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file7 ミルクコーヒーと木偶の坊

(少し時を戻して、フィルとオーヤンがお腹を空かせ、コンビニへ出発するところ)




『 イッテラッシャイマセ クロエ博士 』


 極めて鈍い銀色の、垂直に浮かんだ蓮華型。ツタのようなガラス色の腕、中央にはまったガラス玉。

 ロボットだと忘れてしまいそうなそれは、崩れかけの門の内側に浮かんで、手を振っている。

「ん?」怪訝な顔で、一瞬オーヤンが振り返る。


 オーヤンは歩きながら、首を傾げ、フィルを見る。

「……フィルちゃん、だよね?」

「えっ?」フィルは戸惑うが、意味を理解する。ああ……と、なぜか申し訳ないような顔をした。

「その……彼ちょっと、壊れてる?みたいで……」


 そんな2人の後ろ姿が、下り坂の影に沈むのを見てから、C-6-10-5は屋内に戻った。


 機内時計が時を刻む。

 そろそろか。


 間も無く、外で静かな走行音がした。

 分厚い開閉音。少しの間を置いて、それらが何回か繰り返される。

 人間の話し声。


 ♪――

 玄関のチャイムが鳴る。

 C-6-10-5はすぐさま扉を開けた。


「あ、おはようご…………あー……?」

 ドアの前には、作業服の男が立っていた。眉をひそめる男の傍から、もう数名の人間が顔を出す。


「うわっなにこの……なにこれ?」「ロボットじゃないすか?」「へー、こんなんあるんだ」「あっそれか……『んAI生成じゃあ〜』って!」「また古いネタ知ってんなあ。それ040年代でしょ」「ジジイだね〜」

 後方で少し煩いくらいの雑談、どっと笑い声が上がる。


 C-6-10-5はすんと模様を細めた。22世紀にもなって、なぜ未だに生身の人間が、設備点検等を行うのだろう。

「あーなあ、ロボット君」

先頭の男が、ロボットに話しかけ、デバイスを見せた。


 ウィンドウにはメールの文面。ネット予約サービスからで、日付は昨日。内容は、「5年間放置された家屋の、点検およびメンテナンス」を依頼するものだった。

「この住所ってここで合ってる?あと、依頼人に会いたいんだけど……」


 少し考えて、C-6-10-5は続けた。

『 家主 外出中 』


『 言伝 』


『 入室 待機 』

『 機器 搬入 許可 』


「……えーっと、なんて?」作業員は口々に喋る。

「家主外出中、今人いないってことでしょ?」

「伝言は伝言」

「入室……入ってていいってこと?」

「搬入っつったよね、んじゃ機材運んどこう」


 作業員たちは一旦玄関から退く。C-6-10-5は玄関を開けたまま、リビングへと移動する。

 作業員たちは、工具箱や機材やを両手に抱え、どやどやと家内に踏み入った。


 ――――――――――――


 タスク更新


 ――――――――――――


 「よし、だいたいこんなもんか」作業員たちは荷物を運び終わる。

「じゃあ、依頼人帰ってくるまで待機か」1人が窓の外をちらと見る。「……あっ路駐!」

「あっ忘れてた」「駐車場ってどっかある?」

「オレ停めてきます!アレありましたよね、自動追尾。」「えっなにそれ」「CMで見たことある!」「あれついてたんだ?ハイテクだねー」「全部普通の社用車なんですが??」


 青年がバタバタと玄関へ出ていく。

「じゃあ俺車停めてきま――あっ、オーヤンさん!?」




 「なあんだ、フィルちゃんってば。ちゃんと依頼してたんだ!」

朝からカツ丼をかっ食らうオーヤン。もそもそと菓子パンをかじるフィル。

「ええと……」

 少し出掛けた間に現れた、大勢の作業員たち。

 どういうわけか、フィルが依頼したということになっている。もちろん、全く身に覚えが無い。

 オーヤンも自分も依頼していない。とすれば、いったい誰が?


 道すがら見たメールを思い出す。

 クロエ博士……十中八九間違いないだろう。未だ何者なのか分からないが、オーヤンにメールを送った人物と、業者に依頼をした人物は、おそらく同一人物だ。


 ……と、それが分かったところで、現状は変わらない。

 ぬるくなったミルクコーヒーで、菓子パンを流し込む。



 フィルが缶を空にしたのを見計らって、オーヤンが立ち上がった。

「おし、じゃあぼちぼち始めようか。」

 オーヤンがそう言うと、他の面々も動き始めた。


「ジュタークさん、どれくらいかかると思う?」「5年放置でしょ?でも見た感じ、結構きれいなんだよね」「オレとりあえず蛇口の場所チェックします」「おう、外見てくるわ」「えーとブレーカー」「二階行っても大丈夫?」


 フィルは慌てて立ち上がる。まずい、作業が始まってしまう。取り返しがつかなくなる!

「まっ――て……」


「「「「「「ん?」」」どうした?」なに?」」

 全員が一斉に振り返る。フィルの全身が強張る。

 無性に怖くなって、思わず呼び止めたが……

「あ…………」


 声が出なくて、景色が遠く見える。眩暈がする。この感覚を知っている。落ち着け、落ち着け……

「わ……私、あの……この……家…………」

 言葉がまとまらない。何を言ったらいいのか。苦しい。早くこの時間を終わらせたい。

 ……………………。




「……その…………よろしくおねがいします……」

 ああ、やっちゃった。私はまた――


 作業員たちは口元を緩め、手を叩く。「もちろん!」「任せて!」「よし、気合い入れてこう!」作業員たちは口々に言う。

 これから始まる大仕事。その依頼人の挨拶に、拍手が巻き起こる。


「ああ、は……」

 フィルは青い顔で笑う。

 客間からゾロゾロと人間が出ていく。皆、いきいきとして、作業の段取りを考えている。

 今度は何も言えないまま、フィルはひとり、客間に取り残された。


 ……私、何してるんだろう。

 最後のチャンスだった筈なのに。怖くなって、自分で潰して……しかもあんな風に、「おねがいします」なんて言ったら……もうきっと、取り消せない……

 どうしてこうなるの?私はただ、普通に大学行って、普通に一人暮らしして……そのはずだったのに……


 ……今の私を見たら、母さんは、なんて言うかな。




 『 クロエ博士 』

 項垂れた頭上、突然声が響く。フィルは反射的に顔を上げる。

 銀色の、浮遊する蓮華型。ロボットだ。今までどこに居たんだろう……覗き込むガラス玉に、フィルは笑顔を作る。

「……どうかしたの」


 …………。

 聖母の微笑み。

 顔面蒼白。焦燥感。ひどく落ち着かない様子。

 口元は渇き、ひきつっている。


 C-6-10-5は黙ったまま、フィルの側へ移動する。フィルはその不安げな目を、こちらに向ける。

 この機能を使うことは、もう無いと思っていた。C-6-10-5は自身の、透明な腕部をじっと見る。そして、フィルの背中へそっと触れた。


「!」

 フィルは一瞬、驚いて身を跳ねた。

 ――しかし、払い除けたりはしなかった。


 暖かい。

 ガラスのような透明のワイヤーは、適度な熱を帯びている。手はゆっくりと、背中全体を渡る。強張った筋肉を、とかし、ほぐすように。

 ……もしかして、心配してる?

 少しずつ、手足に熱が伸びていく。それだけで、気持ちが少し落ち着いた。


 ……一応この惨事は、このロボットが原因の一端でもあるのだが。自覚してるんだろうか。

 困ったな。

 ほんの少し笑みが溢れる。目を閉じて、深く息をする。

「……ありがとう、もう大丈夫。」


 フィルは口元を緩めて笑う。少しぎこちないものの、血の通った、柔らかい笑顔。

 いい笑顔だ。本当にかわいい。


『 重畳 』

 ロボットは手を背中から離す。本当はその肩を抱きしめたかったが、余計怖がらせるかもしれない。スキンシップはTPOが重要だ。

 少し離れた所に移動し、準待機モードに移る。


 フィルは、ソファに深く座り直す。背をもたれると、シャツに残った熱が、じんわりとしみ込む。

 家のあちこちから、物音、人の声、何かの稼働音が聞こえる。

 ほう、と息をついて、ぼんやりと考えた。

 私は、この家で暮らすことになる。クロエ邸と呼ばれる、曰く付き物件。築年数、約60年。しかも、奇妙なロボット、奇妙な研究所のおまけ付き。


 こうなったら、前向きに考えよう。

 そう、まるで……映画や小説みたいじゃないか?舞台は廃墟同然だし、ロボットの様子はおかしいし、主人公はこの木偶の坊だが……

 ……少し無理があるかもしれない。


 ため息をつく。

 本当に、映画や小説だったらいいのに。



 クロエ邸は今、少しずつ息を吹き返す。

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