腕を掴んで無言で歩く憂炎の横顔を窺いつつ、暁玲は頭の中で問われるだろう質問に対しての上手い言い訳を考えてみたが、どれも逆に怒らせてしまいそうな予感しかしなかった。
(ここは正直に話す方が吉でしょうか。憂炎さんなら力になってくれるのでは?)
はじめて自分を友として認めてくれたひとに嘘などつけないし、この女装も理由があってのことだと知れば理解してくれる気がする!
(訊かれたことには嘘偽りなく答える! もうこれしかありません!)
よし、と今度は大きく頷いて暁玲が憂炎に声をかけようとしたその時、
「ひゃっ⁉」
思わず小さな悲鳴を上げてしまう。それは突然のことだったので完全に油断していた。掴まれていた腕をぐいと強く前に引かれ、躓きそうになったのも束の間、視界が影に覆われた。
びっくりして思わず反射的に瞼を閉じ、そろりそろりと片目を薄っすらと開けてみれば、憂炎がいつの間にか正面に立っており、暁玲はといえば壁を背にしていた。
「······なんであんたがここにいる?」
ただでさえ灯りの少ない場所で、両腕で壁を作られて右にも左にも逃げられそうにない状態だというのに、憂炎の「わかりやすく怒ってます」という表情を至近距離で見せられては、さすがの暁玲でも動揺してしまう。
(や、やっぱり怒ってます、よね? あれ? でもその言い方だと、この格好についてどうのこうのというよりは、なぜ私がここにいるのかを知りたいということ、でしょうか? 彼も華衛府からの要請でここに派遣されたのだとしたら、本来の目的を隠す必要はない、で正解です?)
じっと怪訝そうに見下ろしてくる碧い眼光に対して『蛇に睨まれた蛙』状態の暁玲だったが、途中からだんだんと首が右に傾いでいく。憂炎は自分の質問に答えるどころか、首を傾げてなにか別のことを考え始めた暁玲に目を細める。
(仮にここにいる理由が華衛府からの依頼だとして、暁玲が話せないほどのなにか事情があるのか? あの反応からして、皇子の魂魄が無いことに気付いていたのだろう。俺たちが来る前からいたのだとしたら、すでに策を講じていた可能性もある。だとしても、無謀すぎる)
暁玲がどんなに優れた道士だとしても、この広い王宮の中から皇子の魂魄を捜し出すのは容易ではないだろう。それは自分たちも同じだ。人数が増えたといってもたった三人。ただでさえ他言無用の極秘任務。表立って動けないこともあり、軽率に行動すれば疑われこちらの身も危うくなる。
華衛府はちゃんと暁玲に伝えているのだろうか。失敗すればどんな罰を受けるか。最悪、この件に関わった者たち全員の首が飛ぶかもしれないというのに。
「「あの、」」
お互いに同時に口を開いたため、声が完全に重なってしまった。きょとん、と大きな翡翠の瞳がこちらを見上げてくる。憂炎は憂炎で言いかけた言葉を吞み込む。ひと呼吸おいて、なんだ? と訊ねてみれば、先ほどまで"心ここにあらず"という感じだった暁玲がくすくすと音を立てて笑った。
「憂炎さん、お久しぶりです」
「····ああ、そうだな」
じゃなくて! と、憂炎は心の中で自分自身に突っ込みを入れていた。今は呑気に挨拶をしている場合ではない。そもそもここでふたりきりで密談のようなことをしている場合でもない。ないが、あの場で話すわけにもいかないだろう。女官に扮して王宮外の人間、というか道士が紛れ込んでいるなどと口にすれば暁玲の身がどうなるか。
「来てくださったのが憂炎さんで良かったです。今回は華衛府からの依頼で、皇子様を目覚めさせるために潜入してまして。女官に扮しているのは····まあ、そのいろいろと事情が····あ、趣味とかではないので絶対に笑わないでくださいね?」
「なぜ? よく似合っているが?」
「それはそれで複雑な気持ちなので、聞かなかったことにします····」
憂炎は予想通りの答えにとりあえずは納得する。やはり華衛府が一枚絡んでいたようだ。おそらく、外部の者を使うことで、なにかあった時に王宮側の損害を最小限にしようと考えたのではないだろうか。それとも、暁玲ならどうにかできると思ったか。
いずれにしても本人の口から聞けたので安堵する。わかりきっているのに嘘をつかれたら、と内心気が気ではなかったのだ。
「私がここに来た時には、あの状態になってすでに三日目でした。今日で四日目。もうあまり時間がありません。私の見立てでもあと二日もつかどうか。それ以上は、皇子様が目覚める確率は無いに等しいと考えます」
「ではどうする? そもそも不可解な話だ。魂魄が離れた理由がわからない。皓懍様は昔から霊障に遭われることが多かったと言う。そのような体質の方が安易に行動するとは思えない」
ふたりはお互いの見解を話し始めるが、それを遠目で物陰からこっそり眺めていた夏夕は、途中から呆れ果てていた。
(噓でしょ····なんであの雰囲気からこうなるのよ)
あの堅物っぽい主席道士殿が暁玲を壁ドンして急接近した時のトキメキを、利子をつけて返して欲しい。暁玲も暁玲だ。最初こそ困惑しつつも様子を窺っている感じは、ものすごく夏夕には刺さっていたのに、気付けばなにか余計なことを考え始め、今やふたりで仕事の話をしている状態。
(まあ、そうね。皇子様の件を解決しなければここに集まった全員がまずいことになるわけだし····にしても、このふたり、)
盛大な誤解をしている気がする。しているが、面白いから訂正する気もない夏夕は、にやにやと笑みを浮かべながら背を向け寝所の方へと足を向けた。
(玲玲、いえ暁玲。あの子はこれからも観察のしがいがありそうね)
あの老狐狸の丞相や烏影が推す子と聞いて興味があったが、実際関わってみれば想像の倍以上の面白い子だった。
「さて、この件。ただの事故か、それとも王宮の深淵の中で息を潜めていた"鼠"が、ようやく尻尾を出したか、」
夏夕もまた、この潜入の"本来の目的"に目を光らせる必要性があると確信する。丞相が懸念していたことが起きなければいいのだが····と心の中で祈りつつ、有能な道士殿たちには派手に動いてもらいたい気持ちがあった。そうすることで奴らが焦り、動くのではないかと。
皇子が目覚めれば、少なくともこの事態を招いただろう者たちには都合が悪いはず。それを丞相は狙っているのだろう。この王宮に蔓延る闇を一掃するための機会を与えられたといっても過言ではない。
いずれにせよ、まずはこの件を解決しないことにはなにも始まらない。あとはあのふたりに任せるしかないだろう。
この国の中でも指折りの優れた道士であろう、あのふたりに。