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第四話

 養父となった経緯から夏陀の性格まで、満砕はよく話題に出した。家族についてもよく聞かされた。だから、立憐は瓏家について色々と知っている。


 愛妻がいて、その間に生まれた実子を溺愛していること。


 養子に迎えいれてくれた満砕を、最初こそどう接していいか迷っていたが、次第に距離を縮めてくれたこと。実子と同じように、息子として不器用ながらも大事に思ってくれていた。


 夏陀の妻の悠都もまた、満砕を実の息子のように愛してくれた。両親が区別なく見守ってくれていたため、義弟の右南も満砕を本当の兄のように慕ってくれた。


 瓏夫婦は一時期なかなか子が生まれないことを気に病んでいたそうだ。満砕が来てから数年後、自然と子宝に恵まれた。「きっとあなたが連れて来てくれたのね」と悠都に言われたのだと、満砕は誇らしそうに語っていた。


 真の親子のように接してくれた日々が、満砕の心をどれほど満たしてくれたか。家族を語る満砕の表情はいつも満ち足りていた。


 こちらが嫉妬を思いだすくらいに。


 満砕が新しい家族について嬉しそうに語るたび、立憐は瓏家がうらやましくて仕方なかった。


 満砕は幼いころに親を亡くした。以来、立憐の家族とともに暮らしていた。間違いなく立憐と満砕の二人は親友であったが、兄弟ではなかった。


 立憐の両親も、満砕を本当の家族のように愛していた。しかし、まだ幼さを残した満砕の中に、実の両親への未練があったのは確かだ。亞侘たちを「新しい両親」と思えるほど、割りきることはできなかった。


 心残りを埋めたのは、瓏家の家族だ。親友の立場以上の関係を欲する立憐としては、悔しささえも思いだせる気がした。


 心の変化があったことを、親友として喜んでみせた。表面上、立憐は「良かったね」と口にしたはずだ。満砕も立憐の心の内に気づいた素振りは見せなかった。


 立憐たちはお互いの心の機微に敏感だったから、もしかしたら満砕は気づいていたのかもしれなかった。わざわざ指摘するほどではないと判断したのか、瓏家との思い出を語る方に夢中だったのか。どちらにしても、満砕は立憐のもやもやとした気持ちに口出ししなかった。


「満砕のお父さん」


 だから、夏陀に声をかけたのは、自分なりのけじめに近い思いがあったからだった。


 護衛兵として、一定の距離を保って背後に付き従っている夏陀。満砕のように常に行動をともにしていた関係とも、公の場以外に関わりを持とうとしなかったかつていた護衛兵とも異なる立ち回りをしていた。


 夏陀は器用に瞳だけを大きくして、立憐の呼びかけに反応した。少しして「何でしょう」と控えめに応答した。


「あなたから見た、満砕について教えてくれませんか?」


「……私より、巫子様の方がお詳しいでしょうに」


 その返しにはてらいもなく「そうですが……」と答える。


「だけど、あなたの目を通した満砕の話を聞いてみたいんです」


 親友として、満砕が家族と認めた者を見極めようとしていた。などと、不遜にも言うつもりはない。誰よりも自分が満砕を理解していた自負は持っているが、そこまで傲慢に物を考えてはいない。――つもりだ。


 満砕が彼らを大事に思っていて、大事にされていた。それは真かと疑ってはいない。彼ら――瓏家から見た満砕を、単純に知りたいと立憐は思ったのだ。


 久しぶりに自分からあふれる「知りたい」という欲求に、わずかな違和感を持つ。


 立憐は夏陀を正面から見つめた。


「……私が話せることであれば」


 そう前置きしてから、夏陀は思い出をさかのぼるように目を閉じた。


 満砕がすでに話した事柄と重複するかもしれない。そう前置きをしてから思い出話を語りだした。


「巫子となったあなたを助けるために、満砕は王都の外壁そばまで来ていました。私はとある任務帰りでその場に居合わせ、兵士にいたぶられる少年と出会いました。……恥ずかしながら、兵士のそういった態度は珍しいものではありません。孤児や浮浪者のような弱者に対して、彼らは厳しい。弱いからこそ強く出られるという、守る側としてはありえない思考を持ち合わせている。私はそういった考えが嫌いです。見かけるたびに罰するようにしていましたが、ほとんどの上官が見過ごされているのが現状でした」


 満砕からは立憐を追いかけてきた、としか聞いていない。幸運にも将軍である夏陀と面識を持てたのだと説明された覚えがある。


 まさか十数年経って、王都にやって来た日のことを聞けるとは。即刻大変な目に合っているではないか、といまさら抱くべきではない、形容しがたい感情が湧きでそうになる。「怒り」も「苛立ち」も、立憐を焦らせるような感情の種はあふれてこなかった。


「また孤児が兵士に目をつけられたのだ。そのときも、いつもと変わらない光景の一つだと思いました。止めるために行動を移すのも、自然の流れです。……けれど、あいつは違った。果敢にも兵士に反撃をする孤児を、私は初めて見ました。あいつには確固たる意志があった。あなたを、巫子となった友を助けたいという、一つの目的のためだけを目指していた。当時の満砕は、その信念だけで動いていた。痛みを感じるはずなのに、痛みそっちのけで前へ前へと進もうとしている。私は……そのとき感じたのが恐怖だったのか、驚愕だったのか、あまり覚えていません。ただ、こいつから目を離したらいけないと、突き動かす何かがあった」


 傷を負っても、何度も兵士に立ち向かう満砕を思い浮かべた。


 村にいたときから大人に対しても物怖じしなかった。あれは生来の性格だ。王都の外壁とは言っても、訓練を受けた兵士となれば、村の平々凡々な大人たちとは異なる。初めて出会ったに近い筋肉隆々の男たちに、満砕は挑み続けたのか。


 何と無謀な、と思いつつ、満砕らしいとも思う。その無鉄砲さを、かつて眩しく見つめていた。思えば、彼の背中をいつも日差しの先にいるように、目を細めて見つめてばかりいた。


「だから、自分の屋敷に連れて帰りました。そのあと、詳しく話を聞くつもりも、親身に身の上を保障してやるつもりもなかった。ほんの少し監視して、信念の正体が分かったなら、故郷なり保護されるべき場所なりへ送り届ける。当時考えていたのはそれくらいで……まさか、養子に迎えいれるとはね」


 予想外だったと夏陀は苦笑した。


 話を聞きながら、その言い訳は苦しいと立憐は思った。夏陀は最初から、満砕に対して何かしらの関心を持っていたように思う。それを「孤児だから」「監視対象だから」とわざと遠のけていたように聞こえた。


 最初から満砕に何かしらを見いだしていた、と言われた方が納得いく。夏陀の語りは彼が気づいていない矛盾が混じっていた。


「妻の悠都が満砕を気に入ったんです。この子は見放してはいけないと、彼女

は一目でそう思ったと言っていました。その気配は私も察していましたから、結局、養子にすることに賛同しました」


 夏陀はあの無骨な見た目で妻を溺愛しているのだと、満砕は心底愉快そうに話してくれた。「すごく妻に甘くて、息子の右南に注意されるくらいなんだよ。右南はまだ七歳を迎えたばかりだっていうのに」と笑う彼が、とても幸せそうに見えた。実際、満砕にとって瓏家で過ごした時間で、心を休ませていたのだろう。


「満砕は真面目に稽古に参加して、朝から晩までの修練を欠かしませんでした。一兵として初めて参戦したときも、長い遠征をこなしたときも、彼は自分の実力で生き残った。……上官として、とても誇らしかったですよ。運の良い平民と侮る者はいたけれど、そんな心ない悪口で不調になるやつじゃなかった。全部を無視して、満砕は一点だけを見ていました。――どこだと思いますか?」


 唐突に尋ねられ、言葉に詰まった。


 答えられなかったからではない。


 うぬぼれと言われても、その視線の先にいたのは、きっと立憐だったに違いなかった。満砕は本当に、立憐のことだけを追い続けてくれていたのだ。


 変わらない立憐の表情からどう捉えたのか、夏陀はふっと微笑んで話を続けた。


「護衛兵の任を勝ちとるとは、当初の私は想像していませんでした。確かに満砕は実力をつけ、功績も立てた。平民の出であることを差し引いても、あいつの才は明らかだった。これは、親の欲目ではないはずです。ええ、本当に。……護衛兵に選ばれたと知ったあいつの喜び様は面白いくらいでしたよ」


 ようやく親友と再会できる。満砕は破顔し、滂沱の涙を流し、泣き笑い状態のまま心が抜けた状態になったと言う。構ってもらえず、不貞腐れた右南に体を揺らされても、反応できないほどに放心していたようだ。


 まだ会ってもいないのに腑抜けてどうするんだ、と夏陀が一喝した。すると、満砕ははっとして正気を取り戻した。頬を膨らませる右南と、まぁまぁと優しく微笑む悠都を見て、顔を真っ赤に染めたらしい。


 その光景を見てみたかった。満砕はこれを自身の恥ずかしい過去と思ったのか、立憐に自身の口からは語ってくれなかった。


 護衛兵になるために頑張ったと言いながら、その長い道中で何を感じていたのか、教えてはくれなかった。戦場で何を見たのかも、手を血で汚したことも、立憐には決して話そうとはしなかった。


 頑張ってくれてありがとう、と感謝を受けいれてもくれなかった。褒めてほしくてここまで来たのではないというのが言い分だった。それでも立憐は満砕が会いに来てくれて、そばにいてくれて、本当に嬉しかったのだ。


 ――そう。『嬉しかった』。


 満砕がいるときは明文化されなかった気持ちが、はっきりと形を作る。とっくのとうに立憐は「嬉しい」という感情を思いだしていたのだ。認識ができていなかっただけで、再会できて、ともに生活ができて、時間を共有できて「嬉しかった」。


 ――まさか、満砕が死んだあとに気づくなんて。


 供物のせいだとは言っても、立憐は自分の馬鹿さ加減をいまさらながら知るはめとなった。眉間の奥がズキズキと痛みを発している。この痛みが、もしかしたら「後悔」かもしれない。


「満砕は私が鍛えた中で最強の兵士に成長しました。多くの戦場も経験してきました。私は家族を死なせたくなかった。だから、死なせないように強くしました。……今は、強くさせたことを後悔しています」


 夏陀は満砕を護衛兵にさせたことが間違いだったと思っているのか。それが養子のただ一つ叶えたかった望みだったとしても。


 行きつく先は、巫子である立憐に向かう。立憐が巫子に選ばれなければ良かった。


 もしくは、満砕が護衛兵になる前に神殿で一人死んでいれば良かった。当時は、満砕に再び会えるとは思っていなかったのだから、早く気力をなくして死に絶えられたはずだ。あと少し、機会が遅ければ。


 今ならいくらでも過去の悔やみができる。どれほど心残りを口にしても、満砕は戻ってこない。戻ってこないと分かっているのに、悔やむことをやめられない。


 立憐と夏陀はこの件において痛みの共有者だった。


「……強くなければ、あのとき僕も吏安も死んでいました」


 話をするにつれて下を向いていた夏陀が顔を上げた。


「僕らは満砕の強さに生かされた。その強さを作ってくれたあなたに、最大の感謝を」


 立憐は多くの拱手を受けてきたが、自分がしたのはこのときが初めてだった。夏陀が息を呑んだのを頭上で聞く。


 夏陀になぐさめるような言葉を吐いたのはなぜか、立憐自身分かっていない。同じ痛みを持つ者同士の傷の舐め合いがしたかったのか。


 ――いや、単に満砕の強さを否定されたくなかったんだ。


 立憐を護るために磨いた力を、満砕の努力のすべてを、間違いだったと片づけたくはなかった。


 満砕が生きた証を一つでさえ、養父に否定させてはならないと思ったのだ。彼はこの養父のことを心から尊敬し、愛していたのだから。


「話してくれてありがとうございます。満砕は――」


 ずっと自分を思ってくれていた。


「満砕は、僕のことが大好きだったんですね」


 第三者から聞くことのできた思い出話に、立憐は一切登場しなかった。しかし、満砕の中にはいつも立憐がいた。立憐のもとに向かうことだけを目標として、前へ、前へと進んでくれていた。


 その事実を知れたことに立憐は「嬉しさ」を感じる。


 もう二度と忘れたくない感情の一つとなった。この気持ちだけは忘れたくない。忘れてたまるものか、と立憐は胸を抑えた。


 いつか、この感情も供物として神に捧げられてしまうのだろうか。


 それはぽっかりと体の真ん中に穴が空いた心地であった。この気持ちはいったい何と形容できるだろうか。教えてくれる者はそばにはいない。


 最近、少しだけ不思議に思っていることがある。


 満砕が亡くなってから、否、彼に呪いを受けてから。毎日三回の儀式を行い続け、半年以上が過ぎた。それは供物を捧げ続けたことと同義だ。


 祈りは捧げられている。供物を捧げる感覚も確かにある。


 しかし、立憐の感情はほとんど変化がない。


 あふれ出ていく感情の奔流は、しっかりと立憐の中で渦巻いている。


 ――もしかして、なくなっていない?


 そんなことがあるはずない。そう思っても、立憐は満砕から教えられた感情を覚えている。


 満砕に教えられたのにもかかわらず、儀式によって吸いだされてしまった「嬉しい」という感情も、今日思いだすことができた。体の中に、頭の中に、心の中に、確固たるものとして溜まっているのを感じる。


 これはどういうことか。


 立憐だけでは判断できない。しばらくは様子を見ようと決断した。


 温かく満たされた感情を身に感じながら、同時に小刻みに近づいてくる足音を聞いた心地がする。不安を助長するような、恐怖をあおるような、立憐には理解できない感情が、段々と近づいてくる感覚だった。


 このまま感情を保持し続けることができるのは良いことに違いない。満砕は立憐が感情を取り戻すことを苦心していたのだから。


 だが――


 感情という供物をなくし、廃人状態になって死を迎える巫子。成長の遅い巫子は、若くして亡くなるのがほとんどだ。


 立憐も本来ならばすでに二十歳を迎えるが、見た目は十歳に到達していない少年にしか見えない。


 感情がなくならないのであれば、立憐は廃人にならないまま成長する。成長はひどくゆっくりであるため、懸念が正しければ、立憐は永遠に近い人生を歩めることになる。


 それはやはり「呪い」に違いないのかもしれない。



 ――『生きてくれ』



 満砕の最期の言葉が、頭の中に色あせることなく響いている。



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