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第33話 導きの光

 それは、どれほどの福音がもたらした奇跡であったのだろうか。


 ルシルは初め、自分は死んだのだと思った。

 死後の世界で都合のいい夢でも見ているのだと思った。

 何故なら、現実にこんな奇跡が起こるはずないから。


 現実はどこまでいっても残酷で理不尽で希望などありはしない。

 それは一つの真理なのだから。


 にも関わらず、これは何だ。

 こんな幸福、こんな情動。

 叶うはずのない夢。


「アイ、ラ……?」

『はいでありますっ! ルシル・シルバ・アルベルニア白鳩騎士団団長殿っ! アイラ・アッシュフィールド少尉、ただいま戻りました!』


 これが現実だと、思っていいのだろうか。

 捨てたものでは、まったくない。

 夢と希望に満ち溢れた、そんな幸せいっぱいな世界。


 自分が生きる世界がそんなに素晴らしいものだと、思ってもいいのだろうか。


「――アイラぁぁあああああああああああッ!!」


 最早、考えるのももどかしかった。


 思考よりも行動が先に来る。

 日頃から魔鎧騎を己の手足と同等に操る彼女。

 激情に駆られた現在も、魔鎧騎をその思いのままに操って――アイラが乗る雷雪へ、抱きついた。


『――だっ、だだだ団長!? はわわわわ団長!?』

「あなたっ! どうして、一体っ! どうやって、ここに、生きて――」

『だ、団長っ!? お喜びいただいているのはっ、伝信を通しても十二分に伝わってきてそれはもう恐縮の限りなのですがっ! 小官現在、身体が非常にアレな状態でしてっ! あまり揺さぶられますとっ、死――』


 身体が引き千切れるようなめりめりという嫌な感触に、生還早々本気で死を覚悟したところ、飛んできたゴールウェイが冰華の頭部を叩いてルシルの気を覚まさせる。


「痛っ!? な、なにするのロザリ中尉――」

『――ッ!! ――ッ!! ――ッッ!!!!』

「え……? あ、ああ、ごめんなさい、取り乱したわ……」


 ロザリのお陰で命拾いをしたアイラは、雷雪の中でほっと息をつく。

 するとそこに、ロザリを追ってきたルートも到着した。


『あ、アイラ少尉……。本当にアイラ少尉ですか?』

『はい、ご心配をおかけいたしました。お二人もお目覚めになられたようでなによりです』

『あなたにそれを言われるのはとても変な気分ですが……。一体、どうしてここに? 怪我をしているのでは?』

『は、はい。皆さんが黒の黎明との戦いに出撃されたと聞いて、助力できればと……。ルシル団長の雷雪も連れて来ました』


 そんなアイラの返答に、ルートの心底呆れたような思念が返ってくる。

 怒られるかと身構えたアイラは、続いて発されたルシルの声を聞いた。


「……そう、ご苦労さま。それじゃあ有り難く、魔鎧騎の交換といきましょうか……。出ていらっしゃい」


 そんな先程までの取り乱しようとは打って変わった静かな声。

 訝しく思いつつも、アイラは言われた通り雷雪のハッチを開けて外へ出る。


 するとそこには、既にルシルが立っていた。


「ルシ――」


 そして柔らかく暖かい衝撃。

 今度は生身で抱きつかれ、彼女の温もりと匂いと感触が脳をくすぐる。


「だ、団長……。あんまり強くされると、痛いです……」

「黙りなさい。のこのこと私の前に帰ってきて……。私の副官なら、こうなることくらい予想しておきなさい」


 そんな涙混じりの囁きに、アイラは困ったように笑う。


「こ、こうなるというのは、どういう……?」

「歯止めが効かなくなるということよ……」


 力いっぱい抱き締められる身体。

 しかし痛みは無く、心地良い。

 一生こうしていてもよいと思えるほどの幸福感。


「……よくあの状況で、死ななかったわね」

「団長との約束を守らねばという一心で、なんとかなりました……」

「……生きているなら、あんな遺言みたいな録音残さずに早く帰ってきなさいよ」

「それはまあ、私も生き残れる自信は無かったもので……」

「……身体、冷たいわね」

「そういう体質です……」

「……心臓、動いてないけど」

「あー、それは……。気のせいです」


 戦場にあって、そんな取り留めもないやり取り。

 できることならばずっと続けていたいと思えたが、しかしそうは状況が許さない。

 不意に、彼女達は伝信魔法で一つの思念を察知した。


『は、は……。これで、終わりか、ようやく……』


 それは魔鎧騎ごと氷の中に閉じ込められたジャクリーンの薄れ行く意識。

 自然と一同がそちらへ目を向ける。


 ルシルとの戦いで既に命も魔力も尽きた彼女が最期に誰かへ呼びかける。


『――時間稼ぎは、じゅうぶん、かい……?』


 直後、地盤を砕くかのような巨大な震動。


 黒の黎明アジト跡地の瓦礫が音を立てて崩れ落ち、見えた地肌がひび割れる。

 ただ事ではない事態に、白鳩の騎士達はすぐに行動を開始する。

 ルシルとアイラはそれぞれの愛騎へと飛び乗り空へと退避する。


「これは――」


 上空から地表を見下ろして、事態の異様さにルシルは絶句する。


 黒の黎明アジト跡地があった辺りを中心に、地面がひび割れ、崩れていく。

 そしてその下から、何か巨大で異様なものがまろび出る。

 それはまるで、地獄の底から這い出てきた怪物。

 ネフィリムよりも更に巨大なその体躯は鈍色の錬金装甲に覆われ瓦礫の落下をものともしない。

 身動ぎの度に、各部から白い蒸気を放出する。


「――魔鎧騎……だとでも言うの?」


 地下から現れた巨大な金属製の怪物はやがてふわりふわりと上昇していく。

 翼で羽ばたくわけでもなく重力を振り切るそれは、飛行魔法によるものだ。


『――虜囚となるべき者はなるべくしてなる。剣で殺す者は、自らも剣で殺されなければならない。……ここに、聖徒たちの忍耐と信仰がある』


 突如響いた、男の声。

 聞き違えるわけがない。

 元凶にして幻狂。

 巨悪にして虚悪。

 黒の黎明主宰、グラントリー・パトモス。


『――私はまた他の獣が地の底より這い上がって来るのを捉えた。それには小羊のような角が二本あり、龍のように言葉を話した』


 滔々と続くパトモスの声が、地鳴りのように響く。

 そして獣の魔鎧騎はその頭部を白鳩達へと向け、大きな口を開いた。


『――そして、先の獣の持つ全ての権力を行使した。人々に致命的な傷が癒やされた獣を拝ませた。また、大いなる紋章をもって、人々の前で火を天から地に降らせることさえした』


 そして直後、開かれた大口から膨大な魔力が放出される。

 ネフィリムが時折使用する、拡散魔力咆哮。

 それによく似た息吹が空を焼く。


 咄嗟に回避行動を取って旋回する白鳩達は、獣の魔鎧騎から距離を取って様子を窺う。

 余りにも常識の埓外である光景に、どこから処理していいものかわからない。


「――取り敢えず、随分なご挨拶ね、グラントリー・パトモス。その訳のわからない言葉の羅列を止めてもらえないかしら」

『――これは失敬、ルシル・シルバ白鳩騎士団団長殿。世に主の教えを説くのが僕の使命でありますれば――いえ、そう言えば、ルシル・シルバ・アルベルニア王女殿下とお呼びした方がよろしいのでしょうか』

「どちらでもどうぞお好きに。私は今、どちらの立場としてもここにいる」


 突如として現れた黒の黎明の常識外れな兵器。

 魔鎧騎隊も防空設備もジャクリーンも無力化され、それでなおこんな余力を残していたとは驚きだ。


 しかしそれにわざわざ主宰が乗っているということは、これが組織の進退、そして命運を賭すに相応しい奥の手ということなのだろう。


「けれど驚いたわ。あなた、男だと思っていたけど。魔女だったなんてね」

『――ははは、王女殿下はジョークがお上手だ。……これは僕の大切な仲間達からの力を借りているに過ぎません。ただまあ、僕の意思で動いてもらう為に、彼女達の頭には多大な負担を強いてしまっている。実に心が痛みます。余り長引かせたくはない。お早めにあの世までお引き取りいただけますか?』

「……外道め」

『――これは異なこと。僕達は同じ目的の為に集った同士です。目的が成就される為ならば、如何なる苦痛も甘んじて受け入れる。それが黒の黎明ですよ』


 伝信魔法の範囲は獣の魔鎧騎が丸ごと含まれている。

 そして確かに、彼の言うように獣の魔鎧騎には複数人分の魔力を感じる。

 にも関わらず、察知できる敵の思念はパトモスのもの一つだけ。


 得体の知れない不気味なものを相手にしている気分で、ルシルは顔を顰める。


『――けれど僕の方こそ驚きました。まさか貴女がこの国の王の血を引く一員だったとは……。僕も情報通を自負していたのですが、寡聞にして聞いたことがなかった。いやはや、それ程までに隠したい醜聞だったということでしょうか』

「…………」

『――貴女のお母様……、親愛なる女王陛下は最期に貴女とお会いしたがっていましたよ。なにか、この国の行く末を託したいとか、この国を導いて欲しいとか仰っていましたねぇ』

「……知っている。だから私は今ここにいる! あなたの野望を打ち砕く為にッ!!」

『――物騒なお言葉です……。私の演説は聞いていただけなかったのですか? 貴女達の存在が世を乱している。貴女達がいるから誰も救われないというのに……』


 ため息混じりに、心底疲れたような口調でパトモスは言う。


「そんな欺瞞が通用するとでも? ……確かにネフィリムは魔力を求めて人間を襲う。けれど魔力は魔女だけが持っているものじゃない。全ての人間が持っている――だからこそ手を取り合って生きていかねばならないと、私は母から教わったッ!!」

『――ああ、なんだ、ご存知だったのですか。……まあ確かに、あの演説の中身は嘘も方便、真実ではありません。けれど先程僕が貴女へ言った言葉には、嘘も偽りもありませんよ?』

「なに……?」

『――貴女達の存在が世を乱している。貴女達がいるから誰も救われない……。それは、紛れもない事実でしょうッ!!』


 そんな叫びと共に、獣の魔鎧騎の各部装甲が互い違いにずれ、そこから無数の砲撃音――砲弾が発射される。


 騎体全体から周囲全方向へ向けられた砲弾は魔法によって制御され、次々に白鳩目掛けて襲い掛かる。


『くっ――また砲撃ですかッ!』

『――ッ!!』


 ルートとロザリが砲弾を近付くものから撃ち落としていくが、圧倒的な物量差。

 落とし切れない砲弾が白鳩達へと迫る。


『――ルシル団長、お願いします!』


 そんな中、アイラが短く叫ぶ。いつの間にか、冰華の周りに創出された無数の氷塊。


 ブラックロード・リベレータ・冰華は、魔鎧騎から排出される水蒸気を戦闘へ巧みに活かすアイラの為にカスタマイズされた魔鎧騎だ。

 通常の魔鎧騎よりも効率的に、より多くの箇所から蒸気を排出できるよう改修されている。

 その分動力としての蒸気がより多く要求されるようになったが、アイラにとっては己の武器となる氷をより多く瞬間的に生み出すことのできる方が重要だった。


 そして今、咄嗟の一瞬で生み出された氷塊の数は、凡そ数百。

 一つ一つが魔鎧騎の拳大ほどの大きさ。

 アイラから呼びかけられたルシルはそれを見て、即座に理解する。

 彼女が自分に求めるものを。


葬演武踏リーパー・ストラッターッ!」


 声と共に数百の氷塊が空を飛ぶ。

 そしてそれらは砲弾の雨を穿ち、吹き飛ばす。


『――まったく、往生際の悪い災厄達ですね! 死なくして救いは無いというのにッ!!』

「そういうのは、満足いくまで生きてからの話でしょうッ!!」


 直接その巨体の質量でもって襲いかかってくる獣の魔鎧騎。

 白鳩達はその攻撃を躱しながら近接戦闘を試みる。


『――鬼姫の斬葬シュベーア・タンツッ!!』


 土属性魔法・金属錬成により大剣の刃こぼれを修復すると同時に硬度を強化し驚異的な連続斬撃を繰り出すルートの常套戦術。

 しかし敵の装甲は分厚く刃を通さない。


『くっ――』

「――超魔電導加速砲ライトニング・フレア


 ネフィリムの強固な肉体を穿ち粉砕する程の威力を秘めた弾丸。

 しかしそれが穿った穴は余りに小さく、そして装甲を貫通するには及ばない。


『――無駄ですッ! この魔鎧騎は神の怒りを体現している! 人の身で抗することなどできぬと知りなさいッ!』


 魔鎧騎一騎分ほどの太さを持った腕による致死の連撃。

 その中を縫うように飛ぶ白鳩。


「まったく――幾らかかってるのよこれ」

『頭のおかしい硬さです。これも錬金装甲ですか。……コトネ少佐が興味津々でしょうね』


 時折装甲の隙間から放たれる砲弾に牽制され、そう何度も接近攻撃も試せない。

 空中で要塞を相手にしているような気になってくる。

 ネフィリムなどよりよっぽどたちが悪い。


『ルシル団長、あれはできないんですか? あの、黎明のアジトで私を守ってくださったどっかーんってやつ』

 煌光ノヴァ・ディストラクション魔法戦技マジカル・アーツと同じ要領で火・水・風・土の四属性魔法を衝突させることで破壊力を生み出す魔法。


 ただし魔法戦技と違うのは、煌光で衝突させる魔力は無制限ということだ。

 その結果、生身で使用しても辺り一帯を壊滅させる程の威力になる。

 魔鎧騎に乗った状態で使用すればその威力は更に跳ね上がり、あの巨大な獣の魔鎧騎をも粉砕することは可能だろうが――


「別にやってもいいけれど、ロンドンごと吹っ飛ぶわよ。せめてもっと上空でなら……」


 そして言いながら偶然の閃きで彼女はふと思い付く。あの獣の魔鎧騎を撃墜する方法を。

 そしてそれは、伝信を通じて即座に他の三人にも共有された。

 彼女の描いたイメージが。


『――やりましょう、団長』


 誰より早く、アイラが力強く頷く。


「――でも、これじゃあなたに負担が……」

『大丈夫です! この程度じゃ私もこの子もまだまだ不完全燃焼ですよ。冰華繚乱の呼び名に恥じぬ働きをせねばと思っていたところです!』


 しかし彼女はそもそも今こうして飛んでいるのにもかなりの無理をしているはずなのだ。

 これ以上の負担は――


『――戦場で何を呑気に会話しているのですッ! 本当の鳩にでもなったおつもりですか!?』


 直後、頭上で獣の魔鎧騎が口を開く。

 疑似拡散魔力咆哮。


 しかし先程とは状況が違う。

 現在は敵に頭上を抑えられ、眼下にはロンドン。


 自分達は攻撃を避けられても、街が吹き飛ぶ――


「――――――ッ!! アイラッ!!」

『イエス・ユア・マジェスティッ!!』


 直後、冰華の周りで大量に生成される氷塊。

 戦闘時間が経過したことにより辺りの水分量は増しており、氷塊の数は先程の更に数倍。

 街の一帯を覆うほどに生み出された数百の氷。


「はぁぁああああッ!!」


 それが一斉に、頭上の敵目掛けて打ち上げられる。


『――何を狙っているのか知りませんが、いい加減無駄と弁えなさいッ!! 丁度よく見えるでしょう! この国を覆う暗澹とした空がッ!!』


 疑似拡散魔力咆哮の発射まではまだあと数秒。

 獣の魔鎧騎の装甲がずれ、先程とは逆に砲弾が氷塊を撃ち落とそうとする。

 しかし、ずれた装甲の周りが凍り、砲弾発射を阻害する。


『だからこそッ! それを晴らそうというのですッ!!』


 敵とて水蒸気を吐き出す魔鎧騎。

 その巨体を丸ごと封じる程の水分は無くとも、砲口を一時的に封じる程度の氷であれば生成可能だった。


『――ぬぅぅううううあああああああッ!?』


 打ち上げられた氷塊の群れを腕で払おうとするパトモスだが、寸前で魔鎧騎の頭部をルートの大剣で斬り払われ体勢を崩す。

 氷での阻害が及ばず僅かに発射された砲弾はロザリが的確にライフルで処理する。

 白鳩の底力により、放たれた数百の氷弾が獣の魔鎧騎へ激突する。


「――銀灰之風スターダスト・プリンシピオッ!!」


 激突の瞬間、氷弾と装甲の間で生じる閃光。

 四属性混合魔力による発光と衝撃。

 それが氷の着弾と同時に解放され、無数の瞬きとなって軌跡を残す。


 単純な氷塊ではない。

 一つひとつがネフィリムを殴り飛ばせるほどの威力を秘めた徹甲弾。


 白銀に輝く煌めきの中、風に吹かれるようにして獣の魔鎧騎は上空へと飛ばされる。


『――なッ!? 馬鹿な!? こんな結末が――ッ!?』

「――ごめんなさい、あなたには不満でしょうけれど……。私がこれから導く国に、黒の黎明は必要無いわ」


 為す術無く巻き上げられるパトモスに、追随するルシル。


 そして、分厚い雲を突き抜けるほどの遥か上空。光が煌めく。


「――煌光ノヴァ・ディストラクション


 真っ白な光は、暗い夜明けを塗り潰す。

 分厚い雲を吹き飛ばす。

 汚れた空を漂白する。


 あらゆる残酷、理不尽と不条理を。

 嘘と欺瞞、悪意を。

 全てを平等に吹き飛ばす。


 慈悲深き超常の御手。


 人々は見上げた。

 煌々と瞬く導きの光を。

 そして、晴れ渡った綺麗な青空を。


 ――ああ、これが見たかったんだ。

 ――この、白鳩が飛ぶ綺麗な空を。


 魔力を使い果たし、飛行魔法も維持できずゆっくりと落ちていく冰華の中で。

 アイラは満ち足りた気持ちで空を見上げていた。


 雲一つ無い雄大な蒼空では、純白の白鳩が優雅に羽ばたいていた。

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