そのころ、朝顔長屋の二人は口と眼をまん丸にしていた。
「……こ、これは……」
「こんな菓子の山……」
「見たことねぇぞ……」
「うむ」
そうだろうな、と頷きながら英次郎が、躊躇うことなく団子の山に手を伸ばす、
その山から餡ののった串団子をとり、二人に二本ずつ手渡した。
「一度に二本も?」
「いいのか……?」
「さ、二人とも早く食べねばすべてが親分の腹におさまるぞ!」
「お侍、そんなまさか」
「見よ、親分の手と口が高速で動いておる」
一瞬ぽかんとした二人が親分につられて団子を食べ始める。
「うまい!」
熊八が叫べば五郎蔵も、
「こりゃ団子屋顔負けの美味さ」
と言う。
喜一が嬉しそうに、二人の皿に茶色がかった丸い餅を置いた。
「これが、けさいな餅でござい」
「あっ、南蛮菓子か? ……甘いぞ」
「けさいな餅ってぇなんだ? 熊、知ってるか?」
「知ってるとも! ……と言いてぇとこだが生憎知らねぇのよ」
それはな、と、親分が言う。
「お絹さまが貸して下された製菓書に載っていた菓子でな。お絹さまも、もとの料理が何かは知らぬと仰せであったため、カピタンたちに聞いてみたところ、調べてくれたぞ」
かぴたん? と、朝顔長屋の二人が揃って首をかしげるので、英次郎が、
「長崎から来ておる商館長、まあ
と、さらりと説明する。
おらんだ、と、熊八が不思議なものを噛み締めるように繰り返した。
「元は
「阿蘭陀も葡萄牙も、国の名前でな。遠い、船で幾日も幾日もかかる異国であるそうな」
英次郎がそっと解説する。が、親分の口から飛び出す横文字に、大工と棒手振り二人の目が白黒する。無理もない。いくら黒船が来た、開国だ攘夷だと騒がれていても、江戸の町で暮らす彼らの与り知らぬところでの話なのである。
「親分、あっしはここで失礼しやす。鍋の具合が気になりやす」
「ご苦労であるな、喜一」
喜一が下がり、太一郎が簡単に異国の話をしはじめた。髪の色、目の色が異なること。着るもの、話す言葉、物の考え方が異なること。面白おかしく話して聞かせる。
甘味をたっぷり食べ、人肌にあたためられたお茶を飲み、異国に思いを馳せ、ようやく二人の顔に色が戻ってきた。そのうち二人の呼吸も落ち着いてきたことを確認した英次郎が、小さく親分に頷いて見せる。
「喜一、おるか」
「へぇ」
「皿を下げてくれ。うまかったぞ」
部屋に入るなり見事に空になった皿を、喜一が複雑怪奇な顔で見つめる。食べてもらえてうれしい反面、これの粗方が親分の腹へおさまったのかと思うと親分の身体が心配になってくるのである。
「喜一。あとでそれがしが、ちと、素振りに付き合うゆえ」
喜一が英次郎に対して深々と頭を下げて退室していった。
「で、二人に改めて聞きたい。日本橋で何があったのか」
へぇ、と、大工の熊八が頷いた。
「ついさっきのことなんですけどね、あっしら日本橋を渡っていたら、ごおっとすごい風に吹かれやしてね。目を開けていられないほどで。その後、あっしらの前を歩いていた新吉と豆蔵が立て続けに倒れたんで、どうしたのかと思って駆け寄ったら胸に大きな穴があいていて、背中まで破れていたんで……」
「……それは……惨い最期であったな……」
親分が悲しそうな顔をした。のっそりと立ち上がり、文机や棚を漁っている。
「で、誰が新吉と豆蔵の命を奪ったのだ?」
と、英次郎が訪ねる。
「それが……おどろかねぇで下さいよ。化けものの鳥なんで……」
と、棒手振りの五郎蔵が身を乗り出した。
「鳥? 鳥とは、空を飛ぶあれか?」
「お侍、それ以外に鳥がいるかってんだ!」
「す、すまぬ……」
「両方の翼を広げたら、日本橋がいっぱいになるくらいに大きい鳥ですぜ。なあ、熊よ、変な鳥だったよな」
「ああ。しかも赤いくちばしが異常に尖っていて……あれでぐさりと……」
五郎蔵の体が震えて涙が落ちた。
「ひと二人が……一瞬で事切れたって具合でさ。ありゃ逃げようったって無理、助からねぇ……」
「五郎蔵、俺たちよく無事だったよな」
「ああ……」
その時の様子を思い出したのか、五郎蔵も熊八も黙りこくってしまった。部屋に沈黙が落ちる。続きを促そうとする英次郎を押し留め、太一郎は二人の前に新たなお茶を置いた。二人がそれを手にし、五郎蔵が茶を一気に飲んで話を続ける。
「それだけじゃねぇんで……。その化け鳥は、二人の死体をまとめて掴んで、持ち去ったんで……」
え? と、英次郎も太一郎も動きを止めて五郎蔵をみた。
「ご両人、鳥が、二人をどこぞへはこんだというのか?」
「へぇ、親分、その通りで」
そんな話は今まで聞いたことがない。