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file3 壊れたロボット


 ――――ジィ――――――

どこかで聞いたノイズに、目を開ける。


 明るい。

 白色光に目が痺れる。フィルは目を擦る。


『 クロエ博士 』

「きゃあ!?」

 ロボットはいつの間にか、音も無くそばにいた。今夜だけでどれだけのダメージを負っただろうか、フィルは跳ねる心臓を押さえ込む。

 特に気に留める様子もなく、ロボットは再び部屋の奥に戻る。

「……?」

 まだ少し動悸を感じる。その背中につられるように、フィルは部屋へと踏み入った。


 ――――――――――――


 タスク更新


 ――――――――――――


「あ……ねえ。これって、あなた……がやったの?」

 フィルの頭上、煌々と部屋に満ちた光を指差す。二人称を言い淀んで、ロボットの名前を知らないことに気がついた。

『 肯定 』

 そう応えたロボットは、先程までの青白い光はもう見えなかった。今やその外装は、極めて鈍い銀色を呈す。

 電気はとっくに止められていると思っていた。が、そいいえばシャッターや扉は電子制御で動いていたのを思い出す。


 ひんやりとした空気が、シャツ越しに肩を撫でる。

 フィルはあたりを見回す。

 リビングよりもやや広い空間。白塗りの壁に、銀の配管が剥き出しの天井。閉鎖的だが整っていて、清潔な印象を受ける。物は多い。幾つも置かれた書棚や書き物机に、書類や電子機器や衣類などが、雑然と収まっていた。

 部屋の隅には銀色の扉があり、その窓から、ずらりと並んだ円形の突起が見える。


 フィルは思い出す。大学構内で見た、アクリル張りの研究室。そして、3階廊下で小窓越しに見た、クリーンルームへ続くエアシャワー室。細部は違うが、こことそっくりだった。


 正常化バイアスが限界を迎える。アマチュアの趣味部屋と言い張るには無理があった。




 ロボットは部屋の隅で、雑務をこなしていた。机の奥から発掘したデバイスを操作し、並行して書棚を漁る。大型蓄電池の設定、太陽光パネルの整備状況、上下水道とガスの契約状況、各種通信、投資取引明細、土地の権利関係、サブスクの更新および解約……

 それらは全て、彼女のためのことだった。彼女がこの家で暮らせるように。

 ロボットは踊るようだった。そうして軽快に、自機のメインオーナーが余計に契約したサブスクリプションを、片っ端から削除していった。


 ――――――――――――


 タスク更新


 ああ、痛快だ


 ――――――――――――




 フィルは、ここまでに見たものから推理をまとめる。頭の中には荒唐無稽な空想も飛び交ったが、それは極力シャットアウトしたつもりだ。また、推理と呼べるかは非常に怪しい。


まず初めに、ここは『クロエ博士』の家、および研究所。これは間違いないだろう。そして、あのオーパーツ級のロボットは、クロエ博士の手によって造られたのだろう。

 それから……クロエ博士は5年前、この家を出て、それきり帰らなかったらしい。理由は分からない。

 そしてロボットは、発見した時瓦礫に埋もれていた。これも理由は分からないけど、誰かがわざとやったんだろうか?

 あと、言動から察するに、このロボットは壊れている。私を『クロエ博士』と呼ぶのはそのせいだ。


 そして、最も重要で最も確かなことが、2つある。


 ひとつ目……ここは、私の新居じゃない。

 ふたつ目……私は、不法侵入者だ。


 朝までに誤解を解いて、逃げなければ。



「ロボットさん、言いづらいんだけど聞いて。私、フィルっていうんだ。あなたの言うクロエ博士じゃないよ。悪いけど、私もう帰らなきゃ」

 ……なんて言うのは、どうにも気が引ける。


「ね、あなたの持ち主って、本当にこんな顔だった?よく見て、思い出してみて。5年前だと私、まだ13歳だよ?」

 ……これだと遠回しすぎるかも……


「ちょっと用事があって出かけるね、すぐ戻ってくるから」……で、そのまま逃げる。う〜〜ん……それってなんか、あんまりじゃない……?


『 クロエ博士 』

「ぎゃぁっ!!」

 件のロボットが背後に立つ。そろそろ本当に心臓が止まりそうだ。

 なにか言おうとして、フィルはハッとする。

 危ない、クロエ博士と呼ばれたのに、うっかり応えるところだった。フィルはぐっと口を噤む。

 『 クロエ博士 』

 またロボットが呼ぶが、フィルは石像のように固まって、応答しない。作戦その1、無視。


 ロボットは、フィルのシャツの裾を引っ張り、また呼びかける。『 クロエ博士 』

 ガラス玉の中の模様が、ふるふると揺れる。

 ………………。

「……ええっと、私に話しかけてる、のかなー?」

 罪悪感に負けた。仕方ない、今のは分かりにくかったと思う。

『 クロエ博士 』ぱっと模様が正常に戻り、ロボットはデバイスを差し出した。なにかのサイトのようだ。

『値段.com』のロゴの下に、家電製品がずらりと並んでいる。

『 要望 商品 注文 』

 買え、ということか。「待って!私そんなお金――」じゃなかった、ゲホゲホと咳込みごまかす。


「……い、いやー、ちょっと分かんないなー。なんていうか……私、クロエ博士じゃないし」

 言った。作戦その2、言う。目一杯明るくサラッと言ってみた。サラッとすぎて少々早口だったが、果たして。


 垂直に浮かぶ楕円形は固まっていた。そして――機体が45度左に傾き、ガラス玉の模様が『?』を形成。

『 謝罪 突発性難聴 』

 ――すみません、よく聞き取れませんでした


 フィルの僅かな闘争心に火がつく。

「そっか……んっうん、クロエ博士って誰?」

『 謝罪 突発性難聴 』

「私フィル!クロエ博士じゃない!」

『 謝罪 突発性難聴 』

「ロボット君?聞い」『 謝罪 略 』

「ちょ」『 略 』


フィルは息を切らし、頭を抱える。

 ……なんて……タイミングが悪い……

 フィルの塵のような闘争心は燃え尽きた。


「……と、ともかく、それは買えないよ。お金も無いし、それに私は――」

 ロボットは即座にデバイスを操作し、再度フィルに差し出す。今度は、銀行の口座画面?

 最新の項目へスクロールする。目玉が飛び出た。

『 心配 不要 』ロボットは模様を細く歪める。

「えっ……とぉ……」


 目眩を堪えて、フィルは必死に言葉を紡いだ。

「……い、一応聞くけど、この、これは、えー……その、なんのお金……?」

 ロボットは少し考えるように沈黙し、すぐに答える。

『 5年 太陽光 発電 売電 貯蓄 合併 投資 』

 間をおいて付け加える。

『 臍繰 』


 へそ……へそくり……?

 へそくりって、へそくり?

 なんの?だれの?……ロボットの?

 指を折って、いちじゅうひゃく……と唱える。何度も繰り返す。何度も……


 フィルは頭痛がした。

「……ああ、その……ちょっと、後にして欲しいかな……頭痛くて……」

『 鎮痛剤 要望 クロエ博士 』

「えっと、いや……大丈夫」

『 承知 』


 フィルは、その場にあったパイプ椅子へ、浅く腰掛ける。ロボットは背を向けて遠ざかっていく。ほんの少し呆けて、フィルはうわごとのように叫んだ。

「あっ。わたし、クロエ博士じゃないよー」

『 謝罪 突発性難聴 』


 はぁ、と息を吐く。遠い割にはよく聞こえるんだな。

 …………。

 わざとなんだろうか?

 私がクロエ博士じゃないと分かった上で、あえて聞こえないフリをしてる?

 …………まさかね。


 静かな機械の音。ホワイトノイズ。

 フィルは、ロボットの境遇に思いを馳せた。

彼は壊れている。持ち主は居なくなった。さながら迷子の可哀想な子犬、ネグレクトの末に心を病んだ子供。誤解を解いて逃げるというのは絶望的だった。


 機械福祉に心惹かれ、進路を決めたのは、彼のようなロボットのためだった。知らないうちにうとうとと意識が遠のく。寝入り端の瞼に、高校の教室が見えた。



(……いいですかみなさん。私は、このアンケート結果にがっかりしました。教科書の代わりにハッキリと言います。AIに心はありません。そういった意味で、AI福祉を履き違えないでください。

 全ては人間のオキモチ次第。コードひとつで記録を書き換えてやれるのに、そうしない理由は、単なるエゴです……)


 憧れを踏み躙った性悪教師。本当に性格が悪かったが、言うことに筋は通っていた。あと、かなり目がイってた。


 嫌な記憶に目を覚ます。10分ほど寝ていたらしい。

そうだ、彼は子犬や子供じゃない。ロボットだ。フィルは隣の机に向き直る。

 作戦3……。あの教師に賛同するのは本当に癪だったが、もはやこれしかない。


 据え置きデバイスの電源ボタンを押す。まず、ロボットについて調べなければ。デバイスにデータ共有があれば儲け物だし、プログラムのコピーがあれば、それを元に彼を治せるかも。もし無くても、基本情報が分かれば、最悪の場合にフォーマットキーを作ってやれる。


 デバイスが起動し、ロック画面が表示される。

これは……顔認証?ずいぶん古い規格だ。フィルは顔を隠しつつ、机の引き出しや棚を軽く漁る。すると、青い背景の証明写真が出てきた。

 しめた。デバイスのカメラに写真をかざす。


 =======

 ロック解除


 ようこそ、おバカさん。

 =======


 ガタンッ!!


 ――後方で、ものすごい音がした。

 振り返る間も無く、重量物が手を弾いた。

「いっ――!」

 ガッ、ゴトト――ガシャアン――!!


 ……ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ……

 聞いたこのない警報。

 フィルは恐る恐る振り返る。


 書類の山が崩れて散乱する中、鈍い銀色の楕円が……ロボットが倒れていた。動かないその手の中で、デバイスが震え、警報を鳴らしている。

 ……ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ……


 安物のカバーがつけられたそれは、フィルのデバイスだった。


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