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幕間一③

 吏安の強行により、立憐は食事を摂るようになった。小さく、弱りきっていた胃は段々と食べる量を増やしていった。


 しかし、睡眠だけはうまくいかない。熟睡はほど遠く、眠れたとしてもほとんどの場合、悪夢を見る。


 満砕が刀剣を振り、敵と相対する姿。怒声が響き、殺意が入り乱れる。


 立憐は彼の背に守られて見ている。視界いっぱいに広がった背中から満砕の荒い息遣いを感じる。熱のような体温が気温と混じり合っている。


 敵の攻撃を受け、それでも立ち続ける。血だまりに横たわるまで、満砕は戦い続けた。親友が息を引きとる光景を、立憐は何も手を出せずにただ傍観している。


 死んでしまった。真っ暗な闇の底へと落ちる思いとともに、本当に足元にぽっかりと穴が開く。穴底に落ちていき、手を伸ばしても、掴んでほしい人はもうこの世にいない。


 真実を突きつけられ、立憐は目を覚ます。背中にびっしょりとかいた汗が、全身を急激に冷やす。薄暗い寝室に立憐の吐く荒い息だけが響いている。心臓が急激に冷たくなって、早鐘を打っている。


 そのあと再び寝つけるわけもなく、早朝の儀式の時間がやってくる。


 朝の挨拶と支度のために吏安が入室してきた。寝台の上で縮こまり、青い顔をしている立憐を目に入れる。「ああ、また悪夢を見たのだな」と察した目をする。切なげに眉根を寄せる吏安を、今まで何度見てきただろうか。


 また心配をかけてしまったな、と思いながら、精神的に弱っている立憐にはどうしようもできない。


 定期的に行われる医官による診察でも、心の傷は時間をかけるしかないと言われている。立憐はこの傷が時間ごときで治るとは到底思えなかった。


 目の下に濃い隈ができた。不眠を改善できないまま、季節が二つ過ぎた。つまり、満砕が亡くなってから、約半年の時が過ぎ去ってしまったのだ。


 最期まで巫子を全うして死ぬことを選んだのは立憐だ。だが、心身ともに不安定なまま、よく半年も生き延びたものだ。


 常に引っ張り合った糸の上で生きていると自覚している。その状態で、生にしがみついている自分を笑ってしまう。実際は笑い方を忘れてしまって、自嘲することもできないが。


 いつも満砕に「今日も頑張ったよ」と語りかけながら眠る。二度と目を覚まさなかったとしても頑張ったのだから仕方ない、と言い聞かせる。


 悪夢で飛び起き、視界に入ってくるのはひんやりとした自分しかいない寝室。「まだおまえは頑張りが足りない」と言われている気がした。満砕はそのようなことは言わないから、言っているのは立憐自身だ。


 儀式中に意識を失うことはなかったが、日中、脳が正常に動かないことがたびたび起きた。吏安に声をかけられるまで、何も考えず、何も感じず、何も起きない時間。こうやって巫子は死んでいくのだと感じたときは、薄ら寒さではなく嬉しさに似た感覚を得た。おそらく吏安は苦い顔をするから、決して口には出さない。






「献栄国の宝にご挨拶申しあげます」


 巫子の部屋にて頭を垂れる者がいた。


 この部屋に通されるのは新しい神官か、護衛兵になる者だけだ。以前ここに来たのは、護衛兵を勝ちとった満砕だった。あの再会を果たしたときだ。


 目の前で拱手をする男と、立憐は何度か顔を合わせたことがある。王宮を守護していたときと、報告をくれたとき。


 瓏夏陀。


 献栄国の将軍にして、満砕の養父だ。


「顔を上げてください」


 立憐が声をかけたのに驚いたのは夏陀だった。


 それもそうだろう。満砕の死後、反巫子派の首謀者を断罪した報告を受けた日以来だ。前回訪れたときに、立憐は長椅子から起きあがることもできないほど憔悴していたのだから。


 夏陀が勢いよく声を上げ、顔を上げる。力強い眼差しに、血縁関係はないというのに満砕の目を思いださせた。


「あなたは将軍だったはずです。なぜ護衛兵に志願を?」


 巫子の護衛権を得ることは難関で、誰もが就ける職位ではない。


 満砕がここに来るまでどれほど大変だったか教えてくれた。彼は立憐を心配させないように、おそらく随分と控えめに言ったはずだ。それでも立憐にとっては、過酷以外の何ものでもない経験をしてきたように感じた。


 つらい思いをしてでも護衛兵の立場を勝ちとってくれた満砕に、立憐は感謝を伝えるしかできなかった。


 そうは言っても、平民の満砕がのし上がるのが困難だという話だ。すでに将軍の位を得ている夏陀からすれば、わざわざ巫子の護衛兵になる必要はない。戦場を駆け、手柄を立てる方がずっと名誉であると言えるのではないか。


 その道を断ってでも、夏陀は巫子の護衛兵になる選択をした。


「満砕は、あなたに自分の跡を継ぐことを望んでいませんよ」


 夏陀の決断に、義理の息子の存在は大きい。


 立憐は、満砕と夏陀の最期の会話を覚えている。服の裾に血を吸わせながら聞いていた。


「立憐のことを頼んでもいいか」と、満砕は言った。養父は息子の願いを受けいれた。


 彼らの家族愛を垣間見た。


 だからと言って、夏陀は護衛兵になるまでしなくて良いはずだ。


 将軍の立場で、立憐を守る道を探る方が、今までの功績を投げださずに済む。わざわざ養子と同じ道を辿らなくても、周りも立憐も文句は言わないと言うのに。


「いいえ」


 清々しいほどはっきりと、夏陀は否定する。


「私は息子からあなたを託されました。私の意思で、息子の願いを選びました。息子のせいでもなく、あなたのせいでもなく。すべては私が決断したことです」


 よどみのない口調で、迫力のこもった発言だった。


「あなたのもとで誠心誠意仕えさせていただきたく存じます」


 深々と礼をする夏陀からは威圧を感じた。この決断だけは否定させてなるものかという、強い意志を。


 満砕の頑固さは昔からあったが、成長するにつれて強めさせたのは、この養父の存在が大きいに違いない。立憐はそう思わずにはいられなかった。


 夏陀を拒むつもりはない。彼以上に信じられる人選がないのが正直なところだ。


 満砕が誰よりも信頼を置いていた人物。満砕が信じるならば、立憐が信じない道はない。


「……分かりました。今日から護衛を頼みます」


 最初から、この場に夏陀が来た時点で言うことは決まっていた。


 夏陀は再び拱手をしてみせた。その姿に、やはり満砕の姿が重なった。



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