結局異変は解決できず、次に持ち越しとなった。
教室を修復するデウスを残し、俺とコスズ、そしてザラメは一足先に学校を出る。
くたくたな足で通学路を歩き、家に着いたのは、朝の5時前だった。
「ただいま……」
「コスズ、電気点けてくれ」
「らじゃ……」
部屋の電気が点いてようやく、帰ってきた実感が湧く。ずっと暗い建物の中にいたせいか、馴染み深いはずの人口の明かりに新鮮味を覚えた。
靴を雑に脱ぎ捨て、リビング横の寝室に向かう。
そんでもって、ぐーすかなザラメを、俺のベッドに横たえた。
「気持ちよさそうに寝ちまってさ」
今にもすやすやと擬音が聞こえてきそうだ。
「ほんっと、人の苦労も知らねぇで」
自分でも荒いと思う言い回しのわりに、驚くほど口調が穏やかなことに気づいた。やれやれと吐く息には安堵の感触がある。
ザラメという名の重荷をおろしたおかげか。それとももっと他の理由か。
何故だか、心が軽くなったような気がした。
少しした後、デウスから着信があった。
「終わったってよ、“再起”」
「さすが……デウス様……」
「そのまま出社するってさ。大変だなぁ」
聞きながら、コスズはビスケットの入った箱を開いた。続いて個包装を破っては、口に入れていく。
俺はスマホを充電器に挿し、ミニテーブルを前に腰を下ろした。
肘をつき、溜息を漏らす。
「仕事より、ツカイマの教育をもっとやってほしいんだがなぁ」
俺の愚痴に、向かい側に座ったコスズが首を傾げた。
「人を攫ってはいけませんとか、人に対する配慮と力加減とか」
コスズも、山一つを好き放題吹雪かせてたし。
「もうちょいTPOを弁えられねぇの?」
「ムリ……不可抗力……」
コスズは首を振った。
曰く、以前の自分をはじめとした暴走状態のツカイマは、力や自我が膨張して制御が効かない。
だから、自身の暴走に抗うのは難しい。子どもの我儘みたく、感情を律するのは至難の業だと。
ビスケットを呑み込み、ぽつりと言う。
「……多分、ミドウは何かに
「飢えてる? どういうことだよ」
「ツカイマになる前に……欲しいと強く願ったモノ……それが、無くなって……だから、取り戻そうとしてる……」
あのポルターガイストは……ミドウと名乗ったアイツは、恋とかトキメキとか言ってたな。それが足りないから、求めてるってことか?
「ワタシが、吹雪を起こした時……」
窓の外を眺めるコスズ。
白髪から、緑色の目が垣間見える。
青々とした空に、濃い影を底に孕むぶ厚い雲。
眩しいとさえ思える日差しに、両目を大きく見開いて。
「“美味しいもの”が……ワタシの、欲しかったモノ……」
言いながら、ブリキのツカイマはビスケットをまた頬張った。
「“強く願ったモノ”、ねぇ」
そう独り言ちた俺は、美味そうにお菓子を齧るコスズに目をやり……すとんと腑に落ちる。
ああ、そういうこと。
だからお菓子やシチューで、吹雪が止んだのか。
「……それって単に、腹が減ってただけだよな?」
「ペコペコだった、昔も、今も…………朝ごはん、まだ?」
「この流れで?! 今『ツカイマ衝撃の事実が、明かされる』ってところだろ!?」
「お腹が空いて……電池切れ……」
「嘘つけ!!」
「もう……喋れません……もぐもぐ」
どこまでも呑気に、ビスケットを頬張るコスズ。
いつの間にか、箱は空っぽになっていた。
テーブルの上は、小袋が散らばっている。
「そんなんで朝飯食えんのか?」
答えは、自信たっぷりのサムズアップ。
最後のビスケットを食して、呟いた。
「これがほんとの……朝飯前」
「誰が上手いこと言えっつたよ」
疲れて何もする気が起こらない。
食べるのも面倒だ。
まして他人の飯なんか、作れるわけがない。
「棚ん中に食パンがあったろ? あとインスタントのスープ。それ食っときゃ良い」
フローリングに布団を敷き、潜り込む。
「俺はもう寝るから」
そのまま、微睡の中へ落ちていった。
————
どれぐらい寝ただろうか。
夏の日差しがカーテンの隙間から差し、くっきりと白い筋を作っていた。
壁にかかった時計を見るに、4時間近く夢の中だったらしい。
どうりで、腹が減るわけだ。喉も乾いたし。
「食うか、朝飯……」
上体を起こし……傍らに誰かがいるのに気づく。
「ザラっ!?」
「おはようございます。ふふっ、ようやく起きましたね」
悪戯っぽく笑ったザラメが、俺の布団に潜りこんでいるじゃないか。
「お前、なんでここに」
「だってぇ、一緒に寝た方が賑やかで良いじゃないですか!」
「賑やかさとかいらねぇよ、慎ましく寝てろ」
「ええ~、つまんないですぅ」
口を尖らせるザラメだったが、すぐ頬を緩める。
「良い夢でも見たのか? やけに嬉しそうだが」
「そりゃそうですよ」
ザラメは身体を寄せる。
座っている俺に顔をこてんと傾け、柔らかな声で囁いた。
「だって……えへへ」
ようやく願いが叶った。とでも言いたそうな、満ち足りた笑み。
それがなんだか眩しくて、思わず目を逸らした。間髪入れず、ザラメに布団を押し付け立ち上がる。
「どこ行くんですか?」
「朝飯作んだよ」
見下ろすとコスズが眠っていた。身体を縮こまらせ、控えめに寝息を立てている。
台所にもテーブルにも皿が出ていないから、結局朝飯を食わなかったんだろうな。
お菓子で腹が膨れたのか。ちょっと意外だ。
飛び起きたザラメが、袖を捲りながら駆け寄ってくる。
「ザラメも手伝いますよ! 腕によりをかけて!」
左の掌に炎を灯し、ザラメは自信満々に言った。
「火加減ヨシ! 今日は上手く作れる気がします!!」
「それ絶対失敗するやつ!!」
あの夜見たのは、ザアザア降りのにわか雨か。
今のザラメは、雨雲の去った青空みたいに、晴れやかだった。