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【第三章 吹雪の山荘】1

 午前七時。


 昨晩セットしたスマホのアラームでぼくは眼を覚ました。頭が冴えて、目覚めの良い朝だった。


 隣のベッドに眼を向けると、ちょうど真理花が寝返りを打っている所だった。朝食は八時から始まる。女の子は色々と準備もあるだろうから、今から起こした方が良いかもしれない。そう思って真理花に声を掛けようとしたが、気持ち良さそうな彼女の寝顔を見ると、起こしてしまうのがはばかられた。


 ――もう少し寝かせてあげよう。


 バスルームに入って洗面台の前に立つと、蛇口をひねって水を出す。水がお湯に変わるのを待ち、お湯を両手ですくって顔を洗う。数回それを繰り返すと、身体を流れる血液の巡りが良くなってきたのか、徐々に身体が温まってきた。お湯の出を止め、洗面台に積まれたタオルを手に取り、顔を濡らしている水を拭う。真新しいタオルの感触が気持ち良い。


 顔を拭き終えて鏡を見ると、自身の顔が映し出される。父から受け継いだ黒い髪と瞳。母から受け継いだ白い肌に高い鼻、細い輪郭。……自分で言うのも難だが、『ハンサム』と呼ばれるような顔立ちであるには違いないだろう。恵まれた容姿に産んでくれた両親には感謝している。


 寝ぐせがあまりついていない髪を手櫛で軽く整えて、バスルームを出た。真理花がまだ眠っていることを確認して、彼女を起こしてしまわぬよう静かに、そして素早くパジャマから部屋着に着替えた。そして軽くベッドメイキングを済ませた後、昨日この部屋に戻った時と同様にまた、窓の外を見た。辺りはまだ暗かったが、その闇を覆いつくすかのように、白いものが上から勢いの絶えることなく降り続いている。


「やっぱり、今日のスキーは出来そうにないか……」


 僅かにあった期待を砕かれたぼくはそう呟いて、部屋を後にした。


 二階の廊下は静まりかえっていた。皆、既に出払っているのか、それともまだ眠っているのか。


 階段を下りると、すぐに人と出会った。岳飛さんだ。


「おはようございます。岳飛さん」


「よお、おはよう。よく眠れたか?」


「はい、おかげさまでぐっすり」


「しかし、あいにくの天気で残念だな。これじゃあスキーはおろか外出も……」


 そこまで言うと、はっとしたように岳飛さんは口をつぐんだ。岳飛さんの声自体は明るかったものの、その表情はどこか疲れている印象を受けた。


 何気にそれについて尋ねてみた。


「岳飛さん、疲れが溜まっているご様子ですが、寝不足ですか?」


 岳飛さんは気だるそうにかぶりを振った。


「遅くとも十一時には寝るようにしてるからそれはない。充分に睡眠は取っているつもりだ。……しかしお前、その口調はどうにか出来ないものなのか? おれは従業員でお前は客。もっと砕けた話し方をしてもいいだろ」


 お客であるぼくに対してその口調のあなたこそどうなのかとは思ったが、当然それは口には出さなかった。口は禍の元。変な荒波を立てたくはなかった。それでもこの人に対して多少の反発があったぼくは、これらを少し薄めた反論をした。


「ぼくの話し方を不快に思われたのでしたら、申し訳ございません。ただ、年長者に対しては常に敬語で話すよう、常日頃から父によく言われているものですから」


「……良い父親を持てたようだな」


 するとここで岳飛さんは「ところで」と、話題を変えてきた。


「お前達、一号室に泊ってる女達と仲がいいのか?」


 ここで牛尼先生達の話題が出るとは思わなかったが、とりあえずぼくが彼女達に思っている印象をありのままに話した。


「はい。特に牛尼先生は真理花がお世話になっている方だそうですし、推理小説が好きだという点でぼくとも趣味が合いますから」


「ならはっきり言わせてもらうぞ。あの二人とは距離を置いた方がいい」


 岳飛さんの思わぬ発言に、ぼくは呆気に取られた。


「なぜです。確かに篠原先生は昨日の食堂での件もありますから理解出来ますが、牛尼先生の方はどうなんですか。距離を置く理由なんてないでしょう」


「お前、『類は友を呼ぶ』って諺を知ってるか。クソみたいな奴の周りには、大体クソみたいな奴が集まるんだよ。痛い目を見たくなかったら、素直に俺のこの忠告を聞け」


『類は友を呼ぶ』……英語で言うなら『同じ羽毛の鳥は群れる』か。しかし、その理論で言うならば、牛尼先生を慕っている真理花も同類だというのか。彼女まで侮辱されたような気がして憤りを感じたが、岳飛さんのその眼は本気だった。


 返す言葉が見つからないでいると、階段の上から声がした。


「おはよう。魁くん、隅野くん」


 噂の張本人達である牛尼先生と篠原先生だった。二人は起きた直後にシャワーでも浴びたのか、髪が微かに濡れているように見えた。


 岳飛さんとの会話が打ち切られて、何だか救われた心地だった。


「おはようございます。牛尼先生、篠原先生」


「真理花ちゃんはどうしたの。もう食堂の方へ?」


「いえ、まだ部屋で寝ていますよ。気持ちよさそうに寝ているものですからつい……」


「……おはようございます。篠原様、牛尼様」


 バツが悪そうに岳飛さんが挨拶をする。そして軽くぼくを一瞥すると、足早に去って行った。


「男の子同士で何を話していたのかしら?」


 牛尼先生はクスクスと笑うが、どうした訳か篠原先生は苦虫を噛み殺したかのような表情をしていた。


「牛尼先生、篠原先生。先生方は以前にもこのペンションにお越しになられたことはございますか」


「隅野岳飛くんと以前にも会ったことがあるかですって?」


 ぼくの質問の意図を察し、牛尼先生が答える。……人が人を嫌う以上、何か理由があるに違いない。もしかすると、過去に先生達と岳飛さんは会ったことがあり、何かあったのかもしれない。しかし、それを直接尋ねるのははばかられたので、湾曲な尋ね方をすることにしたのだが。


「まあ、どこかの道端ですれ違ったとか、そんなことはあったかもしれない……少なくとも私の記憶にはないわ。だけれども……」


 ゆっくりと首を回して振り返り、牛尼先生は背後の友人を見る。


「佳子、あなたの方はどうなの。心当たりがあるんじゃない?」


 数秒の沈黙の後、篠原先生は相変わらず渋い顔で短く「知らない」と返したのだった。

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