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第五章③


「調子に乗るんじゃないぞ」


 言葉に圧が乗っている割に、援来の立ち姿はどこまでも静かだった。


 声が低いせいか、落ちついて見える。にもかかわらず、発言の端々から嫉視めいたものが感じられる。きっと本人は認めたくはないだろうが。


 特訓に向けられた目は強い意志が宿っている。視線を合わせるつもりがないのは、貴族としての矜持なのか。どうしたって、満砕の心証としては「失礼な奴だ」という一言に尽きるのだった。


 援来はまだ口を閉じるつもりはないようだった。


「今に見ていろ。おまえよりも私の方が強いということを証明してやる」


 その発言が、いかに自身を弱者になり下げているか、本人は気づかないのだろうか。


 満砕は呆れというか、残念というか、複雑な思いを抱いて口を閉ざした。


 何周も人生を繰り返している自分を、本気にさせる勝負をする同期に、満砕は心のどこかで期待していたのだ。


 それが実際はどうであろう。嫉妬心や劣等感を押し隠せない子どもではないか。期待外れも良いところだ。


 ――いや、間違いなく、こいつは子どもなんだ。


 自分だけが、この世で唯一の異端者なだけで、この男はまともなのだと気づく。


 満砕が一人納得した。すると、黙っているのを怖じ気づいたのだと勘違いした援来が舌打ちをする。


「『お手柔らかに』などと、腰の抜けたことを言うつもりじゃないだろうな? そんな腑抜けたことを言ってみろ。今すぐにでも教官の方へ投げ飛ばしてやるからな」


 あまりにも堂々と言ってのける援来に、満砕は深くため息を吐いていた。


 ため息を耳にした援来は、怪訝な視線を向けてきた。瞬時に援来の頬を片手でわし掴みにする。


「な、何をする!」


 怒声を上げるが、口を手で抑えているため、くぐもって周囲の誰も気づかない。


 満砕は顔を近づけると、抑えた声音で一文字一音はっきりと告げた。


「俺は、こんな場所での筆頭の位に興味はない。この位が欲しいのならいつでもくれてやる」


「何、だと?」


 鋭くにらみつけられるも、満砕はその面を鼻で笑ってやった。


「俺を負かしたかったら、俺の心を挫けさせるつもりで来い。そうでなければ、張り合いがない」


「貴様っ――!」


 口惜しそうな援来から手を離した。その際、力を込めて突き飛ばしたが、援来の体幹は立派だった。後ずさりすることはなく、こちらをにらみ続けている。


 全身から静かな怒りをみなぎらせる援来に、満砕はべっと舌を出した。


 随分と大人げないことをしたものだから、少しは子ども相手への意趣返しのつもりだった。


 援来は一瞬だけきょとんとして、すぐに馬鹿にされたのだと気づいて小刻みに震えだした。怒りを耐えるようにこぶしを握りこむ。もう一度舌打ちをしてから、別の場所へ移っていった。


 ――宣戦布告をしたかっただけなんだろうか。子どもはよく分からんな。


 何しろ、正確に幼少期を過ごしたのは八年くらいしかないのだから、満砕が分からないのも当然だった。無理にでも大人にならざるを得なかった幼少期を思うと、当時の自分も立憐も何と可哀相なことか。


 視点を変えると、もしかすると満砕の時はあのときで止まっているのかもしれない。今もなお変わらず子どもの心を持ったまま、一つの存在に執着している。


 大人になることを拒んでいるつもりはなかったが、そう考えるといくつか腑に落ちることもあった。


 何度も人生を繰り返し、満砕の中にはもう立憐という存在しかない。そのために、それだけのためを思って生き続けている。ほかに目をそらした瞬間、足もとが崩れ落ちてしまうと錯覚しているように。


 その錯覚は、あながち間違いではないのだろう。


 この転生は、初代巫子のために献栄神が与えた褒美と言っても良い。満砕が立憐と再び会う日まで続くだろう。満砕も、そのことを一途に願っている。


 しかし、立憐は――。


 初代巫子の生まれ変わりだったとしても、現在二百年近く巫子を務めている立憐は、いったいどのような考えを持っているだろうか。


 離れた時間の方が長い満砕には、立憐の本心をもう察することができなくなっていた。






 援来から目の仇にされる日々は相変わらず続いていた。


 成績上位者筆頭の満砕と援来は、たびたび対戦相手に指定される。そのたびに本気となって挑んでこられるため、満砕もまた生半可な気持ちでは応戦しなかった。今までの人生経験を総動員し、徹底的に叩きのめした。


 援来は正面から挑み、満砕にことごとく負け続けた。素手での戦闘も、剣術でも、体を鍛える訓練の回数でさえも、満砕を上回ることができなかった。


「満砕、そろそろ食事に毒を盛られないか気をつけろよ」


 面白がった同期が忠告をしてきた。それを満砕は一笑にふした。


 満砕は援来が毒に頼るような卑怯者でないと知っていた。


 彼はいつも本気で挑んできた。そこに小手先の技術はなく、真剣勝負をすることを重視していた。


 陰で人一倍努力していることも知っている。教官に頼んで修練場を夜遅くまで利用していたし、誰よりも体を鍛える訓練に力を入れていた。


 なぜ満砕が知っているかと言えば、同じことを自分もまた行っていたからだ。満砕が知っているということは、おそらく援来も認識しているだろう。


 お互いを意識しながら、満砕も援来も手を抜かずに、自分自身を鍛える特訓を欠かさなかった。


「おまえたち、別々に訓練するのは効率が悪い。修練場も二つ開けるのは面倒だからな」


 突然呼びだされた先にいたのは、満砕と援来の担当教官だった。教官の発言に、二人して唖然とする。


 「なんでこいつと!」と反論しそうになるのをぐっと堪える。


「なぜこのような奴と!」


 反射的に叫んだ援来の頭にこぶしが落ちる。痛みでしゃがみ込む援来を盗み見て、その威力の頑強さに震える。あの援来が一発で沈められるとは。決して担当教官を怒らせることのないように気をつけようと心に決めた。


「お互いが意識し合っているのは見ていれば分かる。すぐそばに見本がいた方がはかどるだろうよ。――二人とも、強くなりたいんだろう?」


 その問いの答えを紡ぐまでもなかった。


 援来とともに訓練を行うのは癪だったが、彼ほど太刀筋や訓練方法が参考になる人物はいない。堂々と見取り稽古をしてやると意気込んで、満砕は教官の指示に従った。


 渋々と、心の底から嫌そうに、援来もまた受けいれた。二度目の拳骨は遠慮したかったのかもしれない。


 通常訓練のあと、満砕と援来が二人だけ居残って鍛錬を積む日々が続いた。広い修練場の端と端を自身の陣地として、それぞれが決めた特訓を行う。


 お互いが意識し合っているのは明確だった。満砕が顔を上げると、視線がかち合う。すぐに目は逸らされてしまうが、こちらの特訓を見ていたのはバレバレだった。


 満砕もまた盗み見ようと視線を向けたのだから同罪だ。


 援来はどこまでも理性的に、集中して剣を振るっていた。剣の型があまりに美しく、隙がない。きっと幼いころから厳しい訓練を受けてきたのだろう。体に根づいている動きは一朝一夕で身につくものではない。


 その姿を見るたびに、満砕は自分もまた負けていられないと自身を鼓舞するのだった。


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