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第三章⑨

 右南は私室についてくるよう、満砕の手を引いた。それは幼いころの彼と同じ動作だった。


 私室に到着すると、右南は衰えてもなお俊敏な動きで、書棚に近づいた。書物を積み重ねていこうとするので、急いで背後に近づく。


 自分のせいで高齢の弟に重いものを運ばせるわけにはいかない。最初は遠慮した右南だったが、満砕の圧に負け、文机に運ぶよう告げた。


「右南、これは?」


 満砕は右南の指示に従い、見るからに重い書物を文机に移しながら尋ねる。


「巫子や献栄神について記述された書物ですよ」


 積み置かれた書物に手を置いて右南は言った。その目は様々な感情が混じっているように見えた。


「国内で私が集められるだけ集めたものです。義兄様の力になれば良いのですが」


 書物に使われる紙は一般市民からすれば貴重な品だ。貴族の一角である瓏家の大旦那である右南でも、この膨大な量の資料を集めるのは大変だったに違いない。


 右南の苦労を横取りする行為のようで気が引けた。弟の努力にさも当然な顔をして奪いとる兄ではいたくない。


 義兄の心情を察したのだろうか。もしくは顔に出ていたのかもしれない。右南はくすりと含み笑いをして、剣だことしわによってごわついた手で満砕の手を掬いとった。


「義兄様のことだから、私に悪いとでも思っているのでしょう?」


 右南は背の高い満砕を見あげてくる。下からうかがう仕草は、昔と何も変わらない。さきほどから弟としての姿が見え隠れして、満砕は郷愁に似た心地に浮かされていた。


「これらは私も巫子様のために何かしたかった結果です。まさか義兄様の役に立てるかもしれない日が来るとは思いませんでしたが。これらが義兄様と巫子様になるのなら、私は調べた甲斐があったというものです」


 にこりと笑い、場を収めようとする表情は、長い生を過ごしてきた者の老練さを感じた。右南であると分かっているのに、まったく別人と対面しているかのような錯覚もあった。昔の時間軸にいるのか、今のどこにいるのか。満砕はまだ不思議な中に立っている。


 満砕は気持ちを落ちつけるために息を吸いこんだ。そしてまっすぐに目を合わせる。


「ありがとう、右南。おまえの努力、使わせてもらうな」


 心からの感謝を伝えると、右南は満足そうにしわを濃くさせた。


 それから右南は、仕事以外の時間、自由に私室に通うことを許してくれた。夜間帯に家僕の部屋に書物を持っていっても良いと言われたが、そのために書を読むための明かりが必要だ。蝋燭は書とはまた別の高価な品であるため、満砕はできる限りの日中に作業を行うことに決めた。


 満砕が書を読んでいる間、右南は隣で仕事をこなしている。できるだけ満砕が調べごとに集中できるよう、最大限の配慮をしてくれていた。補佐が必要な仕事は最低限で良いと最初に言われた。「今はとにかく資料を読みこめ」と、それが今の仕事だと指示してくれる。右南には二度と頭が上がらないだろう。


 ときおり手を止めては、右南は自分の解釈を語ってくれる。多くの書物を読みこんだ上での発見もあり、満砕はゆっくりと、しかし確実に知識を増やしていった。


 巫子制度とは、今から七百年以上前に制定された国防制度だ。巫子の祈りの力によって、国全体に結界が張られる。


 外部からの攻撃を弾く効果のある結界は、文字通り外敵を防いだ。もしくは「弾いた」の方が正しいだろうか。国に対して悪意ある者が侵入しようと試みても、国内に入ることもできないという。外国が戦争をしかけるということができないのだ。


 反して、国内において国や王族に叛意のある者は該当しない。すでに内にある存在を、外へ弾くことはできない。献栄神の加護が結界を通して判断しているのか、中にいる者の移ろう心は対象にならないようだ。


 だから零周目のとき、巫子を殺めようとする内敵に対して、結界の作用は働かなかったということなのだろう。


「例えば、結界の境界――国の境で取引が行われたとする。献栄国の民は外に出ない限り、叛意ありとして排除されないわけですから、いくらでも内部の者を外国が操作することはできるということです」


 外から攻撃できないのであれば、内部から崩してやれば良いのだ。あまりにも裏道めいた方法を、右南は深刻に語った。


 結界に防音の効果はないため、境界線上であればいくらでも取引は可能だろう。そのため、献栄国の軍部は国境の警備に重点を置いていると聞いたこともある。あれは外国と国内にいる反逆を企む者を探していたのだ。


 実際、巫子を狙う者も、王家を弑逆しようとする者も、この百年間で多くいたようだ。右南ら護衛兵がそれらを排除したところで、別の角度から狙いを定めてくる。


「結界のおかげで敵が狭められてはいますが、それでも抜け道はあります」


「それらすべてに、献栄神が応えてくれるわけではないってことか……」


 万能に思えた、献栄国が崇拝する神。巫子の祈りがあってとはいっても、結界で国を守ってくれているのは献栄神の力だ。


「献栄神ってのは、いったい何なんだろうな」


「最初に伝えた通り、ここにあるすべての書を読みこんだところで、その答えが書いてあるものはありませんでした」


 初めに「答えは出なかった」という右南の見識を教えてもらっている。歴史や事実は記されていても、満砕たちが求めている答えが書かれているものはないのだと。


 献栄神の成り立ちであっても、国の歴史の長さに対して、驚くほど記された書が少ない。それは分かっていることがほとんどないということか。


 それとも、国民に教えられることがないということか。それさえも、判別するには情報が足りなかった。


 献栄国は今から九百年前に建国した。周辺国と比べるとかなり長い歴史を持つ国家だ。


 だからこそ、周辺国は献栄国を取りこみたいと考えている。国外での戦がたびたび起こるのはそのせいだ。献栄国はその強固な防衛力をもって国民を守ってきた。


 その大きな功績は巫子制度によるものと言えるだろう。建国から二百年後――今から約七百年前に始動した巫子による防衛結界のおかげで、外敵をはばむという他国と一線を画す効果を確立したのだ。


 献栄国はその名の通り、献栄神から名を借りてできあがった。つまり、建国当時から、献栄神に対する信仰はあったということだ。


 書物には献栄神は古代から土地に根づいた神であると書かれている。その土地に住みだした民が信仰を続け、規模が大きくなった結果、献栄国が設立されたのだ。


 神という目に見えない存在を、満砕は初めて恐ろしいと感じた。


 毎日、毎回、虹色の結界を目にしてきた。神秘的な力が働いている証拠を、生まれてから欠かさず見てきた。神はあまりにも遠く、そして身近な存在だった。その認識は献栄国民であれば、誰もが共有できるものだろう。


 だが、七百年以上も前から続く超常の力を、人間は心底信用しすぎであろう。疑いの心を持たず、献栄神を崇め続けるのは危険ではないか。


 ――この思考こそ、ある意味、危険なのかもしれないけどな。


 満砕は一旦、この考え方をやめることにした。これらは禁忌に触れる。今、考えるべき課題ではないはずだ。


 書物から顔を上げた満砕に、右南は茶を勧めてきた。ありがたく、用意してくれた茶を受けとる。


「見ていただきたいものがあるんです」


 右南は一冊の書物を抜きだした。


「初代の巫子様について、どこかで読みましたか?」


「いや。それらの記述はまだ……」


 茶に口をつけながら、満砕はかぶりを振る。それは良かった、と右南は書物をめくって、一か所の文章を指し示した。


「ここを見てください。初代の巫子様のお名前が載っています」


 指摘されたところに目を向けると、満砕は驚愕で息を呑んだ。


 姓は貴族以上の位だけが許される。平民の位である満砕には名前しかなく、貴族位である右南には「瓏」という姓がある。


 書物に記されていた姓は、王族にしか許されない「けん」が使われていた。つまり、初代巫子は――。


「王族から選ばれたのか……?」


 驚きで口が閉じられない満砕に、右南も難しい顔で頷いた。


「初代以降、王族が選ばれることはありませんでした。けれど、国民であるならば、階級はまったく関係ないようです」


 右南の手元にある書は、過去に巫子となった者たちが記録されているようだった。


 まさか王家が自らの血族を巫子にするとは思わなかった。巫子とは、代用の利く装置と言っても過言ではない。最初に差しだしたのが、血統に固執する王家の者だったと言うのか。


「いや――」


 ふと、頭をかすめる。


 考え方が前後しているのかもしれない。


 巫子の力を発揮してみせたから、王家はその王族の子を「巫子」に据えたのか。巫子の代償を知っているわけがない。神の声を聞く者として盛大に崇めたのかもしれない。それが間違いだったと気づくときには、すでに遅いのだと知らずに。


 国を守るためには大きな対価が付きまとうのだと。


 ――この国の歴史は、ずっと巫子の犠牲で成り立っているんだ。


 いや、とまた考えを否定する。


 すべては満砕の憶測だ。この考察も、最初からすべて間違っている可能性だってある。


 気が遠くなるのは、念頭にいつも立憐がいるからだ。


 立憐を救うには、この献栄国に絡みつく慣習と戦う必要がある。


 その仕組みをすべて否定するならば、大きな災いが降りかかる。国を取るか、立憐という一人の人間を取るかという話になってしまう。


 立憐はきっと、国を守るためならば、自分一人くらいの犠牲は問題ないと言うだろう。そういう精神性を、献栄神は目をつけたに違いないから。


 そういう立憐のことを、満砕はどうしても肯定的に思えない。


 満砕が転生しているのは、おそらく献栄神が関わっている。このような摩訶不思議な事柄を起こせる存在が、献栄神以外にぽんぽんいられたら溜まったものではない。


「神よ、俺にどうしてほしいんだ」


 語りかけたところで、献栄神からの返答など期待できるはずもなかった。



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