8月20日午前11時、アルポート王国より15日ほどの長旅を経て、ユーグリッドは30人ばかりの従者を引き連れて朝廷コルインペリアに到着した。
ユーグリッドは久しぶりに生まれ故郷を目の当たりにし懐かしい気持ちが湧き上がり、そして気の赴くままに皇国の広大な領地を巡り歩いた。
だがその結果、都の城下町は随分と変わり果ててしまっていることがわかった。かつては繁栄を誇り華やかな衣服を纏った人々の往来も多かった町通りが、随分と寂れてしまっており活気がない。裕福な領民たちによる
中には痩せ細った体で物乞いをする者もおり、わずかに行き交う領民に縋りついて慈悲を乞うている。だが、その領民は怒り狂ってその汚らしい体を蹴り飛ばし、唾を飛ばして無下に扱うのだった。昼間だというのに、麻薬の売買や娼婦による客引きまで堂々と行われており、それを止める衛兵すらいない。
ユーグリッドがアルポート王国へ移住してからの11年間で、すっかり皇帝国家の腐敗は進みきっていたのだ。それは朝廷の権勢が地に落ちた証であり、近い将来での皇国の凋落を意味していた。
(随分と惨めに変わってしまったなぁ……昔はもっと賑やかで町の領民たちも生き生きしていたというのに。これではただの無法者の巣窟と変わりない)
ユーグリッドは久しぶりの生まれ故郷にやりきれない感情を抱く。その栄枯盛衰の時の流れは残酷であり、今まさに朝廷が亡国してしまう瞬間が頭の中に
だがそれがわかってなお、ユーグリッドは皇帝の宮殿へと向かった。それはかつて皇帝マーレジアより寵愛を受け、忠義の限りを尽くした海城王の遺志を継ぐためである。ユーグリッドは偉大なる父のような王に倣いたくて、そして自らが殺めてしまった父への禊を果たしたい。そうした動機から、ユーグリッドは皇帝の王臣になることを決心したのだ。
やがてユーグリッドは目的地である、真っ白な大理石で建てられた壮観な皇宮殿の前に参上する。その歴史は古く、100年以上にも渡って朝廷はこのアーシュマハ大陸の国々を支配してきたのだった。
ユーグリッドはその巨大な繁栄の遺物を見上げると、畏敬と
ユーグリッドはそれを見送ると首を正面に戻し、厳重に警備を続けている門番たちに声を張り上げた。
「テレパイジ地方のアルポート王国より、ユーグリッド・レグラスが馳せ参じた! 皇帝マーレジア陛下にお目通り願いたい! 皇帝陛下のご勅命により、アルポートの王ユーグリッドが王臣となるべく来朝したのだ!」
ユーグリッドが謁見の意図を告げると、番兵の一人が門の中に入り、粛々と取り次ぎをする。そしてユーグリッドは門の中に入れられ、皇宮仕えの者たちによって宮殿の中へと案内された。そしてそのまま白くて広い待合室で待つように指示を受ける。
その豪奢で壮麗な部屋には、既に他のアーシュマハ大陸の諸王たちも集まっていた。怪力王ガンナ、暗殺王ダリス、貿商王ネマキン、和睦王ノーマライ。いずれも名だたるアーシュマハ大陸の英雄たちが集結していたのである。
(これが、アーシュマハ大陸の王……やはり皆威風堂々とした気高い立ち居振る舞いをしている。明らかに皆稀代の大人物だ。思わず俺もこの圧倒的な豪壮たる風格に押しつぶされてしまいそうだ……)
ユーグリッドはその王たちの威厳に満ちた高大な御姿に、中に入った瞬間からたじろいでしまう。既にアーシュマハの王たちは互いにワインを持ちながら談合しており、今後のアーシュマハ大陸の行く末や国家間同士の交流について議論している。
そんな上流階級の政治的やり取りが行われる中、こそこそと遠慮がちにユーグリッドに近づていくる王がいた。
「あの、もし、そこの御方。もしや貴公はユーグリッド・レグラス王ではなかろうか?」
ユーグリッドは王たちの凄まじい気配に気圧されていた緊張を解き、慌てて声のほうへと振り返る。すると亀のように目元を垂らしたのっぽの大男と目が合った。その間抜けそうな顔にユーグリッドは見覚えたがあった。
「……もしや、そういうあなたは山守王ケング殿ではないか?」
ユーグリッドはすぐに推察に至り、その人物を名指ししてみせる。
「ええ、そうでございます。私はモンテニ王国を治める山守王ケング・セイソン。以前に我が国が同盟を持ちかけた節には、どうも弟のケンソンがご迷惑をおかけしました」
その山の王は恭しくペコペコと頭を下げる。顔は温和そうで争いを好みそうもなく、その態度からは邪念を感じられない。特にユーグリッドに対して何か悪意を齎そうとするために近づいてきたわけでもないようだ。
「……いえ、とんでもない。あの同盟の誘いはあなたたちが我々アルポート王国とともに覇王デンガダイを討ち倒し、テレパイジ地方に平和を齎さんとしたが故の善意の提言です。決してそこに腹の黒い策略などなかったことは承知しております。同盟の成立にこそ至りませんでしたが、俺はあなた方のことを友好的に思っておりますよ」
ユーグリッドは好青年のような笑みを浮かべる。この親しげな態度は実を言えば、ユーグリッドが山守王が持つ軍事力を警戒していたためだった。今のアルポート王国とモンテニ王国の兵力は1万2000対5万であり、4倍以上もの差がある。万が一アルポート王国がモンテニ王国の軍に攻められでもしたら国家存亡の危機となってしまう。そのためにモンテニ王国とは手を取り合い、和平を結ぶのが得策だと考えたのだ。
「ええ、ユーグリッド王。私も同様にあなたたちとは友好的でありたいと考えております。覇王が滅んだ今、テレパイジ地方が争いを起こす理由はどこにもありません。つきましてはユーグリッド王、我がモンテニ王国と改めて同盟を結び直し、
我々は互いに盟友関係を築き、決してテレパイジ地方で戦争を起こさないと誓い合う。両国の平和を一族千代に渡って引き継いでいき、互いの国を守っていくのです」
山守王ケングは軍の不可侵条約をアルポート王に持ちかける。実を言うと、これは山守王がユーグリッドの深謀遠慮の才を恐れていたからであった。兵力差は圧倒的にモンテニ側が優勢であれど、実際にユーグリッドは3倍以上もの兵力差がある覇王軍を全滅させ勝利を収めた実績がある。
その10万の大軍を毒殺したという衝撃的なユーグリッドの謀略は既にアーシュマハ大陸で噂となって広がっていたのだ。噂の
ユーグリッドが山守王と話し合っている間も、諸王たちはチラチラとテレパイジ王たちの方を見遣り、何か企んでいないかと盗み聞きをしていたのである。その若き王の容赦のない残虐な奸智の才能は、諸王たちからも一目置かれる存在となっていたのだ。
かつて戦の天才と呼ばれた覇王デンガダイを討ち破った功績に誰もが畏怖と尊敬の念を抱いている。皇帝直属の王臣となる新参のユーグリッドは、その正式な勅命が下される前から偉大なる王として認められていたのだ。
しばらく山守王との国家平和のための談合は続き、そして最終的にユーグリッドはモンテニ王国との同盟に賛同する決意を示した。
「ええ、わかりました。ケング殿。俺は元々平和主義な男です、争いが起こらぬにこしたことはございません。喜んであなた方との和平同盟を結ぶとしましょう」
「おおっ! 承諾していただけますか! それは大変ありがたい! では積もる話もありますので、早速具体的な条件については部屋の奥で続きを……」
そう山守王が呼びかけてユーグリッドを部屋の角へ連れ出そうとした時だった。
突然ダンッ! と壁を後ろ足で蹴りつける音が聞こえた。
「よう、テレパイジども。覇王をブッ殺せてご機嫌だな」
ぶしつけな声が二人の王の耳に入る。振り返ると皇城の控え室の柱に腰掛けて、誰とも会話もせずただ一人佇んでいた王がいた。その男は見るからに凶暴そうな顔つきをしており、腰には西海地方特有の曲剣サーベルを帯剣している。
そして最もその者を印象づけるのが、腰に携えられた合計八丁にもなる拳銃だ。拳銃とは西海の新技術によって開発された鉄の玉を火薬で飛ばす飛び道具であり、大砲を超小型にした殺傷兵器である。
その皇宮に来朝したとしてはあまりにも似つかわしくない物々しい武装姿に、ユーグリッドはすぐにその人物に思い当たった。
「……あなたは、もしや海賊王エルフラッド殿か?」
そのユーグリッドの問いかけにドカリと拳銃の男は柱から腰を下ろす。その面差しは不適に笑っており、何を考えているのかわからない。今にもその八丁の銃を乱射しかねない危うさを漂わせていた。
「ああ、そうだ。てめぇらアルポートとつるんで金づるにしてる海賊王エルフラッド・シティーラスだ。てめぇに会うのは初めてだなユーグリッド・レグラス? リョーガイの奴は元気にしてるか?」
その無遠慮でズカズカとした態度に、山守王は思わず恐れたじろぎしてしまう。どう見てもこの野蛮な噂しか聞かない王は、この皇城にはふさわしくない存在であった。
「ええ、無事息災に過ごしております。彼には今アルポート王国の宰相を務めてもらっており、アルポート王国を支える天柱として我が国に仕えてもらっています。俺もリョーガイの働きには満足しており、是非とも生涯に渡りアルポート王国の臣下であってほしいと願っております」
ユーグリッドがリョーガイの重宝を打ち明けると、海賊王は大口を開けて
「ハハハッ! そいつは予想外だな! 昔はてめぇのことブッ殺そうって企んでた野郎なのに、随分と可愛がってやがるじゃねぇか。リョーガイの奴もそれだけ丸くなっちまったってわけか。あ~あ、けどそりゃ面白くねぇな。争いも国盗りもねぇ世の中なんざ退屈でしょうがねぇ。どうせなら今日皇帝が暗殺されるような事件でも起こらねぇもんかな」
海賊王は不穏なことを口にすると、一丁の銃を抜き取りまるで玩具のように手遊びを始める。引き金周りの用心金を風車のように回し、いつ発砲されるかもわからない危険な遊戯だ。
「エルフラッド殿、ここは神聖な皇城の控え室だ。そんな物騒なものは収めなされよ。武器の携帯こそ我々は許されているが、それは我々王たちが争うためではない。反逆者が万が一現れた時にその者を返り討ちにして自衛するためものだ。
ここで銃など発砲してしまえば、
ユーグリッドは海賊王に警告し、自らが携える海城王の黄金の剣に手をかける。
エルフラッドはそのユーグリッドの射殺すような威圧の視線に対してヒューと口笛を鳴らす。
「……父親を殺して覇王に降伏した臆病者のガキが、随分と生意気なこと言うようになったじゃねぇか。俺はエルフラッド、7つの島の王どもを八つ裂きにしてアワシマ王国を建国した海賊王だ。てめぇはそれがわかってて、この俺に口答えしてるってぇのか? ああ!?」
突然海賊王は、ユーグリッドに雷光の如き速さで拳銃を向ける。その銃口はユーグリッドの眉間に真っ直ぐに押しつけられていた。
だがユーグリッドもそれを見極め、瞬時に両手剣を抜いていた。その瞬速の剣技は稲妻の如くであり、まるで始めからそこにあったかのように海賊王の首筋に刃が当てられていた。
控え室の諸王たちもその殺伐とした事態に気づき、その二人の海の王たちの
だがすぐにその二人の王の殺気は、雪解けしたかのように緊張が解かれた。
「……へえ、なかなかいい剣筋してんじゃねぇか。てめぇはただの海城王の七光だったってわけじゃねぇみてぇだな。ふん、その殺意を隠そうともしねぇいけ好かねぇ目つき、気に入ったよ。てめぇが覇王の10万の大軍をブッ殺したって噂は本当みてぇだな」
海賊王は銃をくるくると回し、そのままさっと
それを見届けると、ユーグリッドも静かに黄金の剣を鞘に収めた。
海賊王はなおも底の知れない笑みを浮かべ続け、ユーグリッドに口述をする。
「まあ、てめぇが俺の首に剣を突きつけられたことに免じて説明しておいてやるよ。俺がここに来たのは別に反乱を起こそうと企んでたわけじゃねぇ。暇潰しに皇帝のアホ面でも拝んでやろうと思っただけだ。
俺は分の悪りぃほうに
海賊王は腕を組み、柱にまた足の裏を掛けて尊大に語る。そこに皇帝への忠誠心など微塵もなく、ただ大陸の争乱を楽しんでいるだけの狂人で無法者の姿だけがあった。海賊王は下卑た笑いを浮かべ、面白そうに自分の考えを更に披露する。
「……つーわけだ、ユーグリッド。俺もマーレジアの犬になってやるぜ。てめぇもそのために来たんだろ? まあ金づる同士これからもよろしくやろうや。
海賊王はその皇宮ではあまりに不穏当な言葉を言ってのける。皇帝への忠義心が厚い幾人かの諸王たちは、その海賊王の傲岸不遜な態度に怒りと嫌悪の視線を向ける。
だがユーグリッドは飽くまで平静としており、どこまでもエルフラッドと不和を起こさないように取り繕った態度を見せる。
「……ああ、こちらこそよろしく頼む。エルフラッド殿。俺もあなたが皇帝側についてくれるなら心強い。てっきり俺はあなたが皇帝の味方になどならぬと思っていたのだ。正直に言って俺はほっとしている。もしあなたが皇帝の敵に回ったのだとしたら、アルポート王国はあなたと戦争をしなければならなかったかもしれない」
ユーグリッドはエルフラッドに手を差し伸べ、手のひらを大きく開く。それは海賊王との友好を示す握手の合図だ。
だが海賊王はパンッとその手をはたき落とした。そして冷ややかな視線をユーグリッドに注ぐ。
「けっ、てめぇら弱小のアルポート王国とツルむのは俺の金のためだ。てめぇらと仲良しこよしするつもりはねぇよ。せいぜい俺に国を滅ぼされねぇように、もっと高値になるいいブツを交易してくるんだな」
海賊王はユーグリッドに背を向け、嵐のようにその場から去っていった。もはや諸王議会が始まる約束の時間まで5分と残っていなかったというのに、海賊王は控え室を出ていってしまった。
その傍若無人な態度には諸王たちも呆れ果てた顔を見せる。
(海賊王……やはり厄介な男だったな。できれば隣の国にいてほしくなかった相手だった。だが、どうやら奴も皇帝に楯突くつもりはないようだ。それならば、奴がアルポート王国を攻めてくる可能性も低いと見ていいだろう。尤もそれが保証されるのは、その皇帝への気まぐれな従属心が奴の心の中で続けられる間だけだがな……)
ユーグリッドは一抹の不安を覚えながら、海賊王が飛び出していった大扉を眺めていた。その野蛮な男が部屋に戻ってくる様子もどうやらない。控え室の諸王たちはしんと静まり返っていた。
そしてしばらくして正午ぴったりの時間になると、控え室に備えられていた伝声管を通じて、重々しい老成とした声が響いてきた。
『諸王よ。時間が来た。朕はこのアーシュマハ大陸皇帝マーレジア・アンフィカシオ。本日は我が崇高なる皇室宮殿まで足労したことを褒めてつかわす。これよりは我が一族たちによる〝清めの儀〟をそなたたちが授かりし後、我が皇座の間に集まるがよい』
その控え室全体を震撼させるほどの大音量が終わると、扉から一斉に皇宮仕えたちが入ってくる。
「剣などの武器はここでお預かりします」
そして丁寧で気品のある口調で諸王たちに武装の解除を申し付けたのだった。
諸王たちは素直に己の得物を皇宮仕えに預け、その者たちの案内を受ける。扉からゾロゾロと王たちが出ていった。
(ここで剣を預けるのか……やはり皇帝は徹底して反意の芽を潰そうとしているのだな。皇帝もそれだけ諸王たちのことを信じられないということか)
ユーグリッドはその求心力のなくなっている皇帝に失望を抱きながらも、それでも父が敬愛していたと言われる皇帝の王臣になろうと決意を固める。ユーグリッドも素直に海城王の黄金の剣を使いの者に預けた。
こうして8月20日の正午過ぎ、アーシュマハ大陸の皇帝と王たちによる諸王議会が始められたのである。