「あ、どうもお世話になってます、佐々木さん」
「は!? なんであんたがいるの!?」
「いやー、その言い方はひどいじゃないですか、佐々木さん。御社の鈴木課長にお呼び頂きまして」
「そ、そうなんですね、柳井課長、ははは‥‥」
ただでさえ気持ちが混乱している最中、まさかこんなところで拓也に出くわすとは‥‥。
なんだろう、私は呪われているのかもしれない。
△
それは、眩しい日差しが照りつける、気持ちの良い初夏の日だった。
社内の懇親も兼ねて、課のみんなでキャンプサイトを借り、BBQをすることになった。
発起人はもちろん川上だ。
課のレクリェーション費の使い道で課長が悩んでいたところ「じゃあ、デイキャンプにしましょう! 居酒屋で飲むより安くてたくさん食べられますし、青空の下で同じ空気を吸うことで皆の結束も強まりますよ! ほら、ここなんか会社から近いし、BBQコンロの貸し出しもありますんで!」とあれよあれよという間に週末の予定が決定してしまった。
単なる飲み会だと面倒臭く感じる私だったが、デイとは言えキャンプとなると身体が疼くという、謎の病に犯されている。
「まったく、勝手に週末の予定決めるなよな」と小言を呟きながらも、スマホを片手に当日作る料理を検索する私だった。
そして週末。
「あーっ、佐々木さん、火を起こせるんですかぁ? すごーいっ!」後輩社員で2児の子持ちの村田さんが、驚いた様子で仕切りに手を叩いている「佐々木さんってー、なんか気が強いから、そういう事ー、全部男にやらせてそうなイメージでしたー」
「はあ」村田さんのこういう発言に全く悪気はなく、ただ思ったことを口に出さずにはいられない性分なのだ。だから無駄に腹を立てる事はしない。とりあえず間違いを訂正しておく。
「私、彼氏いないんで」
「ああーっ! す、すみませーん!」
あたふたと取り乱す村田さんを見て、してやったり、という気持ちになる。しかしこの発言、自分に返ってくるダメージの方が大きいと感じるのは気のせいだろうか。
いかんいかん、深く考えないことにしよう。今日は会社のレクリエーションなのだから、楽しまなければ。
憂鬱を吹き飛ばすようなつもりで、火吹き棒を吹く。火の粉が飛び散り、炭が赤く色付く。
『私、彼氏いないんで』
自分で言葉にしてみると、なんて哀愁漂う響きだろう。それを4歳年下で、既に子供が二人いて、旦那さんと仲睦まじい家庭を築いている村田さんに対して投げかけるのは、双方に取って害悪以外の何者でもない。
まあいい、今はこの炭の成長だけを考えろ。
私はこの炭を、村田さんのお子さんよりも立派に育て上げて見せる。
「みなさーん、お世話になってまーす」
遠くで、なんだか聞き覚えのある声がした。
気のせいだろう、そう言い聞かせ、私は炭から目を離さない。しかし、その声の主はゆっくりとこちらに近づいてきて、私の後ろで止まった。
「どうもお世話になってます、佐々木さん」
この声は、もはや間違えようがない。
私は立ち上がり振り向く。
にこやかに笑う拓也。
「は!? なんであんたがいるの!?」
私は叫んだ。
△
レンタルしたBBQコンロの上では、肉と野菜が蠱惑的な音色を響かせている。
私は網の一角を使い、アルミの容器でアヒージョを調理している。
オリーブオイルに投入したウインナーやニンニクや野菜達の香りを吸い込みながら、ビールを一口。芳しいこの香りだけで、酒のつまみになりそうだ。
課のメンバー十数人。各々が網の上で焼かれた食材を味わい、酒を楽しんでいた。
拓也が持参した日本酒におじさん連中が群がり、川上はせっせと料理を取り分けている。
拓也という異物の存在が課の雰囲気にどう影響してしまうのか、なぜだか私が妙にハラハラしながら観察していたのだが、小一時間もすると話題の中心として立ち振る舞っている。
それを『あー、こういうやつだったよな。心配して損した』などと冷めた目で傍観する私。
今更あの空気に飛び込もうとする気概はさらさらない。私は、ただこの火を見守りながら、ビールを流し込むのみーー
「実は、御社の佐々木さんとは、学生の頃、お付き合いさせてもらってましてー」
ーーそう考えていたのだが、上機嫌の拓也が放ったその一言によって、皆の視線は私に集中する。
「佐々木さん! 柳井さんと付き合ってたんですかぁ!?」と村田さん。
「えっと、まぁ、そうだけど」隠しても無駄なのでそう答える。
「きゃー! じゃあ、今は? 今はどうなんですか?」
「どうって、別に、普通に取引先の課長さんなだけだけど」
「ええー、ほんとですかぁー?」
「ほんとだって」
「ほんとにー? さっき佐々木さん彼氏いなって言ってたけど、実はー?」
「だから、なんでもないって!」しつこい追及に、ついつい声を荒げてしまう。
「いや、ほんとに今はただのビジネスライクな付き合いですよ」いつの間にか、拓也が私と村田さんの間に割って入っていた「それに、なんですかね、今の僕には、佐々木さんよりも貴女の方がかわいらしく見えますよ。そのイヤーカフとか、すごく似合ってますし」
「え、ええー? そうですかー? 柳井さん酔ってますねー?」
「ははは、少し酔ってるかも知れないです」
「残念ー! 私は既婚で2児の子持ちでーす!」結婚指輪のはまった左手を天に掲げる村田さん。
「ああー! 残念」わざとらしく落胆する拓也。
上機嫌の村田さんが日本酒を注ぎに席を離れると、拓也は溜息を吐いて、申し訳ないなさそうに頭を下げた。
面倒な事に巻き込んでしまって悪い、って意味だろう。
二人の間に割って入ったのは多分私のため。私が人から色々と詮索されるのを嫌う性格だからだ。
そして村田さんが既婚者だと知っていて、本気になるはずがないと見越した上で軽口を叩き、煽てていい気分にさせたまま、その場をはぐらかす。
「そういうところ、全く変わってないな」
私は呟く。
「お前もな。俺が悪かったけど、もうちょっと愛想良くしたらどうだよ」
聞こえていたようで、私の目を見ずに言い返す拓也。
「余計なお世話ーー」
そう言いかけたところで、うちの鈴木課長が駆け足でやってくる。
長年蓄えたお腹の脂肪が弾んでいる。普段はこんな軽快な動きなど見せるはずもない鈴木課長なのだが、今日は開放感とアルコールで最高にハイってやつなのだろう。
「柳井さん、柳井さん!」叫ぶ鈴木課長。
「あれ? どうしたんですか鈴木課長ーー」
そんな拓也の声を遮り、鈴木課長が勢いよく頭を下げる「どうか! 佐々木くんをよろしくお願いします!!」
「はい?」突然の言葉に、私は首を傾げる。
「佐々木くんはよく気が利いて、仕事に熱心だし、とても頼りになる部下なんです! だから、どうしても僕は、佐々木くんを頼りがちになってしまっていて、気がつけば仕事一筋で、出会いのない生活を強制させてしまっていた! 彼女に恋人がいないのは、僕にも責任の一端があると思っています! だから、柳井さんがもしよろしければ、もう一度佐々木くんとーー」
「はいはい課長、新しい料理ができましたよー!」酔って暴走する鈴木課長の腕を引っ張っていく川上。私と目があって、空笑を浮かべる。
残された私と拓也は、呆気に取られて、ただ顔を見合わせる他なかった。
「なんていうか、思いの方向性はさておき、いい仲間にに恵まれてるな‥」離れていく鈴木課長を見ながら、拓也は呟く。
「だね」私は頷いた。