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第16話 道場破り3

 とにかく落ち着いて詳しく話を聞かねばなるまいと、衣笠組の離れに案内された英次郎は、太一郎の前に行儀よく座った。

 親分の趣味――かどうかは定かではないが、風流な数寄屋造りである。

「親分、いつの間にこんな建物を……」

「さるお大尽が買うだけ買ってほったらかしにしておったのを、ちと、直したのじゃ」

「おお、あれだな、飲んだくれの大工たちに仕事を……と、親分が張り切ったと噂の建物がこれか」

 なんのことかな、と、太一郎は豪快に笑う。

 太一郎は、長雨や博打などで仕事を無くした顔見知りの職人たちのために、普請場を一つ用意した。短い期間でしかないが、それで食いつなげた家が間違いなくあった。太一郎本人は「お上の天下普請を真似ただけじゃ」と言うが、なかなかできることではない。

 その点も含めてだろう、クルチウス商館長たちが、ぜひ一度は来てみたいと言っていたのはこれか、と英次郎は得心する。

 とはいえいくらお忍び行動が得意なオランダ商館長御一行様でも、衣笠組を訪れるのは難しいだろうがーー。


 不器用な手つきながら茶を点ててくれる親分は、ひどく真面目な顔である。この建物が完成した際、せっかくなのでと茶を習い始めたらしい。

 開け放った窓には風鈴が下がっているが風がないため、ちりんとも鳴らない。

 ことん、と英次郎の前に立派な茶碗が置かれた。そしてその隣には、山のようにつまれた串団子。綺麗な丸い餅は、きっと餡がぎっしりつまっているのだろう。如何にも旨そうだ。こちらは喜一特製に違いない。

「頂戴致す……」

 不調法を詫びながら、それでもそつのない英次郎の作法はきっとお絹譲りだろう。その英次郎の目が茶碗の底に留まったあと、矯めつ眇めつする。

「親分、これはやたら立派な茶器であるが……色といい形といい……まさか、かの有名な黒織部かな?」

「そうなのじゃ! 長屋で大暴れした幸太をここへ連れ戻してとりあえず蔵込めにした際、手当たり次第に奴が投げたものの中にあったのじゃ」

「ということは、誰かの質草か」

「うむ」

 どうやら本物であるらしい。英次郎が恐れおののいてそろりと茶碗を置いた。

「衣笠組には何でもあるな……」

「茶碗であるからには、茶を飲むために用いるのが正しき使い道かなと思うてな」

 太一郎は、せっせと串を皿に並べている。恐るべき速度で、団子が消費されていくのだ。

「持ち主に引き取ってもらえぬ道具が眠っておるぞ、そこの行李にも手文庫にも。仕舞うところがなくて困っておる」

「どんなお宝が出てくるのやら……」

 それだけ暮らしに困窮した人が多いという事であろうか。むろん、英次郎とてその一人であるのだが。

「で、どうしたのじゃ? 喧嘩の勝ち方、とな?」

「それがな、親分。それがしの知り合いのおじじが、ちんけな薬売りに看板をとられたのだ」

「おじじとな? はて……」

 どの爺さんだろう、と太一郎は首をかしげる。

「あれだ。我が破れ屋敷の三軒向こうにある破れ道場の大先生だ」

「……あの屋根すら崩落した貧乏道場を破ろうと思った御仁がおったのか……」

 太一郎の、団子を食べる手が止まった。それほどに驚いたらしい。

 驚くのはそこではないぞ親分、と、英次郎が情けなさそうな顔をした。

「唯一の誇りであった道場の看板を、得体のしれぬ薬売りに奪われたのだ。おじじの沈み具合は大変なものでな」

 まて、と、太一郎が手を挙げた。

「若先生はどうした? あそこには活きのいい若者がおったであろう」

「それが……。馴染みの遊女が出来て、威勢よく遊んだはいいが支払いが滞り、腕が立つというので吉原に用心棒として留め置かれておるとか。そちらも支払いをなんとかせねばらならぬ」

 あちゃー、と、太一郎が天井を仰いだ。若先生がそんな調子であるから、近所の気のいい青年が気を揉んでいるのだろう。

「英次郎、若先生の方は自力で何とかさせるとして、おじじの方じゃな。その道場破りは薬売りの姿形をしておじじに近づき、立ち会った末に看板を持ち去ったのか?」

「おそらくな。おじじが言うには、道場に薬を売って歩いているとか言いながら、ふらりとやってきたそうな。天然理心流と相手は名乗ったらしいが我流が多く含まれていた『喧嘩剣法』とのこと」

「ふーむ、そやつを倒して、看板を取り返してやろうという腹積もりか」

 うん、と英次郎は頷いた。

「もちろん、それがしが勝てばそれで看板は戻る。が、その程度で大先生の矜持は戻りはしないだろうが……。それがし、幼少のころより存じておるおじじが気の毒で、見ておれぬのだ」

「ふーむ……」

 太一郎が、難しい顔で腕を組んだ。

 取られた道場の看板を取り戻す、昨今聞いたためしのない話である。

「しかしそれがし、天然理心流とは対峙したことがないゆえ、どのような流派なのか知らぬのだ。本来なら下調べをして然るべき稽古をして対戦を願い出るのが筋かなと思うが、手順を踏んでいる間におじじが首を括りそうな気配」

 太一郎は若き友人の顔を見た。真剣な面持ちである。

「親分、喧嘩の勝ち方を教えてくれ」

 このとおり、と、頭を下げた。

「勝ち方、か」

 喧嘩の勝ち方などいくらでもある。卑怯な方法も、いくらも知っている。

 しかしそれを、若き武家の青年に、それも、まじめに生きていた御家人の次男坊に伝授するのはいかがなものか。

「天然理心流なぁ……。確か、道場は甲良屋敷だったな」

「親分?」

「まずは、その薬売りが本当に天然理心流の門弟かどうか確かめねばなるまい。天然理心流を勝手に名乗った流れの剣客かもしれんぞ」

 にっ、と親分が笑った。

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