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第三章『尊厳とすれ違いと暴走』

第百二十八話

 現在進行形で、大田区が『教会』によって猛烈な被害を受けている中、信玄は大田区を抜け出し、他の区の都市部を歩いていた。

 車一つ通らない、人も誰一人通らない。しかしそれでいてビルや街灯の明かりはついている、奇妙な東京の夜がそこにあった。小さな丸サングラスに映る夜景は、実に物寂しいものであった。

 ただあてのない、そんな無計画なものではなかったが、彼の精神は揺れていた。

(――――何度、逃げてきた。俺っちと組むことがそんなに嫌か?)

(……嫌じゃあないんだ。全て……その気になり切れない僕が……悪い)

 もう一度、一緒に暴れたい。巨悪を、自分たちの手で打ち倒したい。「今は無理だ」と、明確に否定されたことが、信玄の中で突き刺さる。

「――もう、二人でバカはやれないのか」

 丙良は、後輩思いの良い先輩になった。今回のタッグ戦も、自分にとっての頼れるパートナーが傍にいる。好き勝手やるよりも、どれほどそのタッグを組んだ存在が強かろうと。お互いがお互いを守るよう、動かなければならない。

 いつか、どんな人間であれ現実を見て、人生を歩んでいかなければならない。その分岐路に立たされているのか、と思うと、一抹の悲哀が胸中に巣食う。

 礼安は、圧倒的にポテンシャルが高く、英雄の卵として強いが細部が甘い。さらに、精神面に難があると来たら、先輩である自分が導かなければならない。自分で見つけられる道は、いつだって限られる。第三者による新たな目線によって、気付ける道もある。

「――我慢ってのは。いつだって辛いよな……」

「それはそうだ、いつだって俺は我慢してきた」

 信玄の通り過ぎたビル横から現れたのは、信玄と瓜二つの男。もうフードを被ることはせず、信玄と黒子以外同じ顔が揃う。

「……それほど、暴れたいのか? なら――」

 男が懐からドライバーを取り出そうとするものの、信玄は振り向いてその手を力強く掴む。今までの信玄の軽妙な態度は、どこかへ消え失せた。男に向ける真剣な表情こそが、彼の本質。丸サングラスのフィルターのかからない、本当の『森信玄』であるのだ。

「もう……やめろ。『信之』」

 瓜二つの男。その正体は、信玄の実の弟、森信之モリ ノブユキ。かつては、信玄と共に真っ当な人生を送っていた、因子のない真っ当な人間であった存在。

「――何でだよ、兄貴。俺のやりたいことを……いつだってやらせてくれたろ? 今回も……それと一緒だ、英雄科の『裏切り者』さん」

「それは、そうだが……」

 信玄は、英雄学園内の機密情報を、少しずつ『教会』茨城支部に横流ししていた。それは、弟への罪滅ぼしが全てであった。『教会』のことなどさして考えてはいない、弟を想うが故の『裏切り者』。それこそ、森信玄の今置かれている立場であった。

 掴む手を乱暴に振りほどきながら、信玄の周りを足音も無くただ歩く信之。

「――思えば。俺が物心ついた時から。兄貴はちやほやされていたよな。欲しいもん全部貰って、食いたいもん食わせてもらって。そりゃあそうだ、将来有望な英雄の卵だったからよ」

 幼い子が、将来の夢を「公務員」と語るような感覚。その家にとっての、安定を齎す飛び抜けた存在であったため、恩を売りたかった目的もあるのだろう。

 仮に、信玄が死んだ際は多額の見舞金が振る舞われる。その金が向かう先を自分に向けたい、意地の汚い大人たちの欲望の坩堝そのもののように、蝶よ花よと丁寧に扱われていた。

 しかし、一方の信之は。因子もとびぬけた才能も無かった。学力、中の中。運動神経、部活内でほんの少し話題になる程度。トップなど夢のまた夢。素行、元々は可もなく不可もなく。

 全てが平凡より少し上の能力な中、信玄のとびぬけた才能と人望が、たまらなくうらやましかったのだ。

「――それでも兄貴は……いつだって俺にその得られたものを分けてくれた。俺が恵まれていないことを、知っていたから」

 兄ゆえの、弟を想う気持ち。疎外感のある弟を、日陰から日向に手を引くように。いつだって日陰で遊ぶばかりではいけないと、誰かと触れ合うことが良いことだと、兄ゆえの優しさで弟を連れ出したのだ。

「――――けれど、それはただの『お節介』だった」

 待っていたのは、そんな弟への侮蔑混じりの目が向けられるばかり。英雄の卵である兄を利用し、虎の威を借る狐を、徹底的に嫌う者たちの威圧感。

 貰う言葉は、いつだって罵倒ばかり。それは他人だけに限らず、親含む近親者も同様の酷い言葉を投げかけるばかり。

「……我慢してきた。いつだって。因子持ちじゃあねえからって、住む世界が違うように振る舞いやがる。無才能は、全て淘汰したい。そんな薄汚ェ、上位存在ぶっている奴としての目だ」

「……だから、俺から全てを奪いたいのか」

 いつしか、外の人間を恨むような信之の暗い瞳は、信玄を恨みがましそうに睨みつけるものへ変わる。

 恵まれなかった者が、恵まれた者へ向ける羨望の瞳とは違う。得た全てを奪い去りたい、簒奪者の目であった。

「兄貴には……感謝してるよ。ありとあらゆる情報を横流ししてもらった。デバイスドライバーの製造方法や、そこに秘められた『秘密』も。けどよ……最後に兄貴を消すことで、俺は俺として成り立つ。恵まれなかった奴でも、恵まれた奴を殺せる、それを『教会』に入ることで示したいんだよ」

「信之……」

 信之の恨みは、だいぶ根強いものであった。どうにかして何度か説得を試みているが、精神汚染の影響か、根源的欲求を刺激された結果、元の信之としての要素は……信玄を『兄貴』と呼ぶことと、今まで馬鹿にしてきた他人や近親者、そして恵まれた本人への恨み辛み以外にない。

「――今、他支部からの出向組が、大田区を火の海にしている。お前のタッグ先の女も……無事では済まないだろうな」

 その信之の言葉で、彼の胸倉を掴みビル壁に押し付け、感情のままに頬を殴る。口端を切るのみで、大した傷ではなかった。しかし、込められた怒りは相当のものであった。

「……何で、俺じゃない!? 他人を巻き込むなよ、信之!!」

「言ったろ、兄貴。俺は『お前の大切なもの全て』を奪う、って。お前を始末するのは最後……メインディッシュ最初に食べたら意味ねえだろ」

 真に恨んでいるからこそ。

 真に嫌っているからこそ。

 真に殺したいからこそ。

 その対象の大切なもの全てを奪ってから殺す。心をより色濃い絶望へ染めるため。

 債権者が、債務者にまず危害を加えるのではなく、まずは近親者の『安寧』を盾に金をせびるように。

「――『才能』ってやつはクソだ。いつだって、頑張るやつを蹴落としにかかる。どの分野であれ、九割九分の人間の崖際に捕まる手を踏みにじる。嘲笑いながらよ。本人は笑ってねえと嘯くが、心中ではほくそ笑むクソばかりだ」

 袖口から、暗器の要領でスタンガンを取り出し、信玄の首元に強電流を流し込む。本人の意思とは関係なしに、その場で気を失ってしまう。辺りに寂しく転がる丸サングラスは、レンズが割れ使い物にならなくなってしまった。

 信之は、何も語ることはなく、イヤホン型の小型無線で下っ端を呼び、信玄を即座にやってきた黒いリムジンに乗せ、どこかへ連れ去っていく。その際に、しっかりとライセンスをくすねて。

「ライセンスには、無数の戦闘データが含まれている、んだよな? なら……その適合する『因子』を持たない奴でも、その戦闘データをもとにどうとでもできるよな??」

 大切なものをちまちま崩していくのではなく、乱暴に蹴倒すなら、そして英雄たちにとって最悪の算段。

 信之の手に握られた、もう一つの念銃の銃口が、妖しく光るのみであった。



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