「ネネー!おきてるー?」
母のミハルの声がする。
「ご飯できてるわよー」
遠く近く。
ネネはがばりと起き上がった。
ネネはベッドに突っ伏すように眠っていたらしい。
ぼんやりした頭で考える。
夢でも見ていたんだろうか。
ぼりぼりと頭をかく。
鏡を見ると、服装を整えた自分。
そして、記憶に違わない渡り靴。
「あ…」
ネネは思い出す。線を辿ったことを。
「ドライブ?」
ネネは螺子ネズミの名を呼ぶ。
いつも肩にいたはずの存在。
『しー!』
鈴を転がすような声がする。
「ドライブ!」
『螺子ネズミは表に出たら大変なのです。内緒なのです』
「ふぅん、そうなんだ」
『パソコンの裏に隠れてるです』
「了解」
チリリンと鈴のなる音。
ドライブは、いる。
ネネは自分の腕を見る。
野暮な腕時計みたいな端末。
ネネは一応パソコンを起動させ、
レディからもらった端末に場所を記録させた。
よくわからない表示が出たが、多分大丈夫だ。
多分、システムオールライトと出た気がする。
「ネネー」
母の声がする。
「今行く!」
ネネは大声で答える。
答えて、パソコンの電源を落とした。
チリリンと鈴がなる。
「いってくるよ」
ネネは見えないドライブに向かって言った。
ネネは二階から降りて来る。
台所からはいいにおいがする。
ほうれん草のソテーは、昨日のほうれん草の残りだろう。
焼き魚と味噌汁。豆腐もある。
「今日は早いのね」
ミハルが声をかける。
「うん、いろいろあって」
ネネは適当にごまかす。
「何か楽しいことでもあった?」
ネネは不思議に思った。
いつものように、ぼそぼそ話している気がするのに。
「お母さんを甘く見ないこと。ネネが生まれたときからお母さんなんだから」
ミハルは笑う。
ネネもつられて笑った。
笑顔の伝染が心地いいとおもうのは、一体いつからだろう。
「笑いたいときには、お母さんがいるわよ」
ミハルはご飯を盛り付けながら言う。
「泣き言言いたいときもお母さんがいる」
ミハルはご飯をネネに手渡した。
「いつでもお母さんはネネの味方だから」
ネネはうなずいた。
「さぁ、食べちゃいなさい」
ミハルに促される。
「いただきます」
ネネは挨拶をした。
ネネはもぐもぐと朝ごはんを食べる。
ミハルは強いと思う。
十ヶ月ほど、腹の中で子どもを育てる。
それはとても勇気のいることだと思う。
大きなお腹の中にネネがいて、
産み出され、育てられ、今のネネがここにいる。
ミハルは強いと思う。
普通の主婦のはずだが、ものすごい強さを持っている。
普通の主婦は、みんなこんなに強いんだろうか。
産み出すということ。
ネネには計り知れない力だ。
そして、産み出すだけでなく、
子どもの味方になるということ。
涙が出るほどあたたかく、それは優しく、
よくわからないけれど、一つの大きなものに近い気がした。
たとえば毎日ご飯を作ること。
たとえば毎日洗濯をすること。
そんなものの積み重ね。
マモルと結婚して、ネネが生まれて。
ミハルは毎日主婦をしている。
「お母さん」
ネネはつぶやく。
お母さんとはとても強いものだ。
「なに?」
底抜けに明るいミハルの声。
「あの、その」
ネネはどもる。何を言いたいかわからない。
それでも、一つの言葉を探し出す。
「…ありがとう」
ミハルは、くしゃっと笑った。
それは何も知らない子どものような笑い方で、
ネネはその純粋さを感じたような気がした。
母というもの。
母になるというもの。
何かに近いと感じたが、ネネには大きすぎてよくわからなかった。
いつも味噌汁があたたかくておいしいこと。
そういうことを感じられるのは、幸せなのかもしれないと思った。