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第13:3回目 ホタル・河原キャンプ②

 炭を敷いたバーベキューコンロに網を敷く。


 ここまでは普段の焼肉とあまり変わらない。


 次にホームセンターで買ってきたレンガをコの字型に並べ、その上にもう一枚網を乗せる。

 上に乗せた網の上から、さらに厚手のアルミホイルを敷き、その上に熱した炭を並べる。


 色々試行錯誤した結果、本日のお手製簡易ピザ窯はこの形に落ち着いた。


 上下の炭から発せられる熱によって、ピザがこんがり焼き上がるはずである。


 僕がピザ窯のセッティングを終えた頃、穂乃果ほのかもピザ生地に具材を並べ終えていた。


 ピザソースとチーズのシンプルなピザ。

 カットしたカマンベールを並べた贅沢なピザ。

 焼き鳥缶詰とマヨネーズを乗せ大葉を散らした変わり種のピザ。


 その内の1枚をピザ窯に入れ、まずはピザ生地とチーズが焼ける香りを楽しむ。

 これだけで美味い酒が飲めそうだが、まだ我慢。


 ピザは数分で焼き上がった。

 中々の火力である。


 持参したピザカッターで8枚にきりわけ、次のピザを窯に投入し、缶ビールのプルタブを開けた。


「かんぱーい!」


 ビールを一口流し込む。一口で止めるはずが、止まらない。喉が苦味と炭酸を要求し、気がつけば缶の中身は半分ほどまで消えていた。

 ピザを一切れ口に含み、噛みちぎる。

 とろけたチーズの濃厚な風味と、パリパリのピザ生地。この洗練された味は、洒落たイタリアンレストランのちょび髭オーナーシェフが作る、シェフの気まぐれ名物ピザの味にさえ匹敵するであろう。


「なかなかだな」と僕が言う。


「うん、なかなか」と穂乃果。


「うん」


「うん」


 僕は今、このピザの感想を口に出すよりも、ピザを味わい飲み込むことにこの口を使いたい。

 なぜ人間には口が1つしかないのだろうか。

 僕は初めて、人間の構造的な欠陥を発見し、その不完全さに落胆したのだった。


 日は傾いているが、完全な夜にはあと一歩及ばない。


 早めに灯したガスランタンの灯りが、雲の切れ間から射しこむ弱々しい夕日に溶ける。


 この中途半端な時間は、あとほんの数分で夜に傾き、瞬く間に夜の帳が降りてくるだろう。


 僕達は、まだ少しだけ輪郭がうかがえる遠くの山のシルエットを、背もたれにもたれかかった状態でぼんやりと見ていた。


『仕事していれば、失敗することもあるさ』穂乃果にかけようとしている、慰めの言葉を心の中で反芻する『辛いことがあったら、僕に相談してくれよ』


 こんな月並みな言葉をかけたところで、穂乃果の気が休まるかは分からない。

 でも、何も言わないで見過ごせるほど、僕は隣に座る幼馴染に対して無関心ではない。


 夜へ向かって、山並みを駆け降りていく夕日。


 徐々に視界は縮小し、気付けばランタンの灯りのみが、半径数メートルの小さな世界を照らしていた。


 ホタルだー!


 小川の方から、子供の声が聞こえた。

 僕と穂乃果は顔を見合わせる。


「行ってみようか?」


「そうしよう」


 椅子から立ち上がると、声のする方へと向かう。


 ホタルを見るのはいつ以来だろうか。

 田舎町で育った僕にとって、ホタルは田んぼの側の用水路周りを飛び交っている、そんなごくありふれた虫だったような気がする。あのホタルはいつからいなくなったのだろう。

 ホタルが消えたのが先か、僕がホタルに興味をなくしたのが先か。


 こうして再び自然の中に立ち戻って見て、あの頃見ていた世界がいかに綺麗だったのか再認識する。


 畦道に咲く菜の花。


 青空に浮かぶ入道雲。


 校庭の隅でひっそりと色づく紅葉。


 居間の窓から見た一面の雪景色。


 そして、夜の神社の軒下で燃える、小さな焚き火ーー


 このキャンプ場で、小川の周りを飛び交うホタルを見て、僕と穂乃果はあの頃の2人に戻っていた。


「すげー」


 それ以外の言葉が出なかった。


 ホタルの光が、黒く染まった空気を斬る。複数の傷跡が作られては、すぐに消えていく。


 焚き火から舞い上がる火の粉のようだ。


 今なら、何でも言えるような気がした。

 大人なら身に纏わなければならない、いくつものしがらみを脱ぎ捨て、あの頃の、あの火を見ていた頃の僕らのように。


「何か、あったんだろ?」


「え?」


「最近、元気ないじゃん」


「そうかな」


「ため息ばっかりついてる」


「ごめん」


「謝んなくていいよ。なんて言うか、力になりたいんだよ」


「慎三郎‥‥」


「何があったか、教えてくれないか? 僕だって、相談くらいはのれると思う」


「そっか、気遣ってくれてたんだ。ありがと‥‥」


 穂乃果の目はホタルを見続けている。

 少しの間、無言が生まれる。子供たちのはしゃぐ声が、遠くに聞こえる。風が吹いて、ホタルが揺れる。


「あのさ」


 穂乃果はやっと言葉を見つけたようだった。


 しかし、その言葉は、僕の予想していたものと大きくかけ離れていた。


「この前‥‥、元カレにさ、なんていうか、プロポーズされまして」


 は?


 え、今、何て?


「いや、大学時代に付き合ってた相手なんだけど、結婚を前提に、より戻さないかって、言われて‥‥」


 僕は、何を言えば良かったのだろうか。


 あまりにも想定外のその言葉に、僕は返す言葉をなくしていた。


 頬に水滴が当たる。


 水滴はどんどん勢いを増し、頬を、肩を、頭を重く濡らしていく。


「慎三郎! 雨! 雨がめちゃくちゃ降ってきた! 早くテントに戻ろう!」


 穂乃果に促され、僕は駆け出した。


 雨が降ってくれて良かったと、僕は心底思った。


 言葉が思い付かず、ただこの場から逃げ出したかった僕に、雨は格好の逃げ口上を与えてくれたのだから。


 ホタルはいつの間にか、いなくなっていた。




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