昼過ぎまで安静にしていると、寒気が少しだけ引いた。頭痛も咳もマシになって、重いながらも身体が動く。
家の中の移動ぐらいならできそうだ。
まあ、まだ治りきったわけじゃねぇけど。
ぐうう。
腹減ったぁ……。
コスズにおかゆを取られて、ろくに飯を食えてなかったからな。
さすがに、なんでもいいから食いてぇ。
……たしかキッチンに、非常食のお菓子があったっけな。それでも貪るか。
あとは……。
あいつの様子でも見に行くか。
ゆっくり身体を起こし、絡む足を前に動かす。
ドアノブに手をかけ、回して少し押すと。
重い。
ドアがいつもより重く感じられた。
まるで、人がドアに体重をかけているような……って。
「わわっ!」
「ザ、ザラメ……?」
ザラメが扉の向こうから顔を出し、驚いた表情で俺を見ていた。
「郡さん……?」
気のせいだろうか。
僅かに、ザラメの瞳が潤んでいたのは。
「何やってんだよ」
「いや、特には……」
どもるザラメ。
「も、もう大丈夫なんですか?」
「お前のせいで一時危篤だったが、今はマシになったよ」
「そ、そうですか……ごめんなさい」
ザラメがしおらしい。
いつもなら、頬を膨らませて反論するってのに。
「あ、やべ」
一瞬頭が真っ白になり、視界がぐらつく。
「郡さん!」
ザラメが咄嗟に支えた。
「大丈夫ですか?!」
「大丈夫じゃねぇかな……。やっぱ、まだ寝てた方がいいか」
「わ、分かりました。運びま……」
ザラメの言葉が詰まった。
「ザラメ……入るなって言われたんでした……」
「はぁ……? あんなの、気にしてたのかよ。ゲホッゲホッ。あれはもういいから、とにかく運んでくれ」
「は、はい」
ザラメにお姫様抱っこをされ、ベッドに寝かされる。
氷のように冷たいキョンシー。
以前負ぶったときにも感じたが、生きているようにみえて死んでいるというのは、なんだか変な心地だ。
布団をかぶせたザラメは、居心地悪そうにソワソワとしている。
「……どうしたんだよ」
「い、いえ…………郡さん、あの」
ぐうう。
「あっ」
やばい。空腹が限界に迫っている。
腹がへっこんで背中と一体化しそうだ。
ゆっくり身体を起こして、問いかける。
「なんかないか? 食うもの」
「……あ、それなら」
ザラメは足早に部屋を出ていく。
しばらくして戻って来たザラメが持っていたのは、金平糖の入った瓶だった。
ピンク、白、黄色、水色、緑。カラフルな星々が、ガラス瓶の中に詰まっている。
「綺麗だから、食べずに置いとこうと思ってたんですが、今はそんなことどうでもいいです」
ザラメは俺の胸に、小瓶を押し付けた。
「あげます。全部あげます! だから……」
布団に黒い染みがつく。
まさか。
顔を上げた俺に飛び込んできたのは、
「死なないでください……!」
声を震わせて、俺の胸に額を乗せたザラメだった。
「知らないんです、人が死んだらどうなるかも、死ぬキモチも」
ザラメは、顔を上げることなく続けた。
「だけど胸がイガイガして、イタイんです。キュってなって、苦しいんです」
俺をぎゅっと抱きしめる。
親を離したくない子どものように、力強く。
「それはきっと、郡さんが元気じゃないからで‥‥‥死んじゃうかもって考えるからで……」
ぐりぐりと額を動かしながら、ザラメは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「知らないのに、分かっちゃうんです。“死ぬ”ってことが、とっても怖いことだって」
顔を上げたザラメは、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
「だから……死なないでください。ザラメの前から、いなくならないで……!」
少女のような泣き顔を浮かべて。
「…………はぁ」
ため息をつきながら、右手をザラメの額の前に持っていく。
「あの、なぁ」
「あぅ」
ザラメの頬にデコピンをして、俺は金平糖の便を握った。
開いた瓶から金平糖を一粒摘みながら、俺は言う。
「そう簡単に死んでたまるかよ」
「でも……!」
「お生憎さま。一攫千金の夢を叶えるまで、俺は死ぬ気がないんでね」
金平糖を一粒噛んだ。
甘味が舌の上で広がる。
「第一。こんな風邪より、お前の手料理の方がよっぽど死を覚悟するんだが?」
「なんですかそれ! ひどいですよぉ」
いつもと同じように頬を膨らませるザラメを見て、胸のしこりが霧散していくような、そんな心地を覚えた。
「すぅー、すぅー……」
泣き疲れたのか、しばらくするとザラメは眠っちまった。
こうしてみると、つくづくガキみたいだ。
身体は大人なのに。
金平糖をボリボリと食いながら、俺はザラメの寝顔を見下ろす。
ザラメは膝と肘を軽く折り曲げ、俺の布団を枕代わりにして寝息を立てていた。
二つ括りの髪は、随分と乱れている。
「寝顔は悪くないんだよなぁ」
黙っていれば美人ならぬ、眠っていれば美人というヤツだ。
さっきまで色々喋ってたから、この静けさが少し落ち着かない。
「こおりさーん……むにゃむにゃ」
夢の中でも俺を呼んでるようだ。
口元を綻ばせ、とろけるような声で俺の名前を呟く。
そんなザラメの寝顔は幸せそうで。
なんだか、悪い気はしなかった。
――――
数日が経った。
俺の風邪は全快し、これまで通りの日々を送っているわけだが……。
「こ~お~りさ~ん、言い残したことはありますかぁ?」
開店前のカフェで逆さづりにされているのは、果たして“これまで通り”と言えるのだろうか。
俺の全身を縛る縄が、ギシギシと軋む。
「おかしいですもんねぇ、ザラメの通帳残高が一桁消えてるなんて。まさか、諭吉さんが足を生やして逃げたとか言わないですよねぇ?」
やばい、ザラメの背後から黒いオーラが滲んでる。
なんとか言い逃れできないものか‥‥‥そうだ。
「あー…………あー風邪かもゲホゲホ」
「え、ホントですか?」
作戦成功!
嘘を見破れないザラメによって雑に下ろされた。
よし、このままドアまでダッシュ!!
さらばザラメ! 待ってろマイドリーム!!
駆けだした俺の後ろから、ザラメの叫び声が追いかける。
「ああっ、郡さん! 騙しましたね!!」
「騙される方が悪っだあ?!」
扉を開けた先で、何かに……いや、誰かにぶつかった。
弾みで尻餅をついた俺に、手が差し伸べられる。
「怪我はないかね?」
色白の、陶器のように滑らかな手。
そこから視線を上げると、膝をつく男と目が合った。
タキシードを着こなした20代中盤ぐらいの男性。
金髪を後ろで一つに束ね、瞳は瑠璃の宝石のように艷やかだ。
俺が女だったら、惚れていたかもしれない。それほどのイケメンが、俺の目の前にいる。
「カフェ“GOOD MOURNING”というのは、ここだね」
男は俺に、白い歯を見せ微笑んでいた。