PM 7:43
東京都内某所
杖をつきながら歩道を歩く老婆。道幅は1.5m強と狭く、左側にはマンションやコンビニが隙間なく並び、右側には白いガードレールが数百m先まで続いている。老婆の足取りは重く、ナマケモノのようにゆっくりとした速度だ。
老婆の眼前から、黒いスーツを着たビジネスパーソン風の男性が運転するママチャリが接近する。男性の視線は右手に持ったスマートフォンに注がれており、老婆に気づいていない。
脇に避けようとする老婆だが歩道は狭く、移動したとしても自転車と体の一部が接触してしまう。自転車側もスピードを緩めて避けようとしない限り衝突は免れない。相変わらずスマートフォンを眺める男性。自転車のスピードが落ちることはない。
自転車と接触する寸前、老婆は叫び声を上げながら尻餅をついた。しかし男性が乗る自転車は老婆をすり抜け、走り去る。事態が飲み込めず、冷や汗を流しながら振り返る老婆。立ち上がろうとするが
−−−−−−−−−−
翌日 PM 1:20
昨夜老婆が自転車と接触した歩道沿いにある交差点に立つ、白いワイシャツを着て紺色のズボンを履いた中年男性が一人。名前は
5分後、ベージュのワンピースを着た女性が田ノ植に近づき、声を掛けてきた。
トモミ「ご依頼いただいた田ノ植さんですね?お待たせしました。トモミと申します。」
田ノ植「トモミさん……私はシゲミさんという方に依頼をしたのですが」
トモミ「シゲミは私の娘です。あの子は怪我をして入院中なので、代理として私が参りました。ご安心ください、私も怪異専門の殺し屋。仕事はきっちりこなします」
田ノ植「はぁ、そうですか。よろしくお願いします」
トモミ「早速、依頼内容の詳細を伺えますか?」
田ノ植は交差点から伸びる1本の道路を指さす。
田ノ植「この道路の両脇にある歩道、見てのとおり道幅が非常に狭いんです。そのため以前から歩行者と自転車の接触事故が多くて、多数の苦情をいただいていました。対策として自転車に注意を促す看板を立てることで事故はだいぶ減ったのですが、今度は別の苦情が来るようになりまして……」
トモミ「どんな?」
田ノ植「自転車に乗った男の幽霊が出るという内容なんです。最初はイタズラかと思いましたが、同じような苦情が50件以上届いています。ここまで多いと信じざるを得なくなりました。現に昨日も、高齢の女性が自転車に乗った幽霊にぶつかりそうになって尾てい骨を骨折する被害が出ています」
トモミ「なるほど。この近辺で幽霊が発生しそうな出来事は起きませんでしたか?たとえば殺人事件や死者が出る事故など」
田ノ植「思い当たる事故が1件あります。数週間前、この道を走っていた自転車が交差点で信号を無視して軽トラックにはねられたのです。自転車を運転していた男性は死亡。後部の幼児用座席に乗っていた女の子は一命を取り留め、今は親戚に預けられていると聞いています」
トモミ「……その男性が自分の死に気づかず、死ぬ直前の行動を繰り返している可能性がありますね。幽霊によく見られる行動パターンです」
田ノ植「事故が起きた日の翌日以降、苦情が来るようになりました。なので何かしら因果関係があるかと……もし本当に幽霊なら、私たちでは手の施しようがありません。そこで怪異専門の殺し屋に調査と対処を依頼することにしたのです」
トモミ「事情はよくわかりました。正式に引き受けましょう。ちなみに、シゲミに提示した報酬はいくらでしたか?」
田ノ植「150万円ですが……」
トモミ「安い。私への報酬は3億円にしてくださいませんか?」
田ノ植「さ、3億!?いやぁ、それはちょっと……上司に言ったら私のクビが飛んじゃいます」
トモミ「ふふふ。冗談ですよ。本来私は報酬として3億円以上いただかないと仕事は引き受けないのですが、今回はシゲミの代理として来ています。150万円で結構です。これは超特大、出血大量サービスですよ。なにせシゲミより高いスキルを持つ私を相場の200分の1の金額で雇えるのですから。金輪際あり得ない幸運だと、田ノ植さんの上司にお伝えください。運を使い過ぎて近いうちに酷い災難に遭うかもしれないことも付け加えて」
田ノ植「はぁ、なんて恩着せがましい人なんだ……」