「具体的に私は何をすればいいのだ?」
彼女は何処から取り出したのか丸テーブルと肘掛け椅子に座り、
「その前に」
彼女は二人分のカップにお茶を淹れ、ソーサーごとその片方をこちらに差し出して言った。
「自己紹介ぐらいして頂きたいものですわね。わたくし、まだ貴方の名前すら知りませんもの」
これは
私はスーツの内ポケットを
「これは大変失礼をした。私の名前は
お茶の入ったカップを受け取りながら簡単に自己紹介をする。受け取る際に、彼女の表情を
彼女もそんなことを気にするひとりかと思ったのだが、意外なことにエリザベートは驚いたような表情を浮かべていた。
「……探偵。殺人事件の解明や犯人追及のための謎を解く職業という理解で正しいかしら?」
それは小説の中だけの話だ。現実には殺人事件の犯人当てや密室のトリックを暴くなど、某英国紳士探偵のような活躍は滅多にない。そもそもそういう場面に遭遇することが珍しい。歩けば殺人事件にぶち当たるような少年探偵などこの世には存在しない。基本は迷い猫探し、浮気調査や素行調査、あとは精々パパラッチの真似事ぐらいなものだ。ただ、滅多にないだけで一度もなかったというわけではなく、有り難いことに……と言っていいものかはわからないが、幾度か殺人事件に遭遇したことはある。
「まあそんなものだ。と言っても現実は何でも屋のようなものだがね」
そんな私の声が聞こえていないのか、エリザベートは何かを思案しているように見えた。
「探偵……。成程……だからここに? いえ、でもそんなこと……。もしかして、主様が?」
なにやらぶつくさと呟いているようであった。
「私が探偵だと何か問題があるのか?」
少し気になり率直に私は聞いてみた。
「いいえ、いいえ。問題と言う程の事ではありませんわ。逆にこれは主様の
「もしかして、私に任せたい仕事と言うのは……殺人事件の解決なのか?」
「ご明察ですわね」
今までにない輝くような大輪の笑顔でエリザベートは言い放った。
「まさしくあなたにお任せしたいのは殺人事件の究明ですわ。でも、勘違いをして頂きたくないのだけれども、あくまで究明であって解決ではありませんわ。そもそも解決することは物理的に不可能ですから」
そう言うと彼女の手の平には淡く光り輝く一冊の本が何もない場所から出現した。これが……『魂書』というものだろうか? 今どこから取り出したのだ? 魔法か何かなのか? やはりここは私の認知領域外の世界なのだと改めて認識せざるを得ない。
彼女は出現した『魂書』を机の上に静かに置いた。
「それが『魂書』か?」
「そうですわ。これが『魂書』。ある一人の人物の魂の記録が記されている書物。生まれてから死ぬまで、栄華も
魂の最後……。死んだ時の状況のようなものが記されているのだろう。どのような文体で記されているのかはわからないが、死因などが書かれているのであれば、そもそも殺人事件の究明など必要ないのではないだろうか。誰に殺されたとか、何が原因で死んだとか。身も蓋もないことを言ってしまえば犯人も載っているのではないだろうか。
「少し理解できないのだが、その『魂書』には何故死んだのか記されているのだろう? だったら、殺人であったとしたら犯人の名前など記されているのではないか? 誰々に刺殺されたとか」
「鋭いですわね。物語のような第三者視点から見た情報が載っていれば何も問題はないのですけれども、この『魂書』はあくまでもその個人の魂の書物。書かれていることも第一人称視点であり、例えば自分を殺した犯人の顔を見ているのであれば詳細にそれが載っているやもしれませんが、後ろから殴殺された場合など相手を確認できない状態、あるいは不意の場面などでは誰に殺されたのかはわからないのですわ。だってこの魂の持ち主は相手を見ていないのですもの。記憶はそこで途絶えますわ。さらに言えば、何が死因だったのかもあやふやで抽象的な感じでしか残りませんわ。被害者が何で死んだかなんて理解しながら死ぬことは普通ありませんものね。こうなった場合、正直お手上げですわ。下手したら殺人でもなんでもなく事故だったかもしれませんし、事故に見せかけた殺人や自殺の可能性もありますわ」
成程。『魂書』というのも万能ではないようだ。確かに自分の視点からの情報しか載っていないのであれば、顔や名前も知らない人間に殺されたとかでも犯人はわからないことになる。特徴や凶器はわかるかもしれないが決定的な確定情報にはならない。もしかしたら出来の悪い捜査報告書のようなものかもしれない。
「その場合どうやって解決するのだ? 情報が全く足りていないだろう?」
「ええ、その場合その殺された状況を疑似的に再現したり、世界の断片から当時の情報を集めますわ。この作業が酷く大変でして……集めても正しいのか間違いなのか、そもそも関係のある情報なのか。判別のつかない情報も多くて……。非常に考えるのが
こんな仕事をしているのに得意ではないとは解せない。専門分野ではないのだろうか。人選ミス疑う。
それにしても言葉尻に妙に
「解決も究明も
「まったく違いますわ。そもそも事件は既に起こってしまった過去の出来事ですわ。別に過去に介入してその事件の解決をするわけではないのです。もし
そう言うとエリザベートは手にしたカップを華麗な手つきで口にした。唇がカップのふちに近付くのをじっと私は見つめていた。
「正解が存在しないのであれば、誰が犯人でも構わないのではないか? もっともらしい殺人動機と矛盾のないアリバイ。その辺がしっかりとしていれば。それこそ見ず知らずの第三者に殺されていたとしてもいいのではないか?」
私も渡されたお茶の入ったカップをひと口
「間違いではありませんわね。わたくしも誰が犯人であっても構わないと思っていますもの。でも考えてごらんなさいな。見ず知らずの第三者に殺された場合、それは通り魔的な殺人ですわ。もしかしたら何かしらの怨恨の可能性もあるやもしれませんが、殺された被害者に思い当たる節がない場合、逆恨みであるかもしれません。対して、仲の良い気の置けぬ友人であった場合、そこには明確な動機と殺意が含まれている事でしょう。まあ、こちらも逆恨みの可能性がないわけではありませんが、概ね被害者に何らかの殺される理由があるものでしょう。この二つを並べた場合、受け取る印象と言うのは大分変わってきますわ」
エリザベートは机の上にカップを戻すと続けて言った。
「再三申し上げている通り、魂の選定をしているのはわたくしですわ。つまりわたくしの受ける印象によってその後を左右するということですわ。先程の例の場合、前者なら不運にも殺されてしまって可哀そうに、嗚呼ご愁傷様、と。後者なら、一体どんなことをやらかしたのかしら、親しい友人に殺されるとは余程性格に難があったのかしら、と」
彼女は白磁のポットを手に取り自分のカップへと紅茶を注いだ。容姿も相まって貴婦人のような
「成程。つまりキミの選定に影響するわけか。例えそれが真実でなかったとしても、実際は極悪人であったとしても、キミが納得しなければその魂は救われる、あるいは裁かれるというわけか。なんとも理不尽なことだな」
実にけったいな事である。この気まぐれな神の下僕のせいで下手したら魂が消滅させられてしまうのだから救われない。そもそも消滅することに何か問題があったりするのだろか。もう既に死んでいるのだから魂の心配など必要ないのではないだろうか。確か輪廻に戻すとかとも言っていたが記憶はおそらく引き継がれないだろう。私も前世の記憶など持っていない。つまるところそれは、消滅と何も変わらない気がしてくる。
私の嫌味にもエリザベートはにっこりと笑みを浮かべ、さも気にしていないように話し始めた。
「まさしくわたくしの胸先三寸ですわね。使い方合っていますかしら? さすがのわたくしでも、主様に頂いたお役目で不備があっては顔向けできませんもの。なるべくならば真実に近い解答で魂の選定を行いたいと思っておりますわ。ですので、一人よりかは二人。考える頭は多い方がいいでしょう? 特に聞けば貴方はそういうのが専門なのでしょう? 渡りに船とはこのことですわね。使い方合っていますかしら?」
慣用句表現がお上手なようで。
確かに複数人で議論しながら進める方が理に適っている。私がここにいることにやや作為的な印象を受ける気もするが、私としても本職なので協力するのは
「さて、まだ聞きたい事はあるかしら? なければ仕事に移りたいのだけれども?」
色々聞きたい事は勿論ある。だが、ひとまずはその仕事をやってみないことには何とも言えない。そこにある情報で推理をすればいいだけだ。何てことはないはずだ。
「ああ、今のところは大丈夫だ。まだ知りたいことは多々あるが、その辺りは追々質問させてもらう」
私の言葉にエリザベートは頷き、先程テーブルに置いた『魂書』をもう一度手に取った。
「では、最初は肩慣らしといきましょうか」
そういうと彼女の手の『魂書』のページが開き、光り輝き始めるのであった。