網戸の外から、鈴虫の鳴く音が聞こえる。
座敷の畳と布団の匂いが寝ぼけた頭に、ここが家じゃないと教えてくる。
天井に吊るされた照明は点いているが、明るさは抑えられていた。
徐ろに目を開け、壁にかかった時計を見やると、時刻は夜の10時過ぎ。
戻ってから夕飯をそこそこに済ませて、溺れるみたいに寝ちまったんだった。
夕飯食ってから何も飲んでなかったから、飲み物が恋しい。
「郡さん、起きたんですか?」
そう言って、電灯の光を遮るようにしてザラメが覗き込んできた。うつ伏せで肘をつき、足を交互に上下させている。もはや互いに気にしないが、浴衣の襟から胸の谷間が垣間見えている。
朝見たのと同じ浴衣姿だ。違う点と言えば、髪を降ろしていることぐらいか。
「ふふっ、おはようございます」
和服姿で髪を下ろし。
微笑むザラメの顔はいつもと変わらないのに、何となく違う気がしてくる。
旅行という非日常の空気感に当てられてか、それとも和装がそう思わせるのか。
考えを切り替えるべくむくりと起き上がり、ザラメと目線を合わせた。
「……お前は寝なくて良いのかよ」
「もう少し起きてます。デウスさんの……血が止まるまで」
隣を見ると、デウスが気絶していた。
鼻の穴に詰め込まれたティッシュを鮮血で赤く染めて。
「刺激が強すぎたみたいです」
カボチャ捜索競争で勝ったデウスが要求した「あぁ~ん♡なコト」とは、風呂で背中を流し合うことだった、と。
で、これ。
「お互い水着だったんだろ? 海で散々見たってのに気絶するのか……」
「『このシチュエーションはっ、
つくづくおめでたい神だ。
もしも裸の付き合いだったら、全身から血を噴き出していたかもしれねぇ。
「ザラメが魅力的なのは周知の事実ですが、ここまでとは……」
「お前は何を言っている」
布団に寝かされているデウスは、祈るかのように両手を組んでいた。
表情は恍惚として、気絶しているのに滅茶苦茶晴れやか。「我が生涯に一片の悔いなし」って顔だ。
「わわっ、血が垂れちゃってます」
ティッシュの隙間から、血の筋が頬を伝う。
「ティッシュ、詰め替えなきゃです」
そう言ってザラメはティッシュを1枚取り、半分に破いたのちくるくると小さく丸める。
手慣れているのは、俺が寝ている間もやっていたからだろうか。
「コスズは?」
「隣の部屋で寝てます」
ザラメの返答に、ここと隣を仕切る襖に手をかけて、少しだけ開けてみた。
差し込む光の筋の上。コスズは真っ白な頭をこっちに向け、すぅすぅと寝息を立てていた。遊び疲れたんだろう。
となると、ザラメしかデウスの面倒を見られなかったって訳か。俺も寝てたし。
そっと襖を閉じ、身体の向きを戻す。
「にしても、喉乾いたな」
「それならっ」
デウスの鼻ティッシュを詰め替え終えたザラメが、立ち上がって問いかけた。
デウスやコスズに気を遣ってか、声を抑えて。
「お疲れ様の一杯、いかがです?」
「一杯?」
「はいっ」
ザラメは朗らかに答えると、テーブルから水筒を持ってきた。蓋がカップになっている、保冷ができるヤツだ。
「とっておきの一杯ですよ~」
カップに注がれたのは、黄色いどろっとした液体だった。
「……お前それ、まさか」
「パンプキンポタージュですっ。ポタージュ君が破裂した分を、少し取っておいたんです。あっ、砂とかは入ってないので安心してください」
安心できねぇ。
「飲んで大丈夫なんだろうな。そのカボチャ、地脈をたっぷり注いでたんだろ?」
「大丈夫です。…………多分、大丈夫ですよね?」
「俺に聞くなよ」
俺にカップを向け、首を傾げるザラメ。
安心できねぇ。
「いつも地脈たっぷりのザラメちゃん☆ファイアを浴びてますし、これに限って身体に異常はきたさないと思いますけど……」
そうかもしれんが。
「普通の緑茶はねぇのかよ」
「茶葉切らしちゃって……ポットも点検で回収されてます。あとは、少し歩いたところにコンビニがあったかと」
「飲むしかねぇじゃん」
流石に、コンビニまで歩く気力は無かった。
躊躇いつつもザラメからカップを受け取り、もう一度ポタージュに目を凝らす。
見た目はごくごく普通のパンプキンポタージュ。コスズも味は絶賛だったが……。
「えーいままよ!」
意を決し、目を瞑って口に流し込んだ。
「うまっ……!!」
思わず、口に出ちまった。
ほわっととろける、どこか懐かしい味。
喉に馴染んで潤す、ほどよい冷たさ。
カボチャの甘さが染みる。しつこすぎず薄すぎない絶妙な塩梅で、舌に優しく絡んでくる。
マジで美味い。反則だ。
ザラメは俺からの高評価が嬉しかったのか、
「良かったです……!」
そう言って、満面の笑みを浮かべていた。
「隠し味は真心ですっ。本当は、キョンシー力もふんだんに入れたかったんですけどね」
ザラメは照れくさそうに、指で自分の頬を撫ぜる。
「それでも、お口に合って嬉しいです」
心の底から嬉しそうだった。
いつもより大人びて見えるのに、だけど確かにザラメだって分かる。
そんな奇妙な感触がポタージュの味と同化して、仮に死んでも忘れられそうにない。
——本当は、キョンシー力もふんだんに入れたかったんですけどね。
ザラメの言葉が、潮風とともに過る。
——ってかそもそも、お前の言うキョンシー力ってなんだよ。
——もちろん、キョンシーらしさ満点の力です!! 皆さんを守れるような凄い力でですね、心に残るようなインパクトがあるとなお良しですっ。
「……あるじゃん」
お前の目指したキョンシー力とは、かけ離れてるかもしれねぇけど。
「何か言いました? 郡さん」
「別に」
……なんつーか、お前らしい。
口にするのは気恥ずかしくて、パンプキンポタージュと一緒に飲み干すのだった。