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file1 瓦礫の下の蓮華



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 リビング……キッチン……客間……階段……順々に部屋を照らしていく。

家具類はそのまま置いてあるが、戸棚の中は空だった。テーブルやソファは、壁際に窮屈に寄せられ、人が生活している様子は無かった。家電類は、キッチンの棚にトースターが座っていたが、他は錆びた電池が落ちているだけだった。

 2階に上がる。

寝室には、扉の開いたクローゼット、ベッドの木枠。それと、小さな机椅子が、リビングと同様に壁際に寄せられていた。

 今夜はあまり冷えないようで助かった。フィルは頭の中で、リビングのソファを寝床に決めた。キャリーケースに持ってきた大判ストールを敷けば、カビもいくらかマシになるだろう。


 暗い廊下向かいの部屋を開けると、意外にも物がいくらか残っている。金属やプラスチック、ツヤのある木材……埃を被り、箱に収まるそれらは、どれも奇妙な形をしていた。

 パキ。

 小気味いい音が静寂を割く。驚いて、フィルが足元を照らすと、キラキラしたものが見えた。ガラスが靴の下でノイズを立てる。

 細い、飴細工のように湾曲した破片は、よく見ると部屋中に散乱していた。破片の中心には、瓦礫の山がある。


 フィルは、そろそろこの肝試しを切り上げたかった。これから一晩泊まろうという廃屋で、曰く付きの何かしらを見つけることにメリットは無い。端的に、肝は十分に冷えていた。

 しかし、ここまでの行動を起こすように、フィルは好奇心も中々強い人間だった。直後、これは悪い方向に作用する。


 フィルは部屋を出ようと一歩下がったとき、目の端に淡い光をとらえた。

 瓦礫の下から、薄ぼんやりと青白いものが漏れている。デバイスの明るいライトが退いたので、初めて認識できたのだ。


 この家で見た、初めての光だった。フィルはデバイスのライトを弱め、瓦礫に近づく。

 パキン、パキョ、ピキ……

瓦礫の山は、足の折れた椅子や、潰れた棚などで構成されていた。人為的、の文字が浮かんだが、フィルはさして気に留めず、突き出した足に手を掛けた。


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 振動を検知


 振動を検知


 振動を検知


  ?


 音声認識 on

 基本動作設定 2


 痛覚を検知


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「……いしょ……ここが引っかかる……」

 この棚をまず下ろして、それから脚立を引っ張る。瓦礫の山は、絶妙なバランスで成り立っていたらしい。棚がずり落ち、鈍い音がした時は冷や汗が出た。


 フィルは、転ばないように気をつけて、ゆっくりと瓦礫を除いていく。なにせガラスの破片が散乱している。尻餅をついたら、穴がいくつ増えるか分からない。……冗談にならないのだ。

「はぁ……もうちょっと……」


 大学生になって約一週間。入居したアパートではダブルブッキング。向こうは自分よりも深刻な事情を抱えていると聞き、その事情を聞き、折れてしまったのが運の尽き。とにかく、すぐ入れる物件を大家に見繕ってもらったが、出鱈目な地図片手に町を4時間彷徨う。挙句、廃墟で肝試し、なぜか瓦礫の山を崩している。

 とっくに自暴自棄なのかもしれない。フィルはへらと笑った。


 「んっ……!」

 バネの出たマットレスをひっくり返す。と、光源がようやく顔を出した。室内が一気に明るくなる。


 ……丸い。丸というか、楕円。いや卵形……どれも少しずつ当てはまらない。フィルは首を傾げる。どこかで見た形だが、出てこない。


 その青白く、ぼんやりと光るそれは、表面がとてもなだらかで、異質だった。埃もガラス粉も滑り落ち、瓦礫の中にぽっかりと浮かぶようだ。


 これも何かぴったりの表現があった気がするが、思い出せない。汚い環境の中で、それを被らず美しくあるもの……みたいな。


 さて。

 フィルは一息つく。これはなんだろう?

 楕円形(暫定)で、大きさは1mほど……よく見れば、しっほ?ヘラ?がついている。そして青白くぼんやりと光る。


 おそらく人工物。たぶん、ロボット?でなければ、オシャレすぎる照明器具か……

 『ロペット』シリーズにこんなのはあっただろうか。ひょっとして、『マテリアル・ガールズ』?ボーイズシリーズが出たって話は聞いたことあるけど……需要がわからない。まさか、個人でロボットを作れる筈がないし、既製品のどれかだろう。

 素材は何?シリコン?楕円の縁を指でなぞる。

 すると、にわかに光が揺らいだ。

「わ……」

 フィルは思わずのけぞり――そのまま、後方へゆっくりとバランスを崩す。

「わ、あっ、あっ、あっ!!」


 ――――――――――――


ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


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 ……


 ……痛い。

 尻餅も、片手を付くのも避けようとして、結局フィルは背中から思い切り倒れてしまった。破片はどのくらい刺さっただろうか。そっと起きようとして、違和感に気がつく。

 踏ん張りが効かない……床を捉えられない。半分浮かんでいるようだ。運良く、瓦礫に倒れ込んだのか――


『 危険 』

 無機質な声が響く。今度は一体何?誰?フィルの体が強張る。

「だ……誰……」

 ……返事は無い。か細く震える声が静寂に響く。

 寒気がした。なぜここまで踏み込んだのか。今すぐ逃げなければ。フィルはもう一度もがく。


『 危険 不動 』

 心臓がギュウっと嫌な音を立てて跳ねる。またあの、男の声だ。きけん?ふ……?突然のことで、何を言ったのか聞き取れない。まさか、脅している?動くなってこと?

 どこかのニュースで見たことがある。廃墟には、妙な人間が住み着くことがあると。素行不良の若者や、テロリスト集団、逃亡中の犯罪者、ホームレス……

 そういった人間がどんな行動を起こすか。悪い想像はいくらでもできた。

「わ……わ、わかった、なにもしない……から……」

 フィルはとにかく、抵抗しないことを選んだ。力で勝てるとは思えなかったし、できるだけ穏便に済ませたかった。

『 待機 』

 たい?たいい?ターキー?……急に話し始めるので、やはりうまく聞き取れない。


 すると、フィルの体を支えていたものが、急に動き出した。同時に、室内を照らす光が波打ち始める――フィルは目を疑った。


 床に落ちていた楕円形が、ゆっくりと持ち上がる。動きに合わせて、室内が青白く波打つ。


 よく見れば、細い螺旋が、楕円の両脇からどこかへ伸びている。腕らしきそれの行先を辿ると、終着点はフィルだった。


 楕円と――おそらくロボットと。

 目が合う――おそらく。


フィルは思い出した。

蓮華だ。

ヒレのついた楕円形。泥の中から伸びるもの。

青白く咲く、泥中の蓮……



 フィルは浮かんでいた。奇妙な両腕に支えられて。倒れた時からずっと支えられていた。


 そしてフィルは……この先ずっと、この奇妙なロボットの腕から逃げられなかった。


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 生体認証


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 暗号化


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ロボットは、奇妙に歪んだ目を細める。


『 オカエリナサイ クロエ博士 』

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