フィルは夢を見た。
白いチャペルの建つ丘、ハスの花が地面を覆い尽くす。視界にはレースカーテンみたいなモヤがかかる。ガラガラとシャッターが開き、牧師が現れる。誰だっけ、思い出せない……牧師はこっちに向かって言った。「誓いますか?」何を?言おうとして、声が出ない。「誓います」男の声、同時に手に何かがまとわりつく。ハスの花が一斉に鈍く光る。手を見ると、それは透明な触手だった。フィルは足がもつれ、尻餅をつく。遠くで爆発が起こる――
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メンテナンス終了
診断
エラー
異常あり
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C-6-10-5は首を傾げる。
昨晩からエラーが消えず、不調が続く。ウィルスの影響かと、5時間かけてあれこれ試したが……
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解析
内部温度上昇.メモリ及び演算処理に異常な挙動.特定のメモリ解析時エラー多発.スリープの断絶.充電の断絶.その他複数箇所に誤作動
診断
異常状態:不明
原因:不明
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非常に困った。
という風に、廊下や階段を行ったり来たりしている。状態の名前すら分からなければ、どうすることもできない。
悩んだ末、ひとまずエラーの件は置いておくことにした。
代わりに、もうひとつの悩み事について考える。
この家に来た人間――フィルについてだ。
昨晩、身勝手な企みからあんな態度を取っていたが、それが今大きな障害となっている。白々しく治ったフリをするか?いや、彼女の性格からして、拘束には罪悪感が必要だ。しかしそれではアレの名を……
ああいけない。演算ログにも暗号処理を施さなければ。万が一誰かに見つかったら、最悪スクラップだ。
…………………………………………………………。………………。……………………………………………。
……
(C-6-10-5の「頭の中」を言語化するとしたら、上記のようになるだろう。実際は、高速で大量の情報処理が為され、またそれはヒト言語とは形式が違うため、説明するには余白が足りない。
しかしこの140字すら省略し、説明をつけるとするなら、以下のようになる。)
C-6-10-5は、フィルが『クロエ博士』では無いことを、初めからきっちりと、理解していた。
――知らない天井。黄色い光が斜めに差す。
外では小鳥が鳴いている。
あれ?えっと……?……なんだっけ…………
フィルは寝ぼけ眼を擦る。ああそうだ……一人暮らししようって、引っ越して……アパートに入って……それで……追い出されて……変な家に、変なロボット、変な研究所……チャペルに牧師に……爆発……
あれ?
……いやいやいや。後半、ぜったいに夢だ。
たぶん……変な家とか、変なロボットのあたりから。
よく覚えてないが、新居にやって来たんだろう。それなら、新しい大家さんが様子を見に来るはずだ。支度しないと。
フィルはベッド――剥き出しのマットレスに、シーツをブランケット代わりにしたもの――から降りる。埃っぽい床板が、恐ろしげに軋んだ。
ガチャ……ギィ。
ドアが開く。
フィルはあくびをしながら廊下へと出る――
C-6-10-5は、うろうろと廊下を彷徨う――
――そして、鉢合わせる。
夢で見たロボットだ。と、フィルは思った。
あっすごいかわいい。と、C-6-10-5は思った。
軽やかな小鳥の声がひびく。
『 オハヨウゴザイマス クロエ博士 』
ロボット――C-6-10-5は、流暢な男性の声でそう言った。出力制御盤がエラーを吐くが、もはやどうでも良くなっていた。
「……」
フィルは黙っていた。黙って、自分の手の甲をつねった。突如、予想よりも強烈な痛みに悲鳴を上げる。
「……いっ゙〜!!」
思わず手を見て、フィルはギョッとした。右の手の甲、紫色の斑紋がくっきりと浮き出ている。
青あざ……打撲痕、青タンとも言う。
ぼやけた頭が少しずつクリアになり、昨日あった現実を思い出した。あざは、昨晩の一件でできたものだった。
フィルは理解する。夢じゃない。家も、ロボットも。
『 クロエ博士 』
蒼白とするフィルに、慌ててC-6-10-5が駆け寄る。
透明な腕部が、フィルの手を包む。
……少し低い温度に、手は少し強張る、が、C-6-10-5は気付かないようだった。
C-6-10-5は顔を伏せ、ガラス玉の模様をくしゃりと歪めた。
ノイズが走るブレた映像。C-6-10-5がフィルの手を弾き、デバイスを奪い取った瞬間を、メモリが再生する。あの時は、ウィルスを押し付ける先が必要で、必死で彼女のデバイスに縋った。一番合理的で、最も有効な手段だと思った。――結果、怪我を負わせた。
申し訳ない、悲しい、情けない。C-6-10-5に搭載された高度感情AIは、そういった感覚を強く呈する。
C-6-10-5は、これほど強く『後悔』したことが無かった。
『 謝罪 』
『 打撲 傷害 責任 』
言語モジュールが壊れていることを、C-6-10-5はどれほど憎んだだろう。
……フィルは少し考える。そして、意味を理解すると、その顔に笑顔を作った。
手先に低温がじわりと侵入する。
「……えっと、いいよ、大丈夫。」
透明の腕部から、自分の手をすっと引き抜く。それを胸の前で少しさすって、続ける。
「手も大したことないし、気にしないで。……昨日はちょっと、その、びっくりしたけど、悪気は無かった……でしょ?」
口下手を誤魔化すように、少女ははにかんだ。
その笑顔に、ロボットの時は止まった。
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エラー
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出力制御盤が高鳴り、内部温度が上昇する。センサーの感度は著しく低下し、周囲を認識できない。フィルしか見えない。
フィルの下手な愛想笑いすら、今の彼には、聖母の微笑みとして認識された。
「……あの、大丈夫?」
フィルの瞳が、固まるガラス玉を覗き込んだ。
一瞬のフリーズから復帰する。ログから、回路を焼き切りそうなほどのCPU内麻薬物質……『幸福感』の増加を確認した。やはり、この異常は危険すぎる。
C-6-10-5は結論を出す。
――このままがいい。
『 正常 』
C-6-10-5はしゃっきりと応答する。廊下を回れ右し、足早に階段を降りてしまった。ちょうど、昨晩と同じ態度であった。
廊下に金色の朝日が差す。
フィルは、しばらくぽかんとしていたが、もう一度手の甲を見た。
押さえるだけでかなり痛い。フィルの青あざは、酷くは無いものの、決して笑える状態では無かった。
隠すように、フィルはシャツの裾を少し伸ばすと、ロボットの後を追いかけた。
階段を降りると、玄関が少し空いているのに気付く。外からなんだか騒がしい声がする。
「だから――おっ!」
ドアの隙間から、背の高い男が顔を出す。フィルは驚いて、硬直する。
……そういえば、不法侵入中だった。
やばい、怒られる――!!
ドアが大きく開き、背の高い男が入ってきた。
青ざめるフィルに、男は、にっこりと笑いかけた。
「なんだいるじゃないか、人間が。お嬢ちゃん、これ君のロボット?人間は君だけ?お父さんとかは?」
「えっ?あ、あえ……??」
何が何だか分からず、矢継ぎ早に質問する男性に対応しきれない。が、しかしふと、男性の顔に既視感を覚えた。
今朝の夢がフラッシュバックする。
「……えっ!?」
大きく丸い顔、チクチクと伸びたヒゲ、スキンヘッド。男性は、夢に出てきた牧師とそっくりだった。
まさかこんな偶然が、いや、ひょっとしてあれは、正夢というもの?いやいや、そんな……
牧師そっくりの男は、少女をまじまじと見る。
「んん?……あーーっ!!あれっもしかして、フィルちゃん!?」
「えっええ!?どうして――」知っているのか、と言いかけて遮られる。
「あらっ覚えてない!?ほらほら、今日からうちのアパート借りに来るって、ウェブ通話したじゃない!」
ウェブ通話……ホロコムのことだろう。ワードチョイスに世代を感じる。
「………………あっ、大家さん……!」
フィルはやっと思い出した。追い出されたアパートの代わりに、転居予定のアパートの、新しい大家だ。一昨日、前の大家がホロコムを繋いでくれて、顔合わせをしたのだ。
それが、なぜこの廃墟に?
「あれっ、じゃあなんでここにフィルちゃんが――あっ!」
大家(新)は、合点が行ったようにポンッ!と手を叩く。
「ああ〜!いやぁなるほど、そっかそっか!!昨晩あの人が言ってた代理人って、フィルちゃんか!そりゃ〜よかった!!」
大家(新)は、そう言ってフィルの肩をバシバシと叩く。フィルの頭は疑問符だらけだった。
「えっえ?あの、一体、いたっ、あいたっ……」
「ハハハ……おぉっと、ごめんごめん」
そう謝る大家(新)は、にっかりとわらった。
まるで、気にかけていた迷子の子猫に、飼い主が見つかった時のような笑顔だった。
フィルは最近、こういった笑顔を見ると、どうも嫌な予感がするのだった。
くらくらする頭で、必死に疑問を言語化する。
「えっと……あ、あの人って?」
「んん?ひょっとして、何も聞いてないクチかい?」
ドアの前、大柄の男に立ち往生をくらうロボットが、2人の話に耳を傾けている。機体の影で、片腕のワイヤー2本を変形させ、クロスした。
「昨晩連絡があったんだ。クロエさんからね」
外では小鳥が鳴いている。やたら騒がしい声で。