巫子歴二十二年。
「こんな数字を見られるとは思わなかった」
民衆は笑顔でそう話し合っていると、吏安から聞かされた。
最初に会ったときは若さのある男だったのに、吏安も四十歳を過ぎた。細長い四肢は段々と肉がつきやすくなり、目もとには皺が刻まれている。
最近腰が痛いと、愚痴のような世間話をしてくる回数も増えた。遠慮のない会話の一つも、昔からは考えられなかった光景だろう。
反して、立憐はほとんど見た目が変わっていなかった。
最初に攫われた八歳のころよりは成長している。背も指先くらいは伸びて、二十年かけて成長期を味わった。鈍間な亀の足の速度で分かりづらいだけで、少しずつ変化はあるのだ。
それは一般の人間と比べると明らかにおかしい。とても立憐が三十年生きているとは、事情を知らない者は気づけないだろう。
長年務めている神官は慣れたものだが、新たに入ってくる神官は、小さな姿のまま三十年生きている立憐を神聖視している節がある。話すのなんて恐れ多い、と遠巻きにされている。そういった対応も今となっては慣れたものだ。
変化がないのは外見だけで、中身は年相応に成長していた。体年齢に引きずられやすかった十代を越えてから、感情の変化に振り回されることは減った。実年齢に見合った落ちつきを身につけ、もとより悪くはない頭脳を磨いた。結果、幸か不幸か、いっそう立憐を神格化する者は増えたのだった。
満砕の死を経て、立憐の感情は供物として奪われなくなった。契機は分かるが、原因が分からない。満砕の最期の言葉が原因かと当初は考えていたが、自分の中でどう変じたかは結局のところ解明できていない。
献栄神が自分に何かしたのかもしれない。立憐を哀れに思って慈悲をかけたのだろうか。
考える時間は十分にあった。
だが、満砕が死んで十年経ってもなお、答えは分からないままだった。
二十年以上生きた巫子は立憐が初めてだ。十年生きるのも珍しいのに、それがさらに十年となれば、不思議だというよりも神がかっていると感じるのが正常だ。
民は立憐を不気味だと捉えるよりも、献栄神が現世に下り立った姿なのだと思考を切り替えた。そうして、現巫子の立憐を崇める者が増加傾向にあるようだった。
神殿から出られない立憐は、外の知識をほとんど知らない。外の話をしてくれるのは、長い付き合いとなった吏安か、常に付き従ってくれる護衛兵くらいのものだ。
民が巫子のことをどう捉えていようが、立憐がすることは変わらない。毎日三回の儀式での祈り、巫子としての務めに関する事柄の処理。子ども時代は代わりに吏安がしてくれていた机仕事も、立憐は取り組めるほどに意欲的になっている。
失っていた感情を立憐は少しずつかき集め、それを自分の中に溜めることに成功していた。いまだに取り戻した感情は数少ないが、満砕が取り戻してくれた感情を一つ一つ回収できていた。
喜びの感情も負の感情も、満砕と取り戻したものを抱え集め、もう二度となくさないように閉じこめた。
この十年で戻ってきた感情は本当に数えられるくらいにしかない。満砕がいなければ、立憐が思いだすには長い時間がかかるのだ。このときもまた満砕の存在の重要性を痛感するのだった。
それでも、ここまで上手く思いだせているのは、ある人物のおかげだった。
「巫子様! こんなところにいたのですか? 探したんですよ!」
「――右南」
中庭から差しこむ日向を浴びていた。微動ともしない立憐の頭に、小鳥が何羽も止まっている。窓辺に気だるげに寄りかかっていた立憐のもとに駆け寄ってきたのは、夏陀の息子である右南だった。
彼は昨年から巫子の護衛兵を務めている。
「暖かくて、動きづらくなっちゃったんだ」
「儀式終わったら迎えに行くって言ったじゃないですか! 目を離した隙に、勝手にいなくならないでくださいよ」
右南の声に驚いた小鳥たちが一斉に空へ飛び立っていく。中庭の閉鎖的な空の上へ、鳥たちはどこまでも自由に羽ばたいていった。
いまさらうらやましさは抱かない。それはまだ取り戻せていない感情だ。
困った顔をして小言を吐く右南に、立憐は体を伸ばしたまま軽い調子で「ごめんね」と言った。
立憐を見つけたことで体を脱力させた右南に、立憐はすぐ隣を差して日向ぼっこに誘うのだった。