「光輝、どうしたんだ?」
芽吹は隼人を先に行かせてそう問うた。
「……なんで、隊長は俺を選んだんですか」
軍学校を卒業したパイロットは、その希望に沿って人事部からの辞令を受け取るか、部隊長からの引き抜きかのどちらかで、所属が決まる。光輝と斗真は、後者だ。
「成績が良かったからだよ。それ以上のことはない」
「俺、問題児だって知ってますよね。あちらこちらで喧嘩して、トラブルばっかり」
「俺だって学校にいた頃は一人だったよ。壁を自分から作ってた。でも、命を預け合った仲間に変えてもらった。光輝もそうなると思ってたんだ」
若き士官は、言い返す言葉もなく俯いた。
「それに、斗真と仲がいいんだろ? 二人でやれば上手くいく……なんて、俺も偉そうなこと言えないけど」
「……こうやって、俺が反抗するのも計算済みですか」
「ここまでは反抗期だとは思ってなかったけどね」
軽く笑って、芽吹は言う。
「生きて帰ってきてくれて、ありがとう」
求められた握手に応えるか、十八歳は少し悩んだ。だが、上官を無下に扱うわけにもいかず、そっと手を握った。
「俺が冬弥司令に選ばれたのはね」
格納庫で整備の様子を眺めながら、芽吹が話し出す。
「自分に似てるかららしいよ。人と仲良くするのが下手、だってさ」
自虐的な語りに、光輝は返す言葉がない。
「俺が学生だった頃、どこの部隊も人手が欲しかった。偶々できた空席に、俺とエリカが丁度良かった。結局はそれだけなんだと思う。でも、今は違う。ちゃんと実力を見て選んだつもりだ」
先の戦闘では、光輝と斗真はダヌイェルを共同で二機撃墜した。共同撃墜に関してはスコアが参加者の数だけ等分されるため、光輝自身のスコアは一。累計で八。既にエースの資格がある。
「戦闘データの解析と、照準システムの確認。それだけやっておくんだ」
「照準?」
「三ミリズレてる。修正しないと命取りになるよ」
若者は全く気付いていなかった。生き残ることに必死で、そんなことに意識を回す余裕はなかった。去っていく隊長の背中を見送りながら、下を見る。安全帯を着けた作業員が機体の汚れを落としている。
(俺って……)
肩に刻まれた部隊番号。前戦争で最前線を駆け抜け、最後の数か月は一切の戦死者を出さなかった、伝説の部隊。それが黒鷲隊だ。あのマイ・オッフを墜とし、ヤガ地方を巡る戦いでも十数機を撃墜して猶重傷を負わなかった大原芽吹は、その中でも取り立てて名を知られている。
その芽吹に選ばれたという事実が、彼の心の重しになる。恐らく、喧伝されている隊長の戦果は概ね真実なのだろう、という結論に至る。乗っていたのが新型とはいえ、敵のハイエンド二機を同時に相手取って撤退させたのだ。どんな疑りも、その決定的事実の前には、フラッシュバンを受けた影のように消えていく。
加えて、機種転換訓練中の模擬戦の結果もある。五対一で芽吹を相手取ったが、芽吹一人を三回撃墜するまでに、部隊は五回全滅した。
強い。それを噛み締めて、ぼんやりと整備士を眺めていると、突然肩を叩かれた。
「……斗真」
「何黄昏れてんだよ。似合わないぜ」
「隊長って、本当に強いんだな」
振り向いた彼を見て、斗真はゲラゲラと腹を抱えて笑い出した。
「んだよ」
「いや、しみじみと言うもんだから、おかしくて……あー、腹痛え。ようやく認める気になったのかよ」
「お前、照準システムが三ミリズレてることに気付いたか?」
「マジ? でも三ミリだろ」
「隊長は命取りになるってよ」
違うんだなあ、なんて感想を抱きながら、二人は乗機に向かった。
◆
カムル・オッフの居場所を知る者は、誰もいない。オのニュースが流れる街頭テレビを見て高揚する人々の間をすり抜け、エスクは寒い街を歩いていた。
短く切った銀髪を揺らしながら、十歳の息子を迎えに行く。赤髪のエースの妻として、特例的に遺族年金の給付が認められた彼女は、軽いパートタイム労働で暮らしている。
故に、不自由はなかった。ただ一つ、娘が出奔してしまったことだけが気掛かりだ。
魔導大戦と呼ばれる、大陸全土を巻き込んだ千年前の戦争は、大規模な気候変動を齎したとされている。元より北側にあったこの街は、その影響によって暦上の冬に入る前に最高気温がマイナス五度を下回っているのだ。
分厚いコートに身を包み、彼女は軍学校初等部の正門に立つ。初等部の間は、帝都在住の者に限って自宅からの通学が認められる。それをわざわざ迎えに行く親は多くないが、エスクはどうしたって不安だった。
「来なくていいって」
バスの中で、息子のヴルツが言った。父によく似た真っ赤な髪を、短く切り揃えていた。十にしてはしっかりした体つきの彼は、そうは口にしても穏やかな顔で母を見ている。
「姉ちゃんみたいにいなくなったりしねえよ」
少し余裕を持って与えられたはずの灰色の詰襟の制服を窮屈そうにしながら、彼は不安がる母から目を逸らして外を見た。
「やっぱり、パイロットコース?」
そんな母の問いかけを受けて、彼は再びそちらに顔を向けた。
「そうするつもり。魔力検査も通ったから、これからは体づくりかな」
身体強化と、G耐性を上げるスーツが先進国では標準的なものだが、そもそもの肉体が弱ければ戦闘機動には耐えられない。そのために、パイロットを志す者は体を鍛えるのだ。
「ヤガ地方取り戻すんだよ。黒鷲隊なんてあっという間に墜としてやるんだ」
そう意気込む息子の頭を、エスクはそっと撫でた。
「人前で撫でるのやめろよ、その、恥ずかしいからさ」
「きっとあなたはいいパイロットになるわ」
「父さんみたいに?」
その一言。彼女は言葉に詰まった。
「父さん、すごいエースだったんだろ。俺がなるよ、二代目に」
「そうね。強かったわ。でも、戦争なんて起こらない方がいいわ。あなたが無事に退役するまで勤め上げたなら、私はそれでいい」
戦争で愛する者を亡くしたことの痛みを、この十歳の少年は朧気ながら理解していた。
先の戦争──第二次東覇戦争と呼ばれるそれは、三十年の長きに亘った。その間起こった技術革新が民間に降りてくるまで、十年の時間を要した。
だが、帝国はヤガ地方を失ったことで、その鉱山から産出していた赫灼石をも失う。同盟関係にある隣の大陸の某国家から、技術提供を対価にそれを特別な価格で輸入していたが、やはり、誰もが車を持てる社会は作れなかった。
数を増した公共交通機関は、突如急ブレーキによって停止した。
「いって……なんだよ」
そうヴルツが呟いた時、バスの前方で爆発が起こり、運転手の破片が飛んできた。
「母さん、動かないで」
彼はそう呟くと、母の手を握る。吹き飛んだバスの前半分から、黒服の集団が乗り込んできた。
「……エスク・オッフだな」
その先頭に立っていた男が硬い声で言う。右手には突撃銃がある。
「来てもらおう。さもなくば、その子供を殺す」
「んだと──」
「わかりました」
息子を手で制しながら、エスクは迷いなく言った。
「ヴルツ、待っていてね。必ず帰ってくるから」
「母さん!」
手を伸ばした彼は、頭を殴られて昏倒した。エスクが連れていかれた先には、紫の、ヴォウ共和国の赫灼騎兵が待っていた。
「……デルグリン」
その機種の名前を知っていた彼女が呟く。
「入れ」
機体の手にあるコンテナに誘導される。酷く揺れる中、二時間もすればデルグリンは何かの中に入った。外に出れば、格納庫だった。
「よく戻った」
コンテナの先にいたのは、青色の軍服に身を包んだ男だ。
「皇国か」
「やはりわかるか。そうだ、我々は天子様の密命を受け、貴様を捕縛しに来た」
「……何が目的だ」
「オ・ジガはカムル・オッフだ」
「……は?」