「次のチャレンジは?」
「膝枕」
「……ここで?」
「ううん、公園に行こう。人が少ないところで」
ゲームセンターを出て、近くの公園に向かう。手をつなぎながら歩く道のりも、もうすっかり自然になっていた。
「今日は本当にいい天気だね」
「そうだな。膝枕日和?」
「そんな言葉あるの?」
「今、作った」
しおりが笑って、俺の手をぎゅっと握る。こういう他愛のないやりとりが、俺たちらしくて好きだった。
公園に着くと、芝生の上にベンチがぽつぽつと置かれていた。土曜日の昼下がりということもあって、それほど人も多くない。
「あそこのベンチなんてどう?」
「いいね」
木陰になったベンチに座り、俺たちは周りを見回した。近くで犬の散歩をしている人がいるくらいで、比較的静かだった。
「じゃあ……膝枕チャレンジ、やってみる?」
しおりは照れながら言った。俺も同じように照れていた。人前で膝枕なんて、やっぱり恥ずかしい。
「お前の膝に、俺が?」
「うん。だめかな?」
「だめじゃないけど……重くない?」
「大丈夫。やってみよう」
しおりがベンチに座り直して、膝の上に手を置いた。俺は恐る恐る、彼女の膝に頭を預けてみる。
「どう?」
「……悪くない」
実際、しおりの膝は柔らかくて、思ったより心地よかった。空を見上げると、雲がゆっくりと流れている。
「恥ずかしい?」
「ちょっと。でも、気持ちいい」
しおりが俺の髪をそっと撫でてくれた。その優しい感触に、俺の緊張も少しずつほぐれていく。
こうして空を見上げながら、何も言わずに時間を過ごす。普段の忙しない日常とは違う、特別な時間だった。
しおりの膝に頭を預けたまま、俺は空をぼんやりと眺めていた。雲がゆっくりと形を変えながら流れていく様子を見ているだけで、なんだか心が落ち着く。
しおりの指が、俺の髪をそっと撫でてくれる。その優しい感触に、だんだん眠くなってきた。
「こういうの、映画とかドラマでよく見るけど、実際にやってみると全然違うね」
「どう違う?」
「思ってたより……なんていうか、安心する感じ」
しおりの声が、少し照れているように聞こえた。俺も同じ気持ちだった。膝枕なんて、やる前は「恥ずかしいだけなんじゃないか」と思っていたけれど、実際にやってみると、想像以上に心地よかった。
「あの雲、動物みたいに見えない?」
しおりが指差した方向を見ると、確かにうさぎのような形の雲があった。
「本当だ。耳が長いうさぎみたい」
「でしょ? あっちの雲は……象かな」
「象? どこが?」
「ほら、鼻の部分」
しおりの指示に従って雲を見ていると、言われてみれば象の横顔のようにも見える。こんな風にのんびりと雲を眺めるなんて、子供の頃以来だった。
「昔さ、よく一人で空見てたの」
「一人で?」
「うん。家の屋上とか、公園のベンチとか。ぼーっと雲を見てると、時間を忘れちゃうんだよね」
しおりの手が、俺の髪をゆっくりと梳いている。その規則的な動きが、とても心地よい。
「何考えてたの?」
「いろんなこと。将来のこととか、今日あった出来事とか……でも、一番多かったのは『誰かと一緒にこうやって空を見られたらいいな』って思ってたこと」
その言葉に、俺の胸がきゅっとなった。
「今、その願いが叶ってるってこと?」
「うん。しかも、大好きな人と一緒に」
しおりの素直な言葉に、俺は返事ができなくなった。嬉しくて、恥ずかしくて、胸がいっぱいになってしまった。
「ヒロくんは、一人でいる時間、何してる?」
「読書とか……あと、最近はお前のこと考えてることが多い」
「あたしのこと?」
「ああ。今度のデートはどこに行こうかとか、お前が何考えてるのかとか」
上を向いたまま話していると、いつもより素直に気持ちを伝えられる気がした。
「あたしも同じ。ヒロくんのこと考えてる時間がすごく多くなった」
「そうなの?」
「うん。朝起きた時から夜寝る時まで、ずっとどこかでヒロくんのことを考えてる」
しおりの指が、俺の額にそっと触れた。
「今みたいに近くにいると、ドキドキが止まらない」
「俺も同じだ」
風が吹いて、木の葉がさらさらと音を立てた。その音に混じって、しおりの小さなため息が聞こえる。
「ねえ、このまま時間が止まったらいいのにって思わない?」
「思う。ずっとこうしていたい」
「でも、そしたらお腹すいちゃうよね」
「確かに」
俺たちは同時に笑った。そんな他愛のない会話すら、今はとても特別に感じられる。
「ヒロくん、あたしの膝、どう? 硬くない?」
「全然。すごく柔らかくて、気持ちいい」
「よかった。実は、ちょっと心配だったの」
「何を?」
「膝枕って、される方は気持ちいいかもしれないけど、する方は大変なのかなって」
「大変?」
「足しびれちゃったりしないかなとか、退屈じゃないかなとか」
しおりの心配は杞憂だった。彼女の表情を見上げると、とても穏やかで幸せそうな顔をしている。
「全然大変じゃないよ。むしろ、ヒロくんがリラックスしてるのを見てると、あたしも嬉しくなる」
「そうなの?」
「うん。普段のヒロくんって、どこか緊張してることが多いから」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。学校でも、デートの時でも、どこか「ちゃんとしなきゃ」という気持ちがあった。
「でも今は、すごくリラックスして見える。そういうヒロくんを見てると、あたしまで安心する」
しおりの優しい言葉に、俺はさらにリラックスできた。彼女といると、本当に自然体でいられる。
「ヒロくん、子供の頃はどんな子だった?」
「普通だったと思う。特別活発でもなかったし、大人しくもなかった」
「友達多かった?」
「そこそこかな。でも、一人でいるのも嫌いじゃなかった」
膝枕をされながら話していると、なんだか告白をしているような気分になった。普段は話さないような昔の話も、自然に出てくる。
「しおりは?」
「あたしは結構活発だったかも。友達と遊ぶのが大好きで、いつもわいわいしてた」
「今と変わらないな」
「そうかな? でも、最近は一人の時間も好きになった」
「どうして?」
「ヒロくんのこと考える時間が欲しいから」
その言葉に、俺の心臓が跳ねた。膝枕をされているせいで顔が見えないのが、かえって恥ずかしさを増幅させる。
「俺のことを?」
「うん。今日みたいなデートのこと考えたり、学校での出来事を振り返ったり」
しおりの素直な言葉に、俺も自分の気持ちを伝えたくなった。
「俺も、お前のこと考えてること多いよ」
「ほんと?」
「ああ。特に、今日みたいに一緒にいる時間が増えて、もっと知りたいことが増え再試行日続ける編集「俺も、お前のこと考えてること多いよ」
「ほんと?」
「ああ。特に、今日みたいに一緒にいる時間が増えて、もっと知りたいことが増えた」
「どんなこと?」
「お前の好きなこととか、考えてることとか……あと、俺といる時どんな気持ちなのかとか」
膝枕のまま話していると、いつもより素直に言葉が出てくる。きっと、お互いの顔がはっきり見えないからかもしれない。
「ヒロくんといると、すごく安心する」
「安心?」
「うん。変に格好つけなくてもいいっていうか、ありのままでいられる感じ」
しおりの指が、また俺の髪を優しく撫でてくれた。
「俺も同じだ。お前といると、自然体でいられる」
「嬉しい」
しばらく無言で、雲の流れを眺めていた。時々、しおりが小さくため息をついたり、俺の髪を整えてくれたりする。そんな些細な仕草一つ一つが、今はとても愛おしく感じられた。
「ねえ、ヒロくん」
「ん?」
「こういう時間って、贅沢だよね」
「贅沢?」
「何もしないで、ただ一緒にいるだけの時間。でも、すごく満たされた気分になる」
確かに、その通りだった。特別なことは何もしていないのに、心がとても満たされている。
「恋人になるって、こういうことなのかな」
しおりのつぶやきに、俺も考えさせられた。確かに、友達とは違う特別な関係。それが恋人ということなのかもしれない。
「まだよく分からないけど、悪くないな」
「うん、悪くない。むしろ、すごくいい」
そんな会話をしているうちに、陽が少し傾いてきた。公園にいる人の数も、夕方に向けて少しずつ増えてきている。
「そろそろ移動する?」
「もうちょっと、このままでいたい」
俺の正直な気持ちに、しおりは小さく笑った。
「じゃあ、あと十分だけ」
「ありがとう」
その十分間も、俺たちは特に何を話すわけでもなく、ただ一緒にいる時間を楽しんだ。風が吹くたび、しおりの髪が俺の顔にかかり、彼女のシャンプーの匂いがした。
「そろそろ次に行こうか」
「そうだな」
俺はゆっくりと起き上がり、しおりの隣に座り直した。膝枕から解放された彼女は、足を伸ばして「ふー」と息をついた。
「大丈夫だった? 重くなかった?」
「全然。むしろ、ヒロくんが気持ちよさそうにしてるのを見てるのが幸せだった」
その言葉に、また顔が熱くなった。
「次のチャレンジは?」
しおりはメモ帳を確認した。
「神社にお参り。二人でお願い事をするの」
「お参りか。なんか、いいな」
「でしょ? カップルで神社にお参りするって、ちょっと憧れてたの」
公園から歩いて十分ほどのところに、小さな神社があることを俺は知っていた。そこまで歩いていくことにしよう。
「手、つなぐ?」
「もちろん」
もう迷うことなく、俺たちは手をつないだ。膝枕で心の距離が縮まったせいか、手をつなぐことがさらに自然に感じられた。
住宅街の奥にひっそりと佇む小さな神社は、夕方の静寂に包まれていた。石の鳥居をくぐって境内に入ると、数人の参拝客が静かに手を合わせている。
「こじんまりとした、いい神社だね」
「前から一度来てみたかったんだ」
手水舎で手と口を清めてから、俺たちは拝殿の前に立った。賽銭箱にお金を入れて、二礼二拍手一礼の作法に従ってお参りをする。
目を閉じて手を合わせながら、俺は何をお願いしようか考えた。
――今日みたいな時間が、これからもたくさん過ごせますように。
隣でしおりも同じように手を合わせている。彼女は何をお願いしているんだろう。
お参りを終えて振り返ると、しおりが俺を見て微笑んだ。
「何お願いした?」
「それは秘密。お前は?」
「あたしも秘密」
でも、きっと俺たちは似たようなことをお願いしたに違いない。そんな確信があった。
「おみくじ引いてみない?」
「いいね」
境内の隅にあるおみくじを引いてみることにした。俺は中吉、しおりは小吉だった。
「恋愛運は……」
しおりが自分のおみくじを読み上げる。
「『相手を思いやる気持ちが大切。小さな親切が大きな幸せを運ぶ』だって」
「いいこと書いてあるじゃん」
「ヒロくんのは?」
俺のおみくじの恋愛運の欄を見ると、「『自然体でいることが一番。無理をせず、素直な気持ちで接すること』って書いてある」
「なんか、今日にぴったりだね」
「そうだな」
おみくじを境内の決められた場所に結んで、俺たちは神社を後にした。
「次は最後のチャレンジだね」
「最後?」
しおりがメモ帳を確認すると、確かに最後の項目が残っていた。
「お別れの時のハグ」
「ああ……」
一日中いろんなチャレンジをしてきたが、最後はハグで締めくくるらしい。考えてみれば、俺たちはまだちゃんとハグをしたことがなかった。
「でも、その前にもう少し一緒にいない? まだ帰りたくない」
しおりの提案に、俺も同感だった。せっかくの特別な日が終わってしまうのは寂しい。
「どこか寄り道する?」
「うん。ちょっと歩きながら話そう」
神社から駅に向かう道は、商店街を通っている。夕方の商店街は、仕事帰りの人たちで少し賑わっていた。
「今日はどうだった?」
「すごく楽しかった。恋人らしいことって、思ってたより自然にできるもんなんだな」
「でしょ? 最初は恥ずかしかったけど、だんだん慣れてきた」
確かに、朝の手つなぎチャレンジから始まって、今ではもう当たり前のように手をつないで歩いている。
「プリクラも意外と楽しかったし」
「ヒロくん、最初すごく緊張してたよね」
「そりゃそうだろ。初めてだったんだから」
「でも、だんだん笑顔になってきて可愛かった」
そんな話をしながら歩いていると、小さな花屋さんの前を通りかかった。店先には色とりどりの花が並んでいて、甘い香りが漂っている。
「きれい」
しおりが足を止めて、花を眺めている。特にガーベラの花束に見入っていた。
「好きなの?」
「うん。ガーベラって、明るくて元気になる花だと思う」
「色も鮮やかだしな」
花屋のおじさんが、俺たちに気づいて話しかけてきた。
「お嬢さん、ガーベラがお好みですか?」
「はい、とても可愛いと思います」
「それなら一本いかがですか? お安くしますよ」
おじさんは商売上手だった。でも、しおりの嬉しそうな表情を見ていると、買ってあげたくなる。
「一本もらえますか?」
「ありがとうございます。色はどちらがお好みですか?」
俺はしおりを見た。彼女は少し照れながら、「ピンクがいいな」と小さく言った。
「ピンクを一本お願いします」
「かしこまりました」
おじさんが丁寧に包装してくれたガーベラを受け取り、俺はしおりに渡した。
「はい」
「ありがとう。嬉しい」
しおりは花を大切そうに抱えて、心底嬉しそうな表情を浮かべた。こんなに喜んでもらえるなら、もっと早く買ってあげればよかった。
「今日のお礼」
「お礼だなんて……こちらこそ、楽しい一日をありがとう」
花屋を後にして、俺たちは再び駅に向かって歩き始めた。しおりは時々花の匂いを嗅いで、嬉しそうにしている。
「ねえ、ヒロくん」
「ん?」
「今度は、ヒロくんがやりたいことをしない?」
「俺がやりたいこと?」
「うん。今日はあたしのわがままに付き合ってもらったから、次はヒロくんの番」
言われてみれば、今日は全部しおりの提案したチャレンジだった。俺がやりたいこと、か。
「特に思いつかないな」
「そんなことないでしょ。何か、これをしおりとやってみたいっていうのがあるはず」
考えてみると、確かにある。でも、それを口に出すのは少し恥ずかしかった。
「……一緒に本屋に行って、お互いにおすすめの本を選び合うとか」
「それも楽しそう」
そんな話をしているうちに、駅が見えてきた。楽しい時間は終わりに近づいている。
駅前の広場で、俺としおりは向かい合って立っていた。一日中手をつないで歩いてきた俺たちも、ここでお別れの時間がやってきた。
「今日は本当に楽しかった」
「俺も。こんなに充実した一日は久しぶりだった」
しおりは大切そうにガーベラの花を持ちながら、俺を見つめている。夕方の光が彼女の顔を柔らかく照らしていて、いつもより大人っぽく見えた。
「恋人チャレンジデー、大成功だったね」
「ああ。思ってたより、どれも自然にできた」
「手つなぎも、プリクラも、膝枕も……全部初めてだったけど、ヒロくんと一緒だったから楽しかった」
しおりの言葉に、俺の胸も温かくなった。確かに、一人では絶対にやらないようなことばかりだったが、彼女と一緒だと特別な体験になった。
「最後のチャレンジ、まだ残ってるよね」
「ああ……ハグ」
正直、人通りの多い駅前でハグをするのは恥ずかしかった。でも、一日の締めくくりとして、やっぱりやっておきたい気持ちもあった。
「ちょっと人目が気になるかな」
「そうだね……」
俺たちは周りを見回した。確かに、駅前は人が多くて、ハグをするには少し勇気が必要だった。
「あそこはどう?」
しおりが指差したのは、駅前の植え込みの陰になった場所だった。完全に人目につかないわけではないが、少しだけ目立たない場所だった。
「いいかもな」
二人でその場所に移動する。心臓がドキドキして、手のひらに汗をかいてしまった。
「じゃあ……」
「ああ……」
俺たちは恐る恐る、お互いに腕を広げた。最初はぎこちなかったが、だんだん自然に抱きしめ合う形になった。
しおりの柔らかい体が俺の胸に触れて、彼女の髪の匂いが鼻をくすぐる。この距離の近さに、また心臓が跳ねた。
「あったかい」
しおりの小さなつぶやきが、俺の胸元に響く。
「お前もな」
数秒間のハグだったが、とても長く感じられた。お互いの温もりを感じながら、今日一日の余韻に浸る。
ゆっくりと離れる時、しおりの頬がほんのり赤くなっているのが見えた。
「これで、全部のチャレンジ完了だね」
「そうだな」
「どれも、思ってたより恥ずかしくなかった」
「ほんとに?」
「うん。ヒロくんと一緒だったから」
その言葉が、俺にはとても嬉しかった。確かに、今日のチャレンジは全部成功だったと思う。
「また来週も、何かやる?」
「もちろん。今度はヒロくんがやりたいことを中心に」
「楽しみにしてる」
改札の向こうから、電車のアナウンスが聞こえてきた。本当にお別れの時間だった。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
最後にもう一度、軽く手を握り合ってから、俺たちはそれぞれの電車に向かった。
電車の中で、俺は今日一日を振り返っていた。朝の緊張した手つなぎから始まって、カフェでの会話、プリクラ撮影、膝枕、神社でのお参り、そして最後のハグ。
どれも小さなことだったけれど、すべてが俺たちにとって大切な「初めて」だった。
家に帰る道すがら、俺は今日という日の特別さを噛みしめていた。恋人らしいことって、特別なことじゃなくて、一緒にいる人との距離を縮める小さな行動の積み重ねなのかもしれない。
財布の中に入れたプリクラシールが、今日の思い出を静かに物語っていた。来週はどんなチャレンジが待っているんだろう。考えるだけで、また楽しみになってきた。
これからも、俺たちは少しずつ、恋人らしいことを覚えていくんだろう。一つずつ、大切に。