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file2 居た堪れない


 フィルは確信する。

 こんなロボットは、おそらく市場に存在しない。


 浮遊モジュールは、物質的にも法的にも取り扱いが難しく、量産体制は未だできていない。粘土、プラスチック、金属……外装は、既存のどれにも当て嵌まらない素材だろう。ガラス質の伸縮可変ワイヤー、関節も無いのに立体機動……数年前流行ったマンガで見た。つまりファンタジーだ。顔……顔?これ顔?楕円形の機体の中央、ちょうどくぼみのところに球体がある。ガラス玉だろうか。これも浮いているように見える。


 見れば見るほど分からない。フィルの頭には「オーパーツ」の字が浮かんでいた。


 そして、つい先ほどのことを思い出す。

 (おかえりなさい、くろえはかせ……)

 ロボットはそう言った。

 流暢な男性の声。少し古いサービスでよく聞いた、感情を込めない合成音声だ。


 クロエ博士。クロエハカセ。

 フィル=ウィンステン。ミドルネームを足したとして、アナグラムにもならない。


 ロボットに人違いをされている?

 それとも、プログラムに入っていた音声を、たまたま自動再生した?


 件のロボットは、フィルを部屋の外に連れ出すと、丁寧に床へ下ろし、そのまま下階に降りていった。フィルはとっさに追いかけて、その後ろを着いて行く。

 階段、玄関ホール、リビング、キッチン……短い道のりとはいえ、沈黙が落ち着かない。


「あ、あの、ぅ」

 フィルが呼びかけると、ロボットは移動を止め、フィルに向き直った。

「あ、いや……大したことじゃないんだけど、ね。その……」


 ……ロボットがあまりにもじっと見つめるので、たじろいで、次の言葉が出ない。

 フィルはサポートAIを切ったことを後悔した。あれの指示に従う限り、コミュニケーションはひとまずどうにかなるのだ。AIならこういう時、どんな指示をした?必死に記憶を辿る。

 (……まずは、謝るべきことがありますね。このように仰ってください……)


「……えっと、勝手に入っちゃって、ごめんなさい。誰かいるって、思わなくて……」

 ……

「あのあの、それと……さっき、転んだとき助けてくれたよね。その、本当にありがとう……」

 ……

「……はは、じゃあえっと……もう大丈夫です……」

 ……

ロボットは何も言わず、フィルを凝視する。薄々感じていたが、機能不全があるのだろうか。よく考えたら、発する言葉も、短く単語を放つのみだ。


 ロボットは突然、ガラス玉の中の模様を、きゅうっと細く歪ませた。そして、フィルの手を、その奇妙な両腕ですくい取る。フィルはぎょっとした。


『 許容 』

 珍しく聞き取れた。許容……許す?

 いいよ、ということだろうか。フィルが何か言おうとしたが、ロボットは続ける。


『 クロエ博士 』


『 5年 不在 』

『 不問 』『 再来 』


『 歓喜 』


ロボットは、フィルの両手をぎゅっと握る。再度、模様を細く歪めた。


「……えっと……そうなんだ?」

訳もわからずフィルがそう言うと、ロボットはするりと手を離し、背を向けて移動を始めた。


 流暢な男性の声。フィルは頭の中で、継ぎ接ぎの意味を繋ぐ。

 クロエ博士……フィルのことを指しているのだろう。

 ……は、5年の間、不在だった。

 ふもん?不問?問わない?

 再来、に、歓喜する……


 ――あなたは、5年、不在でした。不問にします。戻ってきて嬉しい。


 フィルに電流が走る。冷や汗が吹き出す。

 まさか。まさか。また何か聞き間違えたに違いない。推測が間違っているかも……

 ……ロボットの、細く歪んだ模様。笑っていたのだろうか。ぎゅっと手を握って……


 迷子の子供が「ママ」としがみついてきたような、えも言われぬ居た堪れなさが、腹のあたりに込み上げる。

それは、単なる人違いとは訳が違った。

マズいことになった、かもしれない。



『 待機 』

 ロボットはキッチンの奥で立ち止まった。目の前には壁一面の大きなカーテン。

「窓?えっと、私は……」

 カーテンが勢いよく引かれ、フィルの言葉は遮られる。


 窓ガラスが当てはまるはずのそこは、物々しいシャッターで塞がれていた。ロボットが中央のキーを操作する。電子音と、鉄の擦れる音が響く。


 シャッターが開く。その奥には、コンクリート製の階段が、地下へと影を作っていた。




 ロボットの淡い光を頼りに、階段を降り、通路を進み、もう一度階段を上がる。すると、小さな部屋があった。打ちっぱなしのコンクリートの壁に、いかにも重厚そうな扉が収まっている。

『 クロエ博士 』


 しばらくぼうっとして、フィルはそれから気がつく。そうか、自分のことだ。慌ててロボットに駆け寄る。


 ロボットは小さなパネルの前に浮遊し、フィルに手を差し出していた。

『 拝借 右手 』

「え?右手?」

 反射的に手を伸ばす。ロボットはフィルの手を取ると、その掌をぺたりと密着させる。


 そしてロボットは、フィルに見えないよう、パネルの隙間からワイヤーの指を差し込んだ。


 ――――――――――――


 生体認証


 エラー

 エラー

 エラー

 …………………………。

 インストール


 暗号解読


 コード改竄

 エラー

 阻止

 ハッキング


 …………………………………………………………。


 完了


 ――――――――――――


 『 完了 』

 20秒足らずの静寂の後、ロボットはそう告げた。

「へっ?――」

 ガコン、と鉄のぶつかる音。ビープが鳴る。

 硬く閉ざされた扉が開く。

『 待機 』

 小気味いいスライム音とともに、ロボットはフィルの掌から剥がれ、扉の奥へと進んでいく。その手はみるみるうちに変形し、気付けば元のワイヤーに戻っていた。


 フィルは、開いた扉の前で立ち尽くす。呆気にとられていた。

 今のは一体……

 小さなパネルに視線が向く。ポストカードサイズのそれは、手紋認証に使われるものだった。大富豪の金庫に取り付いているような、そんなイメージがある。


 そんなものが、なぜここに?あのロボットと関係が?……そもそも、どうして開いた?

 ――クロエ博士?


 右手を見る。さらりと乾いた掌に、ロボットの冷たい腕の感触が残っている。

 妄想が次々と浮かんで消える。しかし、それらしい推理をするには、情報も頭も足りなかった。


パチッ……パチッ……

 扉の奥で、スイッチのような音がした。

 フィルが顔を上げた――直後。




辺りが、真っ白になった。

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