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第1話 File 148【見つからない家】

取材日 20XX年6月12日

年齢  四十代

性別  男性

職業  金融関係

メモ  

落ち着いた感じ男性。自分の体験は奇妙ではあるけれど、幽霊や心霊現象とは違いますと仰っていた。



 早いもので、結婚してから今年で十二年目になります。


 新婚でいきなり一戸建てが欲しいと考えるのは世間一般の常識から外れるかもしれませんね。最初は賃貸のアパートなりマンションなりで出費を抑えながら生活を始める。そしてこつこつと地道に貯金をして、いずれはマイホームを、というのがごく普通の夫婦でしょう。


 しかし私たちは結婚した時点でお互いに貯金もあり、さらに同じ年代の人たちよりも経済的に恵まれていました。だからすぐにでも、土地なり家なり、二人の幸せな家庭の礎となる物件を購入しよう、その場所を二人の出発点にしようと考えたのです。


 土地を買って家を建てるか、それとも新築を購入するか、それとも初期資金を安く抑えられる中古物件を購入しようか、不動産情報を当たりながら迷いました。ちなみに私の趣味はDIYです。だから、少し傷みが来ている手頃な価格の中古物件を手に入れ、修復しながら自分の好きなように改造しようか、そんなことも考えたりしました。


 バブル期に開発されたという、当時の高級住宅が立ち並ぶ一角にその家はありました。不動産仲介業者から紹介された中古物件です。


 白い壁の洋風住宅で、作られた時代を感じるような黒い鉄製の門扉を開け、これも今時見かけない重厚な玄関ドアを開けて、仲介業者の後ろから家の中へ。


 現在の建築より天井が低く、全体的に古めかしい様式でしたが、時代を経た高級感が漂っています。


 前の所有者の物でしょうか、壁には洒落たウォールランプ、部屋のいくつかにはシャンデリアが残されていました。


 ただ、その家に入った時から寒気を感じていた私は、急速に具合が悪くなっていました。いきなり熱が出たようでした。季節は確か二月の始めだった。


 外出先で急に熱が出るなんて初めての経験だったのですが、風邪でも引いたのだろうとその時は思いました。


 それでもとにかくその家を全部見てしまおうと思い、業者に誘導されるままに最後に見た庭は少し異様な雰囲気でした。


 南向きの広い庭なのだが何もない。ガランとした土の庭にコケだけが生えている。花壇の痕跡すら見当たらない。リフォーム前なのでこの状態のまま不動産業者が買い取ったのでしょう。


 とても広い庭でした。小さな家であれば余裕でもう一件建つでしょう。それほど広い。これほどの広さなら、たとえ前の所有者が庭いじりに興味がなかったとしても、一本ぐらいは樹木が植えられているものです。現にそれまで私が案内された中古物件はそうでした。


 ハナミズキや柿の木、一番多かったのはモミジやカエデの類ですが、それらの木が庭の一角に植えられていました。でもその広大な庭は何もなかった。


 東と西と南側は隣地で、二メートル以上はありそうなコンクリート製と思われる高い壁がありました。


 北側は物件の家屋敷が建っているので、その庭は四方をグルッと囲まれていることになる。だから車は出入りできないから駐車場には使えない。


 小洒落たリビングから見える庭は、だから庭として使うしかないのですが、前の住人は木も植物も植えず、物置すら置いた様子もなく、だだむき出しの、コケまみれの土がのっぺり広がった状態のまま何もしなかったらしい。


 南向きで日当たりも良いのに、あちこちにへばり付いたような気味の悪い緑色のコケが生えているのは、水はけが悪いからなのか。だから木を植えても育たなかったのか?それにしても、そもそも何かを植えた痕跡すら見当たらない。


 家の風格とその庭の雰囲気はとても異質であり、まったく合いません。おかしいと思った。


 その日は気持ちよく晴れた良い天気でした。しかし青空に太陽があるにも関わらず、その庭を眺めていると何だか薄暗く感じたのはどうしてだろうと思ったのを覚えています。


 しかし私の体調はすでに最悪の状態でした。ブルブル震えるほどの寒気に襲われ、案内してくれた仲介業者に礼を言ってその物件を後にしました。


 やっとの思いで自宅に戻り布団を敷いてそのままダウン。熱を計ったら四十度近くまで上がっている。ガンガン痛む頭を抱えて唸りながら夜を過ごし、そして朝を迎える頃には何事もなかったように熱が下がっていました。酷かった頭痛も吐き気も嘘のように消えている。


 (いったい何だったんだ)


 私は狐につままれたような気分でいつもどおりの忙しい朝を過ごして仕事に行ったのです。


 そんな薄気味悪い体験をした物件を購入するはずもなく、他の中古物件でも気色悪い経験をしたので、中古はスッパリ諦めました。


 その後、検討に検討を重ねて購入した土地は、図らずも高熱に見舞われたあの物件のほど近くでした。地図上では隣の市になるのですが、距離的には歩いても十分かからないと思われる。


 引っ越しのゴタゴタが落ち着いてしばらく経ったある日。ふと、散歩がてらにあの家を訪ねてみようと思い立ち、ぶらぶらと用水路脇の感じの良い歩道を歩いて階段を登ると、見覚えのある街並みが広がりました。


 (ここだ。この辺りにあの家がある)


 奇妙な期待感を胸に、記憶を頼りに歩いてみる。しかし不思議なことにあの家が見つからない。碁盤の目のようにきちんと区画された開発地域なので、その区画内の道を全部歩けばあの家があるはずなのに、行きつ戻りつ何度往復してもどうしても見つからない。


 左右両隣に隣家があったから角地ではない。南側の庭の向こうに他所の家が見えた、ということは敷地の北側に道路がある。五十軒ほどの家が建ち並ぶ広大というほどでもない区画内でそんな立地条件の物件は限られているはずなのだが、やはり見つからない。


 私のあとに誰かがあの家を購入して新しく建て直したのかもしれないと思い、新築物件に注意して歩き回ってみたが、それらしき物件はない。


 (どうして見つからないのか?)


 自宅に戻り、いくら考えてもわからない。場所は合っている。その区画に辿り着くまでに、仲介業者の運転する車でバイパスの上に渡された橋を通り、あの角を曲がってと頭の中で途中まで再現できるのに、車を停めた寂れた小さな公園もあるのに、そこからあの家まで歩いた道順だけが思い出せない。


 あの時の仲介業者に聞いたら、もしかしたらあの不気味な家の場所が分かるかもしれないが、購入した新居は別の仲介を頼んだので関係はもう切れており連絡しにくかった。それに、どうして今さら場所を知りたいのかと聞かれたら答えようがないですからね。


 家の中に入ったとたん突如高熱に襲われ、灯りをつけても暗い印象の廊下と部屋。頭上の青空と切り離されたような暗く寒々しい、広大であるにもかかわらず、息が詰まるような閉塞感が漂う庭のある、あの家は、いったいどこにあるのでしょう。


 おかしなことはまだありました。私は家内と一緒にあの家を訪れたと思い込んでいたのだが、彼女はそんな不吉な物件など知らないと言う。


「あなた一人で行ったんでしょう」そう言われて改めて思い返してみると、記憶の中の、仲介業者に案内されている私は一人だった。 


 あの家の中でも、庭を眺めている時も、高熱を出し慌ただしく帰宅して倒れるように寝込んだ時も一人でした。


 いや違う。そうじゃない。「どうしたの?」と、私を覗き込む心配そうな家内の顔が…。


 どうして記憶違いが起きたのかわからない。しかし幼い頃から人には見えないものが見えるという家内には、彼女なりの考えがあるようだった。しかし私には口を噤んで何も語ってくれない。


 私の疑問は宙に浮いたままです。近所にあるはずなのに、あの家はとうとう見つからないままに、今に至ります。


 そういえば新居に移り住んでしばらくの間、おかしなことがありました。


 誰もいないはずの二階の部屋で何かがが歩いているような気配がしたり、リビングにいるとオートロックの玄関ドアが、実際には外から開けられるはずがないのに開いたようなガチャっという物音が聞こえたり、実害はなかったのだが、少し気味の悪い現象が起きていたことを思い出しました。蛇足かもしれないが付け加えておきます。



「いったいあの体験は、あの家は何だったのか、どこにあるのか。蒼井さんはどう思いますか」


 話の最後にそう聞かれたわたしは、分かりませんと答えた。彼は、でしょうねと少しガッカリしたようである。


 本当は思い当たるものがあるにはあるのだが、申し訳ないと思いつつ、その人の奥さまがあえて口を噤んだように、わたしもそれに倣うことにする。


「分かりませんが、ただ……もうその家のことは忘れて、探さない方がいいと思います」  


 そう答えたところ、妻と同じことを言いますねと、彼は不思議そうな顔をした。


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