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第73話 恋人チャレンジデー①

 俺と水原しおりが正式に付き合い始めてから、約一ヶ月が過ぎていた。


 俺たちの関係は確実に前に進んでいる。でも、まだまだぎこちない部分も多くて、時々「恋人らしいことって、どんなことなんだろう」と考えてしまう。


 金曜日の放課後。いつものように一緒に帰る道すがら、しおりがふと立ち止まった。


「ねえ、ヒロくん」


「ん?」


「あたしたち、付き合ってるけどまだ恋人らしいことって、あんまりしてないよね」


 その言葉に、俺はちょっと戸惑った。確かに、手をつなぐのもまだ慣れないし、二人でいる時間も学校の行き帰りが多かった。


「恋人らしいことって、たとえば?」


「うーん……テレビとか映画で見るカップルがしてることかな。プリクラ撮ったり、膝枕したり、ずっと手をつないで歩いたり」


 しおりは少し照れながら指を数えた。


「なんか、そういうの一度はやってみたくない? 恋人の特権っていうか……」


「別に、無理してやることでもないんじゃないか?」


「そうかもしれないけど……でも、ちょっと気になるの。あたしたち、どこまで恋人らしくなれるのかなって」


 しおりの素直な言葉に、俺も興味を持ち始めた。確かに、普通のカップルがすることを一通り体験してみるのも悪くない。


「じゃあ、今度の休日にでもやってみるか?」


「ほんと?」


「ああ。やりたいことリストアップしてくれれば、それに付き合うよ」


 しおりの顔がぱっと明るくなった。


「やった! じゃあ、『恋人チャレンジデー』にしよう」


「恋人チャレンジデー?」


「うん。一日かけて、恋人らしいことを一つずつチャレンジしてみるの」


 なんだか大げさな名前だが、しおりの嬉しそうな表情を見ていると、断る理由もなかった。


「分かった。じゃあ、明日計画立てよう」


「うん! すっごく楽しみ」


 その夜、俺はベッドの上で天井を見つめながら考えていた。恋人らしいこと、か。正直、まだよく分からない部分も多いけれど、しおりと一緒なら きっと楽しい一日になるだろう。


 スマホが震えて、しおりからメッセージが届いた。


『今日はありがとう。明日のチャレンジリスト考えてる♪』


 俺も返信する。


『俺も楽しみにしてる。でも、無理はしなくていいからな』


『大丈夫! ヒロくんと一緒なら何でもできる気がする』


 そのメッセージを読んで、俺も少し勇気が湧いてきた。明日はどんな一日になるんだろう。


 土曜日の朝。俺は約束の時間より十分早く駅に着いていた。今日のしおりは、どんなチャレンジを用意してくるんだろう。考えるだけで、緊張と期待が入り混じった気持ちになる。


「ヒロくーん!」


 振り返ると、白いブラウスに薄いピンクのスカートを着たしおりが手を振りながら駆け寄ってくる。今日の彼女は、いつもより少し気合が入った服装をしている気がした。


「おはよう。今日はよろしくお願いします」


 そう言って、しおりは丁寧にお辞儀をした。


「そんなかしこまらなくても……」


「だって、今日は特別な日だもん。『恋人チャレンジデー』だよ」


 改めて聞くと、やっぱり恥ずかしい名前だった。でも、しおりの真剣さが伝わってきて、俺も気を引き締めることにした。


「で、今日はどんなチャレンジを?」


「えっとね……」


 しおりは小さなメモ帳を取り出した。几帳面に書かれたリストには、「手つなぎ」「お互いの好きなもの話」「プリクラ」「膝枕」「お参り」「ハグ」と項目が並んでいる。


「こんな感じでどうかな?」


「……膝枕?」


「だ、だめ?」


「いや、だめじゃないけど……」


 正直、人前で膝枕は恥ずかしい。でも、しおりがここまで考えてくれたなら、頑張ってみようと思った。


「分かった。全部やってみよう」


「ほんと? やった!」


 しおりは嬉しそうにメモ帳をしまった。


「じゃあ、まずは第一のチャレンジから始めよう」


「第一のチャレンジ?」


「手つなぎ。今日は最初から最後まで、ちゃんと手をつないで歩いてみる」


 言われてみれば、俺たちはまだ自然に手をつなぐことができていない。いつも恥ずかしくて、気がつくと離してしまっている。


「やってみよう」


 俺は勇気を出して、しおりに手を差し出した。彼女も少し照れながら、俺の手を握り返す。


「……あったかい」


「お前もな」


 そうして、俺たちの「恋人チャレンジデー」が始まった。


 手をつないで駅の改札を抜ける時、俺は周りの視線が気になって仕方なかった。別に誰も俺たちを見ているわけではないのに、やけに意識してしまう。


「緊張してる?」


 しおりが俺の顔を覗き込んできた。


「ちょっとな。まだ慣れない」


「あたしも。でも、だんだん慣れるよ、きっと」


 電車の中でも、俺たちは手をつないだままだった。座席に並んで座り、つないだ手を膝の上に置く。こうしていると、確かに恋人らしい感じがする。


「ねえ、今度はどこ行く?」


「まずはカフェかな。ゆっくり話せるところがいい」


「うん、いいね」


 電車が揺れるたび、つないだ手にほんの少し力が入る。最初は意識的だったが、だんだん自然になってきた。


 目的の駅に着いて電車を降りる時、俺たちは手を離そうとして、でも離さずにそのまま歩き続けた。


「あ、手離さなかった」


「そうだな」


 しおりが嬉しそうに笑う。確かに、さっきまでは電車を降りる時に自然と手を離していたのに、今回は意識せずにつないだままでいられた。


「進歩してる?」


「してると思う」


 駅から歩いて五分ほどのところにある、こじんまりとしたカフェに向かう。土曜日の午前中ということもあって、街には穏やかな空気が流れていた。


「あ、あそこのお店可愛い」


 しおりが指差した雑貨屋の前で、俺たちは少し立ち止まった。ショーウィンドウに並ぶ小物たちを眺めながら、何気ない会話をする。


「今度、あそこも覗いてみたいね」


「いいな。お前の好みがもっと分かりそうだ」


「ヒロくんは、あたしの好みどう思う?」


「可愛いものが好きで、色は淡い色を選ぶことが多い。あと、実用性より見た目重視」


「えー、そんなにバレバレ?」


「お前の持ち物見てたら分かるよ」


 しおりは少し恥ずかしそうに笑った。


 そんな風に話しながら歩いていると、手をつないでいることが当たり前のように感じられてきた。これが慣れるということなんだろう。


「着いた」


 目当てのカフェは、アンティーク調の内装で落ち着いた雰囲気だった。窓際の二人掛けテーブルに案内されて、俺たちはようやく手を離した。


「お疲れさま、手つなぎチャレンジ」


「お疲れさま」


 互いに手を見つめて、小さく笑い合う。


「どうだった?」


「思ったより、すぐ慣れた」


「でしょ? 最初はドキドキしたけど、だんだん自然になったよね」


 確かに、最初の緊張が嘘のように、最後の方は普通に手をつないで歩けていた。


「次のチャレンジは?」


「お互いの好きなものについて話すこと。恋人同士なら、相手の好みをもっと知ってるべきでしょ?」


「なるほど」


 メニューを見ながら、俺は少し考えた。確かに、まだしおりについて知らないことはたくさんある。今日はそれを聞く良い機会かもしれない。


「じゃあ、注文してからゆっくり話そう」


「うん。何頼む?」


「俺はブレンドコーヒーで。お前は?」


「カフェラテにしようかな。あ、ケーキセットにする?」


「いいね。シェアしよう」


 注文を済ませて、俺たちは向かい合って座った。手をつないでいない今、少し距離を感じるのが不思議だった。


「じゃあ、まずは好きな食べ物から聞かせて」


「えーっと、甘いものが好きなのは知ってるでしょ?」


「ああ。他には?」


「意外かもしれないけど、辛いものも好きなの。激辛料理とか、けっこう平気」


「え、そうなの?」


 これは意外だった。しおりの見た目からは想像できない。


「今度一緒に韓国料理食べに行こうよ」


「いいな、それ」


 運ばれてきたコーヒーとケーキを前に、俺たちの「好きなもの」について語る時間が始まった。普段は話さないような小さなことまで、今日は特別に話してみることにした。


 イチゴショートケーキを半分ずつに分けて、俺たちは向かい合って座った。カフェの中は適度に静かで、ゆっくり話をするのにちょうどいい雰囲気だった。


「じゃあ改めて、好きなもの聞かせ合いっこしよう」


 しおりはコーヒーカップを両手で包みながら言った。


「何から話す?」


「うーん、好きな音楽とか?」


「音楽か……俺、そんなに詳しくないけど」


「大丈夫。詳しくなくても、何となく好きな感じとかあるでしょ?」


 確かに、特別音楽に詳しいわけではないが、好みはある。


「ロックとかポップスかな。激しすぎないやつ」


「へえ、どんなアーティスト?」


「えーっと……」


 具体的な名前を挙げようとして、俺は困った。普段はなんとなく聞いているだけで、アーティスト名までちゃんと覚えていない。


「あー、俺って意外と音楽のこと知らないかも」


「ふふ、可愛い。じゃあ今度一緒に好きな曲探そ」


「それはいいな」


 しおりの提案に、俺は素直に嬉しくなった。一緒に音楽を探すなんて、確かに恋人らしいことかもしれない。


「しおりは?」


「あたしはJ-POPが好き。特に恋愛の歌」


「やっぱりって感じだな」


「やっぱりって何さ」


 しおりは少し頬を膨らませて抗議した。


「いや、お前らしいなって思っただけ」


「もう、ひどい」


 でも彼女は笑っていた。こういう他愛のないやりとりが、なんだか自然で心地よい。


「じゃあ、好きな本とか?」


「本……あたし、そんなに読まないかも」


「そうなの?」


「雑誌は読むけど、小説とかはたまにしか。ヒロくんは読書家だよね」


「まあ、好きな方かな」


「どんな本読むの?」


「ミステリーが多いかな。推理小説とか」


「へえ、難しそう」


「慣れれば面白いよ。犯人を推理しながら読むのが楽しい」


「今度、初心者でも読みやすいのおすすめして」


「いいよ。お前が読めそうなやつ選んでみる」


 そんな風に話していると、時間があっという間に過ぎていった。好きな色、好きな季節、好きな食べ物、子供の頃の思い出……普段は話さないような小さなことも、今日は特別に話してみた。


「意外と知らないことばっかりだったね」


「そうだな。まだまだお互いのこと、分からないことだらけだ」


「でも、それって楽しいかも。これから少しずつ知っていけるんだもん」


 しおりの前向きな言葉に、俺も同じ気持ちになった。確かに、相手のことを知っていく過程も、恋愛の楽しみの一つなのかもしれない。


「そろそろ次のチャレンジに行く?」


「そうだね。次は……プリクラ」


「プリクラか」


 正直、プリクラは俺にとって未知の領域だった。でも、しおりが楽しみにしているなら、頑張ってみよう。


「大丈夫? 嫌だったら……」


「嫌じゃない。ただ、うまくできるかどうか」


「大丈夫、あたしが教えてあげる」


 カフェを出て、再び手をつなぐ。今度は最初からスムーズに手を重ねることができた。


「やっぱり、手つなぎは成功だったね」


「ああ。もう慣れた」


 確かに、もう手をつなぐことに特別な緊張は感じなくなっていた。これも一つの成長だろう。


 ゲームセンターに向かう道すがら、俺はプリクラについて少し不安になっていた。でも、しおりと一緒なら、きっと楽しい思い出になるはずだ。


 ゲームセンターの一角にあるプリクラコーナーは、色とりどりの機械が並んでいて、女子高生のグループが楽しそうに撮影している。俺は明らかに場違いな感じがして、少し腰が引けてしまった。


「大丈夫?」


 しおりが俺の表情を見て心配そうに声をかけてきた。


「ああ、ちょっと緊張してるだけ」


「あたしも実は緊張してる。男の子と一緒にプリクラ撮るの、初めてだから」


 その言葉を聞いて、俺は少し安心した。しおりも初めてなら、お互い様だ。


「どの機械にする?」


「えーっと……」


 しおりは機械の前を歩きながら、サンプル写真を確認している。どれも似たように見える俺には、違いがよく分からなかった。


「これなんてどう? 背景が可愛いし、美肌効果もあるって」


「美肌効果?」


「うん、肌がきれいに映るの。男の子にもいいと思う」


「お前に任せる」


 お金を入れて、いよいよ撮影開始。狭いボックスの中で、俺たちは並んで立った。


「えーっと、まずは普通に並んで撮ろう」


 しおりの指示に従って、俺は彼女の隣に立つ。カメラの位置を確認して、姿勢を正す。


「はい、チーズ!」


 パシャッという音と共に、フラッシュが光った。


「次は……ちょっとポーズつけてみない?」


「ポーズ?」


「えーっと、Vサインとか?」


 言われるままに、俺は照れながらVサインをした。しおりも同じようにVサインをして、今度は笑顔で撮影。


「今度は……」


 何枚か撮影しているうちに、だんだん緊張がほぐれてきた。しおりの楽しそうな表情を見ていると、俺も自然に笑顔になれる。


「最後は、ちょっと近づいて撮ろう」


「近づいて?」


「こんな感じ」


 しおりは俺の腕に軽く寄りかかってきた。急に距離が縮まって、心臓がドキドキする。


「これでいい?」


「ああ……」


 最後の一枚は、二人が寄り添った形で撮影された。終了音が鳴って、俺たちはボックスから出た。


「次は落書きタイム」


「落書き?」


「写真に文字とかスタンプとか入れるの」


 隣の編集スペースに移動して、さっき撮った写真がモニターに表示された。


「うわ、俺の顔……」


「可愛く映ってるよ。ほら、美肌効果」


 確かに、普通に写真を撮った時より肌がきれいに見える。プリクラの技術はすごいものだ。


「何か文字入れる?」


「えーっと……日付とか?」


「いいね。『恋人チャレンジデー』って入れよう」


 しおりが器用にタッチペンを使って文字を書いていく。俺も見よう見まねで、小さなハートのスタンプを押してみた。


「上手じゃん」


「これくらいなら」


 編集作業も、しおりと一緒だと楽しかった。二人で画面を覗き込みながら、あれこれ相談する時間が、なんだか特別に感じられる。


「完成!」


 数分後、プリクラが印刷されて出てきた。シールになった写真を見て、俺は少し照れてしまった。


「記念すべき初プリクラ」


「そうだな」


「半分こしよう」


 しおりがプリクラシールを器用に半分に分けて、俺に渡してくれた。


「ありがとう」


「こちらこそ。楽しかった」


 財布にプリクラシールをしまいながら、俺は今日という日の特別さを実感していた。こんな小さなことでも、しおりと一緒だと大切な思い出になる。


「次のチャレンジは?」


「膝枕」

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