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エピローグ

 静寂が、ようやく戦場を包んでいた。


 黒煙の名残が空へと昇り、焼け焦げた大地に立ち尽くしていると、足元に刺したままの魔剣冥哭が、わずかに震えを止めた。


 全ての魔を喰らい尽くしたその刃は、役目を終えた。


 終わったのだ。


 僕が未来で受けた断罪の意味も。

 王家との戦争も。


 僕はリュシアに視線を向けた。


 少しだけ顔に煤をつけて、それでも背筋を伸ばし、こちらを見ていた。


「……全てを覚えているのだろ?」


 僕はそう問いかけると、彼女は小さくうなずいた。


「ええ……全部思い出したわ。北の大地のことも。兄のことも……どうしてあなたをご主人様として選んだのかも」


 彼女の声は震えていなかった。


 あの絶望を求めたリュシアではない。


 彼女はゼルグを殺せる者を探していた。


 それが僕だった。


 未来、それは僕がいずれ迎えるはずだった死。


 英雄として称えられながら、何も守れなかった。


 魔族が暗躍していたことも知らなかった。


 僕の無効化耐性が、白因子という聖女の力で封じれることも、それを利用されて、毒を盛られた。


 ゼルグにとって、アリシアにとって、レオにとって、邪魔な存在として断罪された。


 マーベとジェイ、そしてリュシアが、僕を過去に戻してくれた。


 全てを断ち切るために。

 もう一度、やり直すために。


 リュシアの記憶を奪ったのは、ゼルグだった。


 彼女を王国に送り込むことで、自らの計画の種を植えた。


 彼女は敵ではなかった。


 ただ、失われていただけだった。


 居場所も、名前も、誰かの温もりも。


 ならば、今度は僕が手を伸ばす番だ。


「リュシア」


 僕が歩み寄ると、彼女は一歩、後ろへ下がった。


「私は……多くの人を傷つけました。王国の中枢にいたときも、あなたといたときも……結局、自分が誰なのかを見失っていて……」

「それでも」


 僕は彼女の言葉を遮る。


「君が誰かのために涙を流したこと、僕は知ってる。たとえ、その心が偽りに覆われていたとしても、本当の君はそこにいた」


 彼女の瞳が揺れる。


「それでも……あなたは、私を許せるの?」

「許すかどうかじゃない。僕たちは……生きていく。共に、前を向いて。お前は僕に絶対服従だろ?」


 僕とリュシアは服従の魔術によって繋がれている。


「アハっ! ご主人様は、私を離さないつもり?」

「ああ、お前を一生離さない」


 僕は右手を差し出す。リュシアは、ほんの一瞬だけ迷った。けれどその迷いは、たった一歩で消えた。


 彼女の手が、僕の手を取った。


 その瞬間、心の奥で何かが溶けていくのを感じる。


 冷たい過去も、凍てつく夜も、僕たちの指先でようやく溶けていく。


 後方から、誰かの足音が聞こえた。


「やっと帰ってきたか、大将!」


 ジェイだった。その後ろには、半身を支え合うようにフレミアとエリス、傷だらけのマーベ、そして騎士たちの姿が見える。


「おかえりなさいませ、旦那様」


 フレミアが泣き笑いの顔でそう言った。


 エリスは口を開こうとし、何も言えずに微笑むだけだった。


 マーベは、ぼろぼろの魔導書を掲げて言った。


「ハァ〜これで研究に戻れる」


 彼女らしい発言に一同が笑い出す。


「大将がいなけりゃ、もう全滅だったよ。まったく……帰ってくるのが遅いぜ」


 ジェイの声は怒っていたが、それ以上に安心しているのが分かった。


「ただいま」


 そう言ったとき、ようやく世界が音を取り戻した気がした。


 そして、僕は心から笑うことができた。


 空は青く、風は少しだけ暖かい。


 この戦争は、終わった。


 だけど、未来はまだ始まったばかりだ。


 かつて断罪された自分を超えるために。


 そして今、リュシアとともに。


 もう逃げない。


 この世界で、共に生きていくと決めた。


 ♢


 あの激戦の末、ゼルグが崩れ落ちた瞬間から、戦場に流れていた魔の気配が、嘘のように消えた。


 焼け焦げた大地には、まだ戦火の名残がくすぶっている。だが、その中央には一つの静寂があった。


 魔王が倒れ、王国軍もアースレイン軍もその混乱から解放され、ようやく再建という未来へと踏み出せる時が来たのだ。


 王城は崩れ、貴族たちの多くは退廃と混乱の責任を問われるだろう。だが、それでも国は、立て直さねばならない。


「やることは山ほどある。まずは……この地を、もう一度、人が生きられる場所に戻す」


 僕の言葉に、ジェイがうなずく。


「大将がそう言うなら、動くまでだ。まずは、各地の戦災調査と、民の避難先の確保だな」


 フレミアもまた、かつての聖女としてではなく、一人の女性として歩み寄ってくる。


「教会の再建にも取り掛かります。民衆の心の拠り所を失わせたままにはできません」


 もう、破壊のためではない。


 守るべきもののために。


「よし、まずは瓦礫の撤去からだな。フレミア、物資の配給を。ジェイ、指揮官たちの再編を」

「了解だ、大将」

「任されました」


 風が再び吹いた。


 今度の風は、戦場を過ぎ去る風ではなく、再生の風だった。


 陽が昇る。


 灰色に焼けた王都に、久方ぶりの朝の光が差し込んだ。砕けた城壁に腰かけ、ヴィクターは遠くの空を見つめていた。


「大将……」


 ジェイが近づいてくる。手には巻物。各地から寄せられた報告書の束だった。


「北の集落では、自発的に瓦礫を片づけているそうです。王都の民も、あなたが戻ったと知って……希望を持ち始めた」

「そうか。なら、動き始めなきゃな。アースレインとしてじゃない。この国の、一人の再建者として」


 それは、過去の鎧を脱ぎ捨てる言葉だった。


 王都中央に仮の議場が設けられた。各地の豪族や軍司令、教会代表、民間からも選ばれた者たちが集い、ヴィクターを中心に新たな政の形を協議する。


 貴族の独占ではない。魔族の強制でもない。人が人のために決める、新たな秩序。


 その中で、リュシアも立ち上がった。


「私はかつて、利用されるだけの存在でした。でも今は違う。私の声で、誰かが救われるなら……この命を使ってもかまいません」


 その声に、誰かが拍手した。次いで、また一人。


 未来は、確かに始まろうとしていた。


 ヴィクターは静かに呟いた。


「……断罪の未来なんて、もうない。だから、僕は生きる。皆と一緒に」


 それが僕の選んだ、終焉のその先の生だった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 あとがき


 どうも作者のイコです。


 以上で、『断罪された極悪貴族は、人生を最初からやり直す』を完結とさせていただきます。


 長らくお付き合いありがとうございました。





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