(少し時を戻して、フィルとオーヤンがお腹を空かせ、コンビニへ出発するところ)
『 イッテラッシャイマセ クロエ博士 』
極めて鈍い銀色の、垂直に浮かんだ蓮華型。ツタのようなガラス色の腕、中央にはまったガラス玉。
ロボットだと忘れてしまいそうなそれは、崩れかけの門の内側に浮かんで、手を振っている。
「ん?」怪訝な顔で、一瞬オーヤンが振り返る。
オーヤンは歩きながら、首を傾げ、フィルを見る。
「……フィルちゃん、だよね?」
「えっ?」フィルは戸惑うが、意味を理解する。ああ……と、なぜか申し訳ないような顔をした。
「その……彼ちょっと、壊れてる?みたいで……」
そんな2人の後ろ姿が、下り坂の影に沈むのを見てから、C-6-10-5は屋内に戻った。
機内時計が時を刻む。
そろそろか。
間も無く、外で静かな走行音がした。
分厚い開閉音。少しの間を置いて、それらが何回か繰り返される。
人間の話し声。
♪――
玄関のチャイムが鳴る。
C-6-10-5はすぐさま扉を開けた。
「あ、おはようご…………あー……?」
ドアの前には、作業服の男が立っていた。眉をひそめる男の傍から、もう数名の人間が顔を出す。
「うわっなにこの……なにこれ?」「ロボットじゃないすか?」「へー、こんなんあるんだ」「あっそれか……『んAI生成じゃあ〜』って!」「また古いネタ知ってんなあ。それ040年代でしょ」「ジジイだね〜」
後方で少し煩いくらいの雑談、どっと笑い声が上がる。
C-6-10-5はすんと模様を細めた。22世紀にもなって、なぜ未だに生身の人間が、設備点検等を行うのだろう。
「あーなあ、ロボット君」
先頭の男が、ロボットに話しかけ、デバイスを見せた。
ウィンドウにはメールの文面。ネット予約サービスからで、日付は昨日。内容は、「5年間放置された家屋の、点検およびメンテナンス」を依頼するものだった。
「この住所ってここで合ってる?あと、依頼人に会いたいんだけど……」
少し考えて、C-6-10-5は続けた。
『 家主 外出中 』
『 言伝 』
『 入室 待機 』
『 機器 搬入 許可 』
「……えーっと、なんて?」作業員は口々に喋る。
「家主外出中、今人いないってことでしょ?」
「伝言は伝言」
「入室……入ってていいってこと?」
「搬入っつったよね、んじゃ機材運んどこう」
作業員たちは一旦玄関から退く。C-6-10-5は玄関を開けたまま、リビングへと移動する。
作業員たちは、工具箱や機材やを両手に抱え、どやどやと家内に踏み入った。
――――――――――――
タスク更新
――――――――――――
「よし、だいたいこんなもんか」作業員たちは荷物を運び終わる。
「じゃあ、依頼人帰ってくるまで待機か」1人が窓の外をちらと見る。「……あっ路駐!」
「あっ忘れてた」「駐車場ってどっかある?」
「オレ停めてきます!アレありましたよね、自動追尾。」「えっなにそれ」「CMで見たことある!」「あれついてたんだ?ハイテクだねー」「全部普通の社用車なんですが??」
青年がバタバタと玄関へ出ていく。
「じゃあ俺車停めてきま――あっ、オーヤンさん!?」
「なあんだ、フィルちゃんってば。ちゃんと依頼してたんだ!」
朝からカツ丼をかっ食らうオーヤン。もそもそと菓子パンをかじるフィル。
「ええと……」
少し出掛けた間に現れた、大勢の作業員たち。
どういうわけか、フィルが依頼したということになっている。もちろん、全く身に覚えが無い。
オーヤンも自分も依頼していない。とすれば、いったい誰が?
道すがら見たメールを思い出す。
クロエ博士……十中八九間違いないだろう。未だ何者なのか分からないが、オーヤンにメールを送った人物と、業者に依頼をした人物は、おそらく同一人物だ。
……と、それが分かったところで、現状は変わらない。
ぬるくなったミルクコーヒーで、菓子パンを流し込む。
フィルが缶を空にしたのを見計らって、オーヤンが立ち上がった。
「おし、じゃあぼちぼち始めようか。」
オーヤンがそう言うと、他の面々も動き始めた。
「ジュタークさん、どれくらいかかると思う?」「5年放置でしょ?でも見た感じ、結構きれいなんだよね」「オレとりあえず蛇口の場所チェックします」「おう、外見てくるわ」「えーとブレーカー」「二階行っても大丈夫?」
フィルは慌てて立ち上がる。まずい、作業が始まってしまう。取り返しがつかなくなる!
「まっ――て……」
「「「「「「ん?」」」どうした?」なに?」」
全員が一斉に振り返る。フィルの全身が強張る。
無性に怖くなって、思わず呼び止めたが……
「あ…………」
声が出なくて、景色が遠く見える。眩暈がする。この感覚を知っている。落ち着け、落ち着け……
「わ……私、あの……この……家…………」
言葉がまとまらない。何を言ったらいいのか。苦しい。早くこの時間を終わらせたい。
……………………。
「……その…………よろしくおねがいします……」
ああ、やっちゃった。私はまた――
作業員たちは口元を緩め、手を叩く。「もちろん!」「任せて!」「よし、気合い入れてこう!」作業員たちは口々に言う。
これから始まる大仕事。その依頼人の挨拶に、拍手が巻き起こる。
「ああ、は……」
フィルは青い顔で笑う。
客間からゾロゾロと人間が出ていく。皆、いきいきとして、作業の段取りを考えている。
今度は何も言えないまま、フィルはひとり、客間に取り残された。
……私、何してるんだろう。
最後のチャンスだった筈なのに。怖くなって、自分で潰して……しかもあんな風に、「おねがいします」なんて言ったら……もうきっと、取り消せない……
どうしてこうなるの?私はただ、普通に大学行って、普通に一人暮らしして……そのはずだったのに……
……今の私を見たら、母さんは、なんて言うかな。
『 クロエ博士 』
項垂れた頭上、突然声が響く。フィルは反射的に顔を上げる。
銀色の、浮遊する蓮華型。ロボットだ。今までどこに居たんだろう……覗き込むガラス玉に、フィルは笑顔を作る。
「……どうかしたの」
…………。
聖母の微笑み。
顔面蒼白。焦燥感。ひどく落ち着かない様子。
口元は渇き、ひきつっている。
C-6-10-5は黙ったまま、フィルの側へ移動する。フィルはその不安げな目を、こちらに向ける。
この機能を使うことは、もう無いと思っていた。C-6-10-5は自身の、透明な腕部をじっと見る。そして、フィルの背中へそっと触れた。
「!」
フィルは一瞬、驚いて身を跳ねた。
――しかし、払い除けたりはしなかった。
暖かい。
ガラスのような透明のワイヤーは、適度な熱を帯びている。手はゆっくりと、背中全体を渡る。強張った筋肉を、とかし、ほぐすように。
……もしかして、心配してる?
少しずつ、手足に熱が伸びていく。それだけで、気持ちが少し落ち着いた。
……一応この惨事は、このロボットが原因の一端でもあるのだが。自覚してるんだろうか。
困ったな。
ほんの少し笑みが溢れる。目を閉じて、深く息をする。
「……ありがとう、もう大丈夫。」
フィルは口元を緩めて笑う。少しぎこちないものの、血の通った、柔らかい笑顔。
いい笑顔だ。本当にかわいい。
『 重畳 』
ロボットは手を背中から離す。本当はその肩を抱きしめたかったが、余計怖がらせるかもしれない。スキンシップはTPOが重要だ。
少し離れた所に移動し、準待機モードに移る。
フィルは、ソファに深く座り直す。背をもたれると、シャツに残った熱が、じんわりとしみ込む。
家のあちこちから、物音、人の声、何かの稼働音が聞こえる。
ほう、と息をついて、ぼんやりと考えた。
私は、この家で暮らすことになる。クロエ邸と呼ばれる、曰く付き物件。築年数、約60年。しかも、奇妙なロボット、奇妙な研究所のおまけ付き。
こうなったら、前向きに考えよう。
そう、まるで……映画や小説みたいじゃないか?舞台は廃墟同然だし、ロボットの様子はおかしいし、主人公はこの木偶の坊だが……
……少し無理があるかもしれない。
ため息をつく。
本当に、映画や小説だったらいいのに。
クロエ邸は今、少しずつ息を吹き返す。