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第42話 あげます、お疲れ様の一杯

 網戸の外から、鈴虫の鳴く音が聞こえる。

 座敷の畳と布団の匂いが寝ぼけた頭に、ここが家じゃないと教えてくる。

 天井に吊るされた照明は点いているが、明るさは抑えられていた。


 徐ろに目を開け、壁にかかった時計を見やると、時刻は夜の10時過ぎ。

 戻ってから夕飯をそこそこに済ませて、溺れるみたいに寝ちまったんだった。

 夕飯食ってから何も飲んでなかったから、飲み物が恋しい。


「郡さん、起きたんですか?」


 そう言って、電灯の光を遮るようにしてザラメが覗き込んできた。うつ伏せで肘をつき、足を交互に上下させている。もはや互いに気にしないが、浴衣の襟から胸の谷間が垣間見えている。

 朝見たのと同じ浴衣姿だ。違う点と言えば、髪を降ろしていることぐらいか。


「ふふっ、おはようございます」


 和服姿で髪を下ろし。

 微笑むザラメの顔はいつもと変わらないのに、何となく違う気がしてくる。

 旅行という非日常の空気感に当てられてか、それとも和装がそう思わせるのか。


 考えを切り替えるべくむくりと起き上がり、ザラメと目線を合わせた。


「……お前は寝なくて良いのかよ」

「もう少し起きてます。デウスさんの……血が止まるまで」


 隣を見ると、デウスが気絶していた。

 鼻の穴に詰め込まれたティッシュを鮮血で赤く染めて。


「刺激が強すぎたみたいです」


 カボチャ捜索競争で勝ったデウスが要求した「あぁ~ん♡なコト」とは、風呂で背中を流し合うことだった、と。


 で、これ。


「お互い水着だったんだろ? 海で散々見たってのに気絶するのか……」

「『このシチュエーションはっ、さつじん級ではないか!!』と大興奮でした」


 つくづくおめでたい神だ。

 もしも裸の付き合いだったら、全身から血を噴き出していたかもしれねぇ。


「ザラメが魅力的なのは周知の事実ですが、ここまでとは……」

「お前は何を言っている」


 布団に寝かされているデウスは、祈るかのように両手を組んでいた。

 表情は恍惚として、気絶しているのに滅茶苦茶晴れやか。「我が生涯に一片の悔いなし」って顔だ。


「わわっ、血が垂れちゃってます」


 ティッシュの隙間から、血の筋が頬を伝う。


「ティッシュ、詰め替えなきゃです」


 そう言ってザラメはティッシュを1枚取り、半分に破いたのちくるくると小さく丸める。

 手慣れているのは、俺が寝ている間もやっていたからだろうか。


「コスズは?」

「隣の部屋で寝てます」


 ザラメの返答に、ここと隣を仕切る襖に手をかけて、少しだけ開けてみた。

 差し込む光の筋の上。コスズは真っ白な頭をこっちに向け、すぅすぅと寝息を立てていた。遊び疲れたんだろう。

 となると、ザラメしかデウスの面倒を見られなかったって訳か。俺も寝てたし。


 そっと襖を閉じ、身体の向きを戻す。


「にしても、喉乾いたな」

「それならっ」


 デウスの鼻ティッシュを詰め替え終えたザラメが、立ち上がって問いかけた。

 デウスやコスズに気を遣ってか、声を抑えて。


「お疲れ様の一杯、いかがです?」

「一杯?」

「はいっ」


 ザラメは朗らかに答えると、テーブルから水筒を持ってきた。蓋がカップになっている、保冷ができるヤツだ。


「とっておきの一杯ですよ~」


 カップに注がれたのは、黄色いどろっとした液体だった。


「……お前それ、まさか」

「パンプキンポタージュですっ。ポタージュ君が破裂した分を、少し取っておいたんです。あっ、砂とかは入ってないので安心してください」


 安心できねぇ。


「飲んで大丈夫なんだろうな。そのカボチャ、地脈をたっぷり注いでたんだろ?」

「大丈夫です。…………多分、大丈夫ですよね?」

「俺に聞くなよ」


 俺にカップを向け、首を傾げるザラメ。

 安心できねぇ。


「いつも地脈たっぷりのザラメちゃん☆ファイアを浴びてますし、これに限って身体に異常はきたさないと思いますけど……」


 そうかもしれんが。


「普通の緑茶はねぇのかよ」

「茶葉切らしちゃって……ポットも点検で回収されてます。あとは、少し歩いたところにコンビニがあったかと」

「飲むしかねぇじゃん」


 流石に、コンビニまで歩く気力は無かった。

 躊躇いつつもザラメからカップを受け取り、もう一度ポタージュに目を凝らす。

 見た目はごくごく普通のパンプキンポタージュ。コスズも味は絶賛だったが……。


「えーいままよ!」


 意を決し、目を瞑って口に流し込んだ。


「うまっ……!!」


 思わず、口に出ちまった。

 ほわっととろける、どこか懐かしい味。

 喉に馴染んで潤す、ほどよい冷たさ。

 カボチャの甘さが染みる。しつこすぎず薄すぎない絶妙な塩梅で、舌に優しく絡んでくる。

 マジで美味い。反則だ。


 ザラメは俺からの高評価が嬉しかったのか、


「良かったです……!」


 そう言って、満面の笑みを浮かべていた。


「隠し味は真心ですっ。本当は、キョンシー力もふんだんに入れたかったんですけどね」


 ザラメは照れくさそうに、指で自分の頬を撫ぜる。


「それでも、お口に合って嬉しいです」


 心の底から嬉しそうだった。

 いつもより大人びて見えるのに、だけど確かにザラメだって分かる。

 そんな奇妙な感触がポタージュの味と同化して、仮に死んでも忘れられそうにない。


 ——本当は、キョンシー力もふんだんに入れたかったんですけどね。


 ザラメの言葉が、潮風とともに過る。


 ——ってかそもそも、お前の言うキョンシー力ってなんだよ。


 ——もちろん、キョンシーらしさ満点の力です!! 皆さんを守れるような凄い力でですね、心に残るようなインパクトがあるとなお良しですっ。


「……あるじゃん」


 お前の目指したキョンシー力とは、かけ離れてるかもしれねぇけど。


「何か言いました? 郡さん」

「別に」


 ……なんつーか、お前らしい。

 口にするのは気恥ずかしくて、パンプキンポタージュと一緒に飲み干すのだった。

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