世界は終わりを迎えた。
ある時、パニック映画のように世界に蔓延した、人間をゾンビの様に変えてしまうウイルスによって、人類の約80%が死亡してしまったからだ。
と言っても、そんな中で人類が何もしてこなかった訳ではない。
ほぼ機能停止した政府に代わり、各地でゾンビを狩るハンター達が避難所を形成したり。
種の存続に対面したからか、人類の中には異能……ファンタジーで見る様な、超能力の様なモノを扱える者達も現れ始めたからだ。
だが、だからといって。
世界に蔓延したウイルスに為す術は無く。
人類は緩やかに絶滅へと歩みを進めていた。
「お、おいッ愚姉!助けろよッ!!」
「ちィ!鈍い!――このッ!」
「――えっ、あっ」
そして、今。
そんな世界の中、何とか生き延びてきた私の生も終わろうとしていた。
……あ、やっと終わるんだ、私。
避難所に保護してもらい、そこである程度の仕事をもらいながら生きてきて約10年以上。
今日も、残った物資が無いか家族と共に物資探しに駆り出されていたのだが……途中、弟がふざけて蹴飛ばした車のセキュリティシステムが作動してしまったのだ。
当然、周囲からは大量のゾンビ達が集まり、私達へと襲い掛かってきた。
初めのうちはまだ良かった。何年も物資を探す為に歩き回った地域だ。地図ならば頭の中に入っているし、幸いにも奴らの中に厄介なのは居なかったから。
だが、事の原因である弟が逃げている最中に転んでしまった。
ゾンビだから走らないなんて事はない。寧ろ、獲物である人間を見ては歓声をあげるかの様に叫びながら走り寄ってくる。そんな奴らに追われている時に転んでしまえば……普通だったら助からない。
だが、どうやら私の家族は普通ではなかった様で。
弟を助けるべく、囮にしようとゾンビの群れへと向かって私を突き飛ばしたのだ。
……案外呆気なかったなぁ。
家族に男尊女卑の気が元々あったのは認めるし、それを見て見ぬふりをして来たのも認めよう。
だが、息子を助ける為に娘を突き飛ばす親と言うのは如何なものか。これが少し前のネット小説ならば、奇跡的に生き残った私の復讐対象になっている所だろう。それ程に、それなりに愛していたと思う家族の事が憎く、人間とはこんなものか、とも思ってしまう。
しかし、それももう良い。
異能に目覚めていない私に、ゾンビの群れの中から生き延びる術はある筈もないし、ここで生き残ってしまえば……また同じ状況に陥るのが目に見えている。
だから、ここで私の生は終わるのだ。
「これで、また……会える、かな……」
最期に脳裏に浮かんだのは、それなりに裕福だった家庭で飼えていたペットの姿。
終末へと向かう世界の中、家族に真っ先に食料として狙われ、食べられてしまった柴犬の姿。
……思えば、私ってずっと家族だと思ってた人達から奪われてばっかりだったなぁ……。
身体が全体がゾンビ達に貪られ、痛みすらも感じなくなっていきつつも……私は薄れゆく意識の中、何かを聞いた気がした。
『――設定完了。遡行開始』
―――――
「――ッはぁ!」
目を覚ますと、私は自室のベッドの上に居た――否、自室などとっくの昔に自宅ごとゾンビ達に破壊された筈だ。
「は……は?ここは……家?いや、家なんて何年も前にゾンビに……!」
何が起こっているのか。ここが所謂、天国などと言われる所なのだろうか。
混乱する頭を、何とか回転させつつも周囲を確認してみれば、
「ッ、ぁ……あぁ……!」
丸くなって静かに寝息を立てている、愛するペットの姿がそこにはあった。
今、現在の状況に対する疑問は尽きない。しかしながら、今。この時だけは……周囲の事を気にせずに涙しても許されるだろう。
「くぅーん……?」
「あぁ、ごめんね……起こしちゃったね。大丈夫、大丈夫だから、リン」
飼い主が泣いているのを感じ取ったのか、すぐにペットのハスキー犬であるリンが起き上がり私の元へと駆け寄ってくる。
大きく、白い毛並みを少し撫で。顔を軽く舐められるのを心地よく感じてしまうものの……流石にそろそろ現状を整理するべきだろう。
「まず確かめないといけないのは――は?」
すぐに目に入ったのは、部屋の隅に置かれている全身が映る姿見だ。
私が最後に見た自身の姿は、所々に生傷やその痕があり、綺麗とは言い難い髪の短い姿。しかしながら……そこに映っていた私の姿はそうではなかった。
……か、髪が伸びてる……!?
脱色され、しかしながら再度美容室に行く時間がなかった為に根本が黒に戻っている長髪。
何処を見ても傷など見当たらない綺麗な身体。
着ているのは寝間着ではあるが、その下の筋肉はどう見ても落ちている。
「どういう状態なのコレぇ……やっぱりここ天国とか?いやでもさぁ……はぁ、一旦落ち着いて考えよ――ッ!?」
一度落ち着き、周囲の……例えば、カレンダーや自身の持っていたスマートフォン等を探そうとした瞬間。私の目の前に半透明の板のようなものが出現した。
ゾンビが発生する前、世の中で開発、発展しかけていたVR技術。それに登場しそうなウィンドウと称されるものだ。しかしながら、ここは現実であり、私はその手の機材を身に着けてはいなかった。
恐る恐る、そのウィンドウに触れようと指を伸ばしかけた瞬間、
『
「は、はぁ……?」
『これよりサポートシステムを起動します』
「ちょ、ちょっと待ってちょっと待って!」
頭の中に、声が響いた。
よく分からない状況で、よく分からないモノを経験すると人間は逆に冷静になるようで。
先程までペットを見ただけで泣いてしまっていた私の頭は酷く冴えて、回るようになってきていた。
「システムって何?これ幻覚?それとも……ついに私狂っちゃった?そりゃそうだよね。あれが現実でも、そうじゃないにしても、普通の人の精神状態じゃあないもん」
『1つずつ回答させて頂きます。まず1つ目、私A.S.Sは柊様が終末世界における活動をスムーズに行う為の管理サポートシステムとなっております。2つ目、柊様の現在の精神状態は健常そのものであり、多少の興奮状態ではありますが、普遍的な状態であると言えるでしょう。そして3つ目。――これは現実であり、貴女が経験してきた事は全て幻覚や夢ではありません』
「……夢じゃ、ない?」
こちらの質問に対しての回答なんて、正直どうだって良い。
私にとって重要だったのは最後の一言のみなのだから。
「じゃ、じゃあ!これまで経験してきた災害も、リンがお母さん達に食べられたのも、私が最期……ゾンビの群れに突き飛ばされたのも……全部、現実だったって言うの……?」
そう、それが私にとって重要であり……必死に目を逸らしていたい事柄だ。
あの出来事が本当に起こった事であるならば。これまで家族の為に尽くしてきた私は、今後一体何を信じて生きていけばいいのか。
『回答します。――現実です。
今日から約一ヶ月後にウイルスが蔓延し、世界が終焉を迎えるのも。
柊様のペットであるリン様が家族に食糧として食べられてしまったのも。
柊様がご両親によって突き飛ばされ、弟の身代わりとなって死んだ事も。
――全てが全て、現実なのです』
「……一ヶ月後?」
『約一ヶ月後です。正確には』
「あぁいや、正確とかそういうのは今は良いから!……今って何年の、何月何日なの?」
このA.S.Sとかいうモノが真実なのであれば。
『現在、2024年3月1日です』
「2034年じゃ、ない……?本当に過去……?タイムスリップとか、そういう奴……?」
私の身に起こっている事が、ネット小説等でよく見るやり直しなのであるのならば。
『正確には身体、魂の再構築になります。柊様の異能である【廻生】により蘇生、安全な場所への転移が開始され……結果、世界の中に安全な場所は無く、この時代まで時間を巻き戻し、記憶を再構築した、という状態になります』
震える手で、やっと手繰り寄せる事が出来たスマートフォンを確認しても、部屋にあるテレビを点けてみても、何処にもゾンビウイルスの影はない。
状況を完全に飲み込む事は出来ていない。しかしながら、
「難しい事は分からないけど……でも、つまりは、さ。私は、やり直すチャンスを貰えたって事で……良いんだよね?」
『簡単に言うならば、そうなります。そして、そのやり直しの為の補助を行うシステムが私です』
「……なる、ほどね……。うん。まだ分からない事ばっかりだけど……」
頭の中は依然として混乱している。
私に隠された異能があった事もそうだし、何ならまだ過去に戻ってきた事だって信じ切れていない。
これが夢だと言われても信じられるだろう。だが夢だったとしても……例え、死ぬ前の幸せな幻想だったとしても。
私にはやるべき事が出来てしまった。それは、
「今度こそ、リンと一緒に生き残ってやる……!」
世界にゾンビウイルスが蔓延するまで、残り約一ヶ月。
私は、自身に出来る事をしていこうと思う。