礼安と丙良は、修行が続行不能のため、一足先に現実世界へと帰投していた。モードレッドのライセンスの破片も持ち帰り、丙良は早速データの吸出しに奮闘していた。
しかし、ゲーム内時間で一週間は達成できた。その為これ以上は出来ない、と言うだけであった。
だが、口が裂けても修行が成功した、だなんて言えなかった。少しの間でも心の面積を割いた存在が、自分の手で一度死んだことが、礼安の絶望と喪失感の材料として充分であった。まるで小さな焚火のような、無常観に塗れていたのだ。
「……成程、そんなことがあったのか。僕がいない中よく頑張ったよ、後輩ちゃん」
涙の跡がくっきり残り、意気消沈状態の礼安。破損したチーティングドライバーと残りのライセンスの破片を手に、ソファに深く座り込んでうなだれていた。
「――未だに、私のとった行動が正しいか、よく分からないんだ。決着をつける、とは言ったけど、殺して終わりなんて……辛くって」
「しかもその相手はあろうことか……自身が多少なりとも入れ込んでいた子だった、ってね。そりゃあそうなる気持ちも分かる。――――僕も後輩ちゃんのように、一年生時代、命のやり取りを一度だけ経験した。酷いものだったよ、君の心情にも共感する」
丙良は作業が牛歩状態となったPCから立ち、礼安のもとに歩み寄る。
「でもね。英雄になる関係上、敵との命のやり取りなんて日常茶飯事さ。全てに感情移入して心を痛めていたら、いつか君の心は壊れてしまう。ある程度自分の心に反しているとはいえ、割り切ることをお勧めするよ」
そういう丙良も、礼安に対して語り掛けている間、声が震えていた。丙良もまた、心を殺しきることができない、優しすぎる人間であったのだ。
英雄である以上、お人よしであることが基本。それ以外の、自分の利を得るべく動く存在は、名前だけは英雄であっても
丙良も礼安も、お人よしであるからこそ、失った痛みがダイレクトに伝わる。心を殺すほどの非情さは欠片も持ち合わせていないのだ。
「……駄目だね、自分らしい心の持ちようなんてできないね。いつだって、敵を倒すならまだしも、多くの大衆が望むことは不安要素の撲滅。つまるところ敵の殺害だからね、英雄の中でも、和平を望む人間にとっては地獄みたいな環境だ」
この二千五十年、英雄による大衆を救うシステムが完全に確立されている中、英雄に対しての風当たりは少々強い。
自分たちよりも恵まれた存在は、往々にして反感ややっかみを買う。それは欲深い人間である以上必然に近いものである。それが、英雄に対して向けられている矢印である。
恵まれた存在が、まるで特権階級かの如くさらに恵まれているならば、それに見合った働きをしなければ圧力がかかる。それこそが、犯罪者や悪人の断罪――いわば殺害である。当人の死亡とまでいかなくとも、明確な断罪は必要とされる。
大衆の安寧のために、そうまでしなければ、いつまでも心の内に不安が募っていくばかり。非情のように思えるが、それが大衆の総意。如何なる犯罪者に死刑、と言う未来を望むように、正義と言う武器を持った大衆はどこまでも非情になれるのだ。
目頭を押さえ、涙を流す姿を見せまいと、少しでも強くあろうとする丙良。
しかし、そんな丙良をよそに、礼安はぽつりと呟いた。
「――――本当に、こういうものだと割り切ることが、強くあり続ける証なら、私は一生弱いままでいいよ。この痛みさえ忘れちゃったら、私は人じゃあないと思うんだ、丙良さん」
礼安の瞳は、変わらず涙ぐんだまま。しかしその瞳は彼女なりの覚悟を宿していた。
「辛いこと、傷つくこと、死んだ誰かの願い。それら全て、私は抱える。引き摺っていく。捨てること、割り切ることだけが強さじゃあないことを私が証明したい。英雄っていう憧れの存在になれたんだ、オンリーワンになりたいよ」
丙良は傾聴したまま、礼安の横に腰かける。手に持ったマグの中にある、コーヒーに口をつけながら。
「――『礼安ちゃん』、君は強い子だよ。普通に英雄やるよりも、遥かに辛い道を歩いていきたいなんて……少しばかり、僕も見習わないと、ね」
もう一つのマグを礼安に促す。中には温かいミルクが入っていた。
「少し、いろんなことがあり過ぎた。一息入れよう」
礼安は破損したドライバーをテーブルに置いて、マグを両手で包み込むようにして少しばかり傾ける。通常よりも、少しばかり甘い。少しでも安らげるようにはちみつを入れていたのだ。
「……丙良ししょ―、一つ頼みごとがあるんだけど良いかな」
丙良は、首を縦に振って無言で返す。
「もしデータの吸出しが終わったら、ライセンスをお守りにしたいんだ。いつか完全に治って、一緒に戦うために。私の覚悟の証しとしても、ずっと持ち歩いていたい」
お安い御用さ、というと、マグをテーブルに置いて再びPCテーブルに向かった。
静かな空間の中に、ミルクを飲む嚥下音と無機質なタイピング音ばかりが響く。
多少なり軽くはなったものの、重苦しい空気が丙良の部屋の中を包み込む。
そんな中、ゲーム筐体の方から激しい読み込み音が鳴り響く。すると、徐々に実体化する院の姿がそこにはあった。
マグを置いて小走りで向かうと、そこにいたのは、目の下に恐ろしいほどの隈をつけた院であった。
そして、院は丙良の寮中に響き渡るほどの大声で叫んだ。
「何で私が一国の政治をしなければなりませんの!!」
過労によって意識が飛びかけていた丙良の魂が、院の魂の叫びによって呼び戻される。
礼安は、というと、院の魂の叫びを間近に受け、驚きによって微動だに出来ない状態にあった。
「……ああ、礼安じゃないの……心臓に悪いことをしたわね……」
遅れてやってきた丙良に対して、フリーズ状態にある礼安を丁寧に横にどかしてガトリングガンのように捲し立てる。
「いったいどういうことなんですの!? 戦う類のゲームかと思ったら一か月の間ほぼ二十四時間体制でウルクの政治をほぼ私一人で行っていましてよ!! お陰様で胃に穴が十か所はゆうに空いて喀血三昧でしてよ!! 三昧するなら寿司やスイーツしか味わいたくないのですが!!」
丙良は疲れ切った頭で考えうる最大限の返答しかできなかった。すなわち、
「……ご、ごめんなさい?」
しかしその返答は、院の心の導火線に着火まで余裕のものであった。
「何がごめんなさいですの!! 修行というからある程度動きやすいジャージで向かったのにも拘わらずほぼ意味なしじゃありませんの!! まだ私がある程度の政治経済学を学んでいたからよろしいけれど、もしこれが向かう人間が逆だったら一日目で国全土巻き込んだ革命発生レベルでしてよ!! 一体全体どういうことなんですの!!!!」
「待って待って、まず
「ロケハン行ってないってことなんですの!? 激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームでしてよォ!!!!」
院のお陰か、それとも丙良のせいか。
今まで重苦しかった空気が、いい意味でも悪い意味でも一気に緩んだ瞬間だった。
「……ところで礼安、貴方……先ほどまで泣いていたのかしら? 目元がだらしなくてよ」
礼安は平静を装うとしていたものの、すぐに諦めた。院が自身のハンカチーフをすでに差し出していたためであった。
「院ちゃんには、何でもすぐバレちゃうね」
「貴女じゃあ私を欠片も騙せなくてよ。大昔から嘘が下手なんですから。とりあえず、貴方の方で起こったこと、話してくれませんこと? 政治絡みの事案ばかり向こうで扱っていたから、色々凝り固まって疲れてしまいましたの」
院は、酷い隈こそできていたものの、礼安に対して微笑みかけたのだった。
「……成程、そんなことが。よく頑張りましてよ礼安」
丙良の寮にて。デリバリーで大量に注文したピザを食べながら、礼安の身に起こった事実上の一か月を語っていた。料金換算すると、一万と五千円。今回の過失の分、と称して全て丙良のおごりである。
「でもね、いろいろ大切なことを知れたんだ。私に力を貸してくれた王様についてだったり、英雄になるうえでの心の持ちようだったり、ね」
礼安の瞳は苦しみを抱えていた。しかし、その苦しみは十割全てがマイナスな感情というわけではなかったのだ。
「貴女は優しすぎるきらいがあります。抱えすぎるのは毒でしてよ――――と言っても、貴女は喜んで抱えるのでしょうけどね」
すると、礼安は首を横に振った。
「全部私が好き好んで抱えてるんだよ、大丈夫だよ院ちゃん。いつか心の器が壊れたとしたって、それは抱えきれなかった私のせいだよ」
どこか心配そうに礼安を眺めながら、ピザを咀嚼する院。
すると、その雰囲気を打ち壊すかのように、院の人間椅子と化した四つん這い状態の丙良が、涙目で語り掛ける。
「ねえ院ちゃん……そろそろ僕もお腹空いてきたんだけど……今回の過失についてもっとうんと謝るからもう許して……はくれないかい?」
院は、そんな丙良の惨状を見て、ねだる子犬の目線を向ける礼安を見やる。気まずそうに咳払いをすると、その問いに答える。
「…………私も鬼ではありません。礼安に対してめいっぱい土下座をしたら許してあげましょう。無論礼安が許したら、の話ですg「許すよ!」
「早いわよおばか!!」
まるで二つ返事であるかのように応える礼安。「礼安が許す」という大前提をクリアしてしまったがために、院は仕方なしに椅子の状態にあった丙良を開放する。
「ありがとう礼安ちゃん! 本当の拷問みたく、院ちゃんが僕の大好きなピザばかり選ぶからねえ、お腹と背中がくっついてしまいそうだったよ!」
「ちょっと貴方! 人のことを性悪みたいに言わないでくださいまし! いつかは許そうと思って予め好みを聞いたんですから!!」
そこからは、三人の賑やかなピザパーティーが再開した。
それぞれの修業内容だったり、院が置かれていた状況だったり。話は尽きることなく、朝まで続いたのだった。
今まさに、別の場所で動き始めた計画など、知る由もなく。