飾られていた。

「おうちゃん、パパにも挨拶してえらいわね」

「もう、ママはいつまでも子供扱いするー」

「よ~し、お母さん今日の晩ごはんは張り切っちゃうぞ!」

「えー!何作るの?楽しみー!」

 ……やめて。

「今日はおうちゃんの大好きなビーフハンバーグだよ!」

 …………気持ち悪い。

「わーい、やったー!」

 ………………あたし、何を感じてるのか分からない。

「いただきまーす!」

 …………………………幸せなの?あたし、幸せ?。

「召し上がれ~♪」

 ………………………………なんか、もうやだ。

「ん!おいしー!」

 …………考えるのめんどくさい。

「そう?今日は自身あるからな~」

 ………………ねえ、ママ。もし、あたしが死んだらどう思う?

「おいしいな~、あむ。うん、おいしい。おいし、……っく。うっう」

 ………………あたしどうしたらいい?ねえ、ママ。いや、お母さん?

「どうしたの!?おうちゃん!?大丈夫っ、ねえ!?」

「ママ、お母さん。あたし、死にたい」

「えっ……」


 翌日の土曜日、あたしは歩道橋の真ん中に立っていた。

 柵にも見える手すりを掴み、足を上げてのりあげようとして、あたしは体が止まった。

 いいのかな。死んで。でも喋れずに苦しい思いをする人生なら死んだほうが。

 あたしは決心する。手すりを掴む手に力を入れて乗り上げる。そして、そのまま、落ちて……

「何してるの?」

 びくっ。

 まだ手すりを乗り上げてない足が止まる。そして振り返った。あたしはその後ろに立つ影ををその目に捉えた。

「……?」

「そんな事したら死んじゃうよ?」

 深々と被った帽子。短パンにワイシャツ。性別のつかない姿をつば付きの帽子が男の子へと仕立て上げる。

「それにほら、女の子がそんな事したらはしたないよ」

 あたしは一時停止した体を見下げ、スカートが太ももでたくし上げられてるのを見つけてしまった。

 この男の子の前で死ぬのも無理そうだし、やめとくか。

「ほら、スカートを抑えとくから早く降りな?」

「っ!?」

 顔が紅潮してしまう。だって、帽子の子があたしのスカートを抑えてお尻を触っていたから。

「…………っ」

 いやっ、恥ずかしい。この子、なんて大胆なの。早く降りないと。

「ねえ君」

「……?」

 手すりから降りたあたしに、男の子は深々と被った帽子を手に取り、外した。

「死ぬのはよくないよ。君に死なれたら困るんだ。ボクがお返しできないから」

 そこにはふっと微笑んだ可愛らしい顔があった。まるで女の子のような顔がそこにあって、あたしはその顔に困惑する。だって、だって。

 だって、その顔は。

(昨日ハンカチをあげた転校生!?)

 彼は、いや彼女か。性別の分からないその子は微笑を湛えたまま、あたしの頭に手を伸ばした。

 ぽすっ。

 いきなり眼の前が暗くなった。なんだ?眼の前子は何をした?

「それ、あげるよ」

 先程の子が、声をかけた事に反応して顔を上げると、その子が視界に映った。

(あ、帽子を被せてくれたんだ)

 あたしは、頭の帽子を触り、外す。

 水色のキャップ帽子。これを、あの子が?なんで?

「ハンカチのお返し。あと、仲良くしてあげるよ。だから死なないで。生きて」

「…………!」

 ああ、あたしはこの言葉が欲しかったんだ。ただ生きる目的が、理由がほしかったんだ。

「ボクは蒼野彼方。一応、男だからね?」

 蒼野、彼方……くん。

 ……好き。

 …………好き。

 ………………あなたの事、好き。

 決めた。あたしは君を生きる理由にする。

 あなたはあたしの生きる理由。生きる目的。

 あなたの為にあたしは生きる。仲良くしてくれるんだもん。帽子くれたんだもん。報いなきゃ。

 彼方くん、あたしは君に絶対報いるからね。

 だから、いつかあたしを、どうか好きになってね。


 いつかの未来であたし達は手を繋いでいた。

「ねえ彼方くん、まだ女装するの?」

「え、似合わないかな?」

「そうじゃなくて」

 いつの日か喋れるようになったこの声で。初めて聞いた彼が綺麗だと褒めてくれたこの声で、彼に話しかけてる。

 そういえば、あたしと初めて喋った時、彼は泣いて喜んでくれたっけ。

 付き合うようになって、初めて声を聴いてもらって。

 あたしはふと目線を下げた。緩いワンピースで覆われた膨らんだお腹。

 そして、この子を授かったんだ。

 ありがとう、彼方くん。あなたのおかげであたしは生きてるんだよ?

 これはあたしが再び生きることを選んだ再生の物語。


 ボクは卑しい人間だ。好きだ、好きだと言いながら彼女を侵してしまった。

 自分が何度も雄になる瞬間を覚えた。彼女との初めての時の悔恨といったらもう耐えられないものだった。

 でも彼女が微笑んで慰めてくれた。優しい目つきで、母性愛のような慈愛に包んでくれたんだ。

 ぼくはこれからも葛藤していくことになるだろう。

 でも、彼女の為に生きようと思った。そうすれば全てを忘れられる気がしたから。

 ボクの性は変えられない。だからいいんだ。だってあの時の彼女は、死のうとしていた彼女は、とても怯えた表情をしていたから。帽子をあげた時の安らかな表情はとても幸せそうだったんだ。

 この笑顔を守りたい。だから、ボクは生きる。

 彼女の為に。ボクの葛藤に折り合いをつけるために。

 そして、この子の為に。

 初めて抱く自分の赤ん坊を見ながらボクは呟いた。

「ボク……、アタシ達の赤ちゃん、はじめまして。これからよろしくね」


 クチナシの花言葉。それは、

「とても幸せです」

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